年に一度、七夕の夜にだけ思い出す人(2,393字)
7月7日。
短冊に願い事を書く日の夜に、決まって思い出す人がいます。
何十年も前に、好きだった人。
未練があるわけではありません。
2人の間に、特別な何かがあったわけでもない。
1年間ほど、バイト先で一緒に働いただけの関係です。
ただ、七夕という覚えやすい誕生日のせいで、毎年この日になるとその人を思い出してしまう。
もう、かれこれ30年近くになります。
これは、大人になった今、若かりし頃の恋心を懐かしむ。
ただそれだけの話です。
私より2歳年下の彼女は、いわゆるギャルでした。
肩まで伸びた明るい茶色の髪。ばっちりメイクに、モサモサのまつ毛。
ウォーズマンみたいなネイル。
一目見て分かりました。私が苦手な人種だ、と。
学生時代をほぼ陰キャとして過ごした私にとって、クラスに数名いたギャルは、同じ教室で何年間過ごしても決して交わることのない「ねじれの位置」にいる存在。
デリカシーのない言動も、ルール無視の「やったもん勝ち」マインドも、永遠に相容れない。
防弾ガラスのように分厚い先入観フィルターの向こうにいる、遥か遠い人種でした。
そんなギャルが、イベント会社の事務という地味な世界に現れた。
そして私は、先輩という立ち位置で、同じチームで働くことになった。
社員から彼女を紹介されながら、意識が遠のくのを感じました。
ところが、一緒に働き始めてすぐ、印象は一変します。
声の大きなコミュニケーションお化けとは真逆。
一生懸命だけど、コミュ障と言っていいほど不器用。
それでも挨拶はきっちり、礼儀正しく、仕事への熱意も高い。
聞けば、遠距離だった彼と同棲したくて、遠い県から引っ越してきたとのこと。
生活費を稼ぐために、このバイトを始めたのだと。
そんな健気な理由も相まって、気付けば私の分厚いフィルターは吹き飛んでいて、ただ彼女を応援したい気持ちが湧いていました。
しばらく一緒に働いて分かったのは、真っすぐで、繊細で、謙虚な一面。
そして、彼女は静かな人でした。会話は必要最低限。表情もほとんど変わらない。
それでも挨拶を交わす横顔には、相変わらず、毛虫みたいな大盛りまつ毛が乗っていました。
そんなある日、彼女がふっと笑ったのです。
クシャっという表現がぴったりの、柔らかい笑顔。
それを見た瞬間、私の中で何かがゴロリと動いたのが分かりました。
大きな川の水が止まって、静かに逆流し始めたような違和感。
その日の帰り道から、気付くと彼女のことを考えていました。
ギャップが凄すぎる。これはマズい。
その感情は知っていました。でも、認めたくなかった。
行く先には、辛い思いしかないからです。
それからしばらく、なるべく心を無にして、何も考えないように過ごしました。
家では寝るだけにして、空白の時間を作らない。
それでも、職場で彼女を目で追うようになっていました。
次の出勤を、楽しみにしている私がいました。
そんなある日のバイト帰り。
夕暮れのいつもの堤防で、ふと立ち止まりました。
目の前の鉄塔。高さ50mほどの、見飽きたはずのその姿が、その日はやけに立体的に見える。
こちらに迫ってくるような錯覚さえありました。
見渡すと、辺りの草木も、橋も、見上げた空も、目に映るすべてが鮮明に、色を増している。
まるで、初めて眼鏡をかけたときのようでした。
ーーもうダメだ。
降参した瞬間でした。

その日から、日記をつけ始めました。
叶うはずがない。期待してはいけない。
そう自分に言い聞かせるための日記です。
朝、目が覚めて最初に彼女のことを考えてしまう。
仕事のメールに短い返信が来ただけで、嬉しさがこみ上げる。
期待しないという自分の中の約束は、いつも、いつの間にかどこかへ行ってしまいました。
この想いは、決して気付かれてはいけない。
そう考えた次の瞬間には、どう伝えるかを想像している。
理性と本能の間を行ったり来たり。恋はジェットコースター、とはよく言ったものです。
行き場のない気持ちは、自分を変えるエネルギーにしました。
筋トレを始めて、姿勢に気をつけて、少しでも魅力的な人間になろうとした。
我ながら滑稽だと思います。
心のどこかで、もしかしたら、という気持ちが燻り続けるのを見て見ぬふり。
遠い目をしながら、スクワットをする毎日でした。
やがて彼女は、彼と入籍しました。
分かっていたはずなのに、「入籍」という言葉を聞いた瞬間、ふっと体温が下がったのを覚えています。
みんなで結婚祝いを渡したとき、彼女は素直に、嬉しそうに笑っていました。
その笑顔が、とても遠くに見えた。
何かを得ていたわけでもないのに、何かを失ったような虚しさ。
それでも、彼女の幸せだけを願おうと決めました。
どうせ叶わないのなら、せめて相手本位の片思いをしよう、と。
それから間もなく、彼女はバイトを辞めていきました。
最後の日も、私はいつも通りに「お疲れ様」と笑って送り出しました。
日記の最後のページには、こう書いてあります。
「1年前が最近のことに感じるのに、1週間前がとても昔のことのように思える」
この気持ちは、忘れたいけど、失くしたくない。
あの頃の私は、そんな想いを抱えたまま、当時よく聴いていた歌を封印しました。
気持ちを歌に込めて、冷凍保存したかったのです。
5年ほど前の、七夕の夜。
ふと思い立って、その歌を聴いてみたことがあります。
懐かしいメロディーは、確かにあの時のままでした。
でも、あの頃の気持ちは、まったく蘇りませんでした。
あんなに想っていたのに、きれいさっぱり、忘れてしまったようです。
細かいエピソードも、覚えているようで、実は正確には思い出せていないのかもしれません。
冷凍保存したはずの気持ちは、いつの間にか、ドライフラワーになっていました。
形だけが綺麗に残って、手触りや香りは、記憶の彼方。
それでも私は、これからもきっと、七夕の夜にこの思い出を辿ります。
年に一度だけ会える織姫と彦星みたいに、と言ったら、少し格好をつけすぎでしょうか。
どうか今も、あのクシャっとした笑顔で暮らしていますように。
短冊には書きませんが、それだけを願う夜です。

