生きる意味、そして死なない理由。
#20250516-528
2025年5月16日(金)
はじめて母がその言葉を口にしたのは、3月末だった。
生きる意味がわからない。
昨年11月に亡くなった父のお参りをしたいと母方の親族3人が実家に訪れたときだった。北国に住む親族は交通網の乱れを心配して、「春になったら」といっていた。3人のなかで、母の姉である伯母が93歳と高齢だったのもある。
親族3人に、私たち夫婦、母と珍しく6人もの人が実家に集った。
生前の父の話からそれぞれの近況など、声に声が重なり、広がった。父が亡くなってから、あの居間がこんなに賑やかになったことはなかったのだと思う。
ふと母が口をつぐんだ。
私たち夫婦とこの面々のなかで一番若い姪の息子――そういっても40代だが――に目を向けた。
「若いあなたたちにいうことじゃないかもしれないけど」
母の視線が落ち、テーブルに並んだ湯のみ茶碗のあいだを行き来する。
「生きる意味がわからないのよ」
母は言葉を続ける。
それは若いときに抱いたものとは違う。
父が亡くなり、1人暮らしになったが、興味のあることには足を運ぼうとしている。外出しない日もなにかしらすることを見つけ、片付けている。
動いているが、動いているが、なんのために動いているのか、わからない。
今はまだ亡くなった父の相続手続きが終わっていない。私が中心になって動いているが、実際どこになにがあるかは母が把握している。尋ねれば、母が戸棚や引き出しから必要な書類などを出してくる。
手続きが終わるまでは、と母は気を張っている。
それが終わっても、両親にはお墓がないため、父の遺骨をどういったかたちでどこに納めるかも決めねばならない。
まだしばらくは母が判断しなければならないことがあるが、それらがぜんぶぜんぶ済んだら。
母の目が遠くなる。
ああ。
「父のいない暮らし」は、父が亡くなった直後より、さまざまなことが落ち着いたときからが本番なのかもしれない。
母の気持ちが張りつめていることがわかった。
それは家に男手がなく、1人暮らしになった警戒や緊張感だけではない。
習い事をはじめたり、デパートに出掛けたり、あれこれ母はしているが、それを見て母が父の死から立ち直ったと思ってはいけない。早合点してはいけない。
母は言葉にしたことで、抱えていた想いを自覚し、それがたちまちふくれあがったのか、うるんだその瞳はまばたき1つしたら雫が落ちそうだ。
滅多に泣かない母の涙は、見てはいけないもののようで、私も動揺してしまう。
一度口にしたらいいやすくなったのだろうか。その日以降、母はしばしば「生きる意味がわからない」というようになった。
電話口で。
私が実家に顔を出したとき。
手続きのために外で落ち合ったとき。
「わからない、わからない」と母は訴える。
「やりたいことをすればいいって簡単にいうけどね、それも難しいのよ」
「今から何かをはじめたとして、できて、あと何年よ。いったい何になるというの」
「何かにならなければ意味がないと思っているわけじゃあないのよ。でも、何にもならないことに熱心になれる?」
そう母はいいつのる。
そして、私は母に、母が納得できる言葉を差し出すことができない。
何をいっても違うのだ。
だって、私には夫もいる。
母も私もこの先の寿命はわからないが、年齢差による体力気力の違いもある。
時間がすべてをおさまるところへおさめるのかもしれないが、それを待つあいだ、いったい何を支えにすればいいのだろう。
生きる意味。
いいかえれば、死なない理由はなんなのだろう。
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