歩くとわかる
先日シェアしましたこちらの書籍の終わりの頁を眺めていました。
紙媒体での販売が現在はなされていない為Kindleでお求めになれます。写真だけ、言葉だけ、眼差しだけ、などどの観点からでも心潤す一冊なのでよかったらどうぞお手元にお持ちになると癒され必ずやわたしたちのちからになると思います。
生きるちからをはじめとしたあなたの望むちからが添えられる、与えられると私自身は感じています。
今回内容には触れず終わりの頁のデータにだけ着目していました。
巡礼もお遍路さんもした事がありませんがする人は好きであり尊敬の眼差しです。
それは目的以前に行為としての眼差しが私は強くなります。
自らが体が弱いからかもしれません。
すこし思うだけで胸が押し潰されその道のりを思えばくるしくなります。
もうあちこちが砕けそうになる。体が、或いは心も私のように何ていうかやわらかいとそう感じてしまうんです。特性かもしれません。
先日直近で貼りました宇宙詠みステーションの動画の記事は確か一ヶ月程前になります。
その同じ日に同じく宇宙詠みステーションの別の動画内だったかNaoyaさんとマリブレンガエルさんのお2人が何かうまくいかないとき、モヤモヤする時は旅行や移動がいいと仰っていました。
歩くのもいい、100kmは移動するといいというようなうろ覚えのはなしでごめんなさいですが。
だから旅行となれば100kmは余裕で超えるからすごくいいですよと。確かによく聞く話題ですが普段からだいすきで聞いているお二人のお話しですからすごく頷けました。
そうだなあ、わたしもあるいてみようかな、…。
そうしてそこから一ヶ月は過ぎたわけですが当初予定していた目安時期を越えた今でも数は進まず足踏み中です。どうしても体調の都合が付かない、心の元気が追い付かない。
という自然な状態を責めることなく受け容れられています。これもみんなとの毎日のおかげです、いつもありがとうございます。
一日の普通の動作をカウントせず純粋にウォーキングだけの歩数で取り敢えず100kmを牛歩の如くそれこそよちよち歩きの域でそれでも続けています。
話が散らかりましてすみません。
そうして実際に取り組んでみますと、冒頭の思いというものはよりその濃さと色を増し景色を拡げるものです。
私の足なら何kmを何分、気温や時間帯などの天候、私自身の独自の天候という気象条件によるじぶんだけのMy dataが浮かび上がります。
すると頁に記された距離の凄まじさ等々が実感を帯び始める。と言ってもこの有り様ですから入り口にそっと立つくらいの感覚と言えば伝わるでしょうか。
それでも運動に馴染みのない縁のない生活の私としては快挙というより本来なら感知し得なかった感覚です。
このまま一生生きていたとしてもこのタイムライン、この時、こうして出会う人達の顔ぶれじゃなかったら百を越えて生きたとしてこの感覚を、体験を、現在の私を経験する事は無かった事だと自分をそれなりに生きてきて断言出来ます。
身を以て知る事の醍醐味みたいな事っていうのは多分こういう事かなと思うんです。
そしてこの記事の書き始めには確かに感じていたあの苦しさが今はもう不思議と薄れている事に書きながら気付いているんです。
種類と手触りの変化。
ここは言葉にできないのでわかりづらかったらすみません。
とかく散らかっていたりぼんやりした人間ですのでこの話しのまとめとかは特にないのですがそもそも私は有言実行タイプではありません。
そして完璧主義マインドが抜けきらないので心のどこかでどうしても、実際に100km歩き切ってから発表しようみたいな気持ちというか心づもりがありました。
そんな私が途中で、道半ばでこうして取り組みについて書く事も基本的には無いです。
不用意な、不要な圧が掛かることがあるから。
しかもそれは自分が自分にかけるプレッシャー、重し。
それを、yujiさん、Naoyaさん、マリブレンガエルさん、を始めとした星の宇宙の地球の仲間が後押ししてくださった。
どこへ行かずとも得られる日々の関わりもある。
その大切さとそういった些細なよろこびや灯りの見直し、取り直しってきっととても大切です、
いま、たった今というこの時を部屋で病室で過ごす友もいますよね。私もずっと部屋でぼんやりしたり寝たりしていました。
それでも同じ経験、体験を望み味わうことは叶います。
どうかこの本やこの記事に出て来る御三方の記した綴った認めた文章や動画に触れて感じてみてください。
諦めていた事、止まっていた想いや時間、季節が巡り訪れあなたと私の心身を必ずややわらかくあたたかく潤し生きている事の嬉しさをその身にこの身に感じられる事と思います。
少なくとも私はそう信じています。どうかこの手紙があなたに届きますように。
いつもありがとうございます。
