保田圭モー娘。卒業コンサートの思い出写真集(2003.5.5)
保田圭さんは、「モーニング娘。コンサートツアー2003"NON STOP!"」の、さいたまスーパーアリーナ公演をもって、モーニング娘。を卒業しました。
公演は2日間4公演。
私は4公演すべて観覧したのですが(笑)、最終公演当日の写真で、あの日ことを思い出してみます。
(以下敬称略)
ところで、私は1999年、「プッチモニ」をきっかけに保田圭が大好きになり、モーニング娘。やハロー!プロジェクトのコンサートに行くようになりました。
いわゆるモーヲタです。
2002年初夏に、保田圭モー娘。卒業の発表があり、気を失うほど衝撃を受けたわけなのですが、結局、ここで紹介する2003年春ツアーで、本当に卒業してしまいました。
私は、保田圭モー娘。卒業決定をきっかけに、人生の転機を迎え、2004年頃には、モーヲタそしてハロヲタから足を洗いました。
さて、2003年5月5日、保田圭卒業公演当日です。
前日の公演終了後、高校同級生のモーヲタと上野で合流して投宿。夜中まで、何を話してたのか、作戦会議していました。
さいたまスーパーアリーナは、外までヲタがいっぱいです。【1】

アリーナ入口のあるデッキも、ヲタで埋め尽くされています。【2】

グッズです。私は、コンサートパンフレットとコンサートうちわ(メンバー集合と保田圭単体)を購入するのが常でした。【3】

すごい数の花輪。【4】

保田圭といえば、「うたばん」です。【5】

ヲタたちが、熱い思いを寄せ書きしています。【6】

保田圭は、(ネタとしての)神格化が頂点に達していました。
「うたばん」で、保田圭は、モー娘。という此岸から、三途の川の向こうの彼岸へと渡り、保田大明神になりました。三途の川への道々に立っていたのが、こののぼり旗です。【7】
司会者にひどい(と見える)扱いをされたり、子泣きじじいにされたりしても、目立たない存在だった保田圭の注目度を上げてくれたのは、「うたばん」だったと思っています。

「ダーヤスマンセー(保田圭万歳)」を叫ぶモーヲタたち。【8】

保田大明神にひれ伏すモーヲタたち。
このとき、ファンクラブ限定盤の保田圭ソロ曲「LOVE 計算ちがい」が流れてたように記憶しています。【9】

保田大明神に平伏し祈る私(手前右)。【10】
ちなみに、手前左は加護ちゃんヲタ、その前はミキティーヲタ、そのとなりのピンク特攻服は、もはや説明不要でしょう。

何度でも何度でも、ダーヤスマンセーを叫びます。パパンパパンパン(手拍子)「ダーヤスマンセー」です。
けやき広場の盛り上がりは最高潮です。【11】

いよいよ入場です。【12】

保田圭卒業公演は、2万8000人の観客を動員し、ハロプロ史上最多らしいです。
一曲目の「AS FOR ONE DAY」から全身全霊で臨みました。本当に、空前の規模と熱気でした。
終演後は、のどがつぶれて声が出ません。涙も出し尽くしました。
ヘトヘトの状態で北与野駅に向かう途中で見つけた看板。【13】
「プチ焼きオニ」で、無理矢理プッチモニに寄せるなんて、なかなかのハイセンス。
この看板を見て、だいぶ正気に戻りました。庄や北与野店の店主さん、ありがとうございます。

さて、保田圭は、料理家か何かの素敵な方と結婚し、子宝にもようやく恵まれて、幸せな人生を送っているようです。
元ヲタが嘆くような醜聞もなく、TV出演するなど芸能活動を続けていて、嬉しい限りです。保田圭ファンだった日々は、私のかけがえのない青春の1ページです。
今でも、陰ながら圭ちゃんを応援してます。
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おまけ。
写真の発掘とあわせて、処分を免れたグッズを発掘しました。
JTのジャスミン茶風中国茶「飲茶楼」のマスコット。プッチモニで揃えてみました。中央の「K.Y」が、保田圭です。【14】

少女雑誌「なかよし」の漫画「娘。物語」のマスコットフィギュア。
2022年デビューの新潟発アイドル「courtesea」(コーテシー)のアクスタと、奇跡のツーショットです。【15】

ところで、最近、若者世代では、フィルムカメラが流行っているとか。
ここに載せた2003年の写真は、すべてフィルムカメラで撮影したものです。
レトロ感ある色調がエモい、と感じるのでしょうか。
おしまい
