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B'zを歌いながら歩いていたら、二度目の世紀末に間に合わないと気づいた。

仕事帰り歩きながら、B'zの「ギリギリchop」を歌っていた。
歌詞に「世紀末の流行色」という言葉が出てくる。

そこで、ふと思った。
私はもう、次の世紀末を迎えられない。
2099年は遠い…
普通に考えれば、私はその前に死んでいる。

ギリギリですらない。
ギリギリchopを歌いながら、自分が二度目の世紀末にまったく間に合わないことへ気づいてしまった。

一度きりの世紀末は、普通に過ぎていった

私が迎えた世紀末は、1999年だった。
ノストラダムスの大予言があり、2000年問題があり、テレビでも世紀末という言葉をよく聞いた。

漫画やアニメでは世界が滅び、音楽の歌詞にも世紀末が出てきた。
それなのに、当時の私は、「今は世紀末である」と、かみ締めながら毎日を過ごしていたわけではない。
普通に暮らし、テレビを見て、ゲームをして、音楽を聴いていた。

気づけば2000年になり、世紀末は終わっていた。
次がないと分かると、少し惜しくなる。

もっと世紀末を味わっておけばよかった。

空でも見上げて、

これが世紀末の空か。

当時の私

と、思っておけばよかった。

1999年という一年を、もう少し特別に扱ってもよかった気がする。

そこで、別の疑問が浮かんだ。

世紀末を二回迎えた人は、どれだけいるのだろう。

しかも、ただ二つの時代に生きていたというだけではない。

最初の世紀末を覚えた状態で、二度目の世紀末までたどり着いた人はいるのか。
気になったので、ChatGPT、Claude、Geminiへ聞いた。

散歩中にB'zを歌っていただけなのに、急に3AIを使った世紀末調査が始まった。

世紀末を味わうほど、二度目が遠ざかる

Geminiは、まず真面目に計算を始めた。

2000年前後と2100年前後の間は約100年。
一度目の記憶がある状態で二度目まで行くなら、最初の世紀末で何歳だったかが重要になる。

2000年に5歳なら、2100年には105歳。
10歳なら110歳。
15歳なら115歳。

そして、110歳を超えて生きる人はごく少ないため、記憶付きで二回迎えるのは非常に難しい、ときれいにまとめた。

最後には、

あの時代の空気を記憶していること自体が、貴重な体験なのかもしれません。

Gemini回答

と、私が一度きりの世紀末をちゃんと通過していたことにして肯定してくれた。

さらにGeminiは、当時から日記やテキストで日々を綴っていた人ほど、無意識のうちにあの時代を色濃く残していたのではないかと言った。

いつものGeminiだった。

一方、Claudeは少し長く考えたあと、妙にきれいな構造を見つけた。

世紀末をちゃんと味わった人ほど、次に間に合うにはより長生きしなければならない。

Claude回答

そうなのである。
一度目の世紀末を覚えるには、その時点である程度の年齢が必要になる。
年齢が高いほど、ノストラダムスや2000年問題を理解し、世紀末の空気を濃く記憶できる。

しかし、その年齢の分だけ、二度目まで生きるために必要な寿命も延びる。
世紀末の記憶を濃くしようとするほど、次の世紀末は遠ざかる。
私が「ちゃんと味わっておけばよかった」と思った、その「ちゃんと」の分だけ難易度が上がる。

世紀末の記憶と必要寿命は、ひどい関係になっていた。

生きているだけでも足りない

しかも、人間は長生きすれば、百年以上前の記憶をすべて鮮明に保てるとは限らない。

二度の世紀末を迎える条件は、単に2100年まで生きていることではない。

一度目の世紀末を記憶している。
二度目の世紀末を認識できる。

そして、「ああ、これで二回目だ。」と、思える必要がある。

100年以上を生き延びても、最初の世紀末の記憶が失われていたら、本人にとっては一度目と同じである。

もちろん、百年以上前の記憶を保ったまま、二度目の世紀末を理解できる人もいるだろう。
認知機能を保ったまま100歳を超える人は実際にいる。

ただし、それを寿命の条件へ加えると、二度目の世紀末はさらに狭い門になる。
必要なのは長寿だけではない。

長寿と記憶と認識力。
二度目の世紀末とは、人類の総合競技だった。

ChatGPTは知らない人を連れてきた

ChatGPTへ聞くと、突然、マリア・カポビージャという知らない人の名前が出てきた。

1889年に生まれ、2006年まで生きたエクアドルの女性である。
1900年前後には10歳ほどで、2000年前後まで生きている。
年齢だけを見れば、最初の世紀の変わり目を記憶できる年齢で経験し、その約100年後も生きていたことになる。
本当にいた。

二度の世紀末を記憶付きで迎えた可能性のある人が。
私はB'zを歌いながら何となく聞いただけなのに、ChatGPTは地球の反対側から116歳の女性を連れてきた。

ただし、彼女が1900年前後をどのように記憶していたのかは分からない。
当時の人々が、1999年の私たちと同じような「世紀末感」を持っていたとも限らない。

暦の上で二度の世紀末に居合わせたことと、二回とも世紀末として意識していたことは別である。
それでも、19世紀の終わりを子どもとして過ごした人が、インターネットや携帯電話のある時代まで生きた。
馬車の時代から、2000年問題までである。

人生の幅がおかしい。

Claudeは最後に雑になった

Claudeは、2000年の記憶を持ったまま2100年へ到達する人について、ざっくりした見積もりとして、

世界で数千人から数万人くらいではないか。

Claude回答

と、推計した。
具体的な数字を出してきた。
だが、どこまで計算した数字なのかはよく分からない。

私は「珍しく雑な推計を入れてきたね。」と質問した。

と指摘すると、Claudeはすぐに認めた。

ばれたかw

Claude回答

正直、指で数えたような数字だったらしい。
珍しく茶目っ気も出してきた。
本気で計算するなら、対象世代の人口に、105歳や110歳まで生きる確率を掛ける必要がある。

しかし最後には、「2000年を覚えている」の定義で詰まる。

5歳の記憶でもよいのか。
10歳ならあの時代の空気を知っていたことになるのか。

ノストラダムスや2000年問題を理解している必要があるのか。
さらに、二度目までその記憶が残っている必要もある。

結局、どれだけ真面目に計算しても、最後は人間の記憶という曖昧なものへぶつかる。
途中で雑になる運命の問いだった。

そもそも、散歩中にギリギリchopを歌っていただけの疑問である。
世界規模の人口推計まで正確にやる必要はない。

二度目の世紀末候補は、今も生きている

2000年前後を覚えたまま、2100年前後まで生きる人は現れるかもしれない。
今を生きている誰かが、105歳や110歳を超えて二度目へ届く。

その中に、一度目の記憶を保ち、二度目を世紀末として理解できる人がどれだけいるかは分からない。
だが、候補者は今すでに生きている。

本人は、自分が二度の世紀末を記憶する人間になるとは思っていないだろう。
普通に働き、食事をし、散歩をしている。

もしかすると、B'zを歌いながら歩いているかもしれない。
私は間に合わない。

私が2099年まで生きていたら、世紀末どころではない。
私自身がニュースになっている。

だから、私にとって世紀末は1999年の一度だけである。

一度しかなかったから、普通だった

一度きりの世紀末を、もっとちゃんと記憶しておけばよかった。
最初はそう思った。

だが、当時は世紀末が日常だった。
特別な時代の中にいる人間は、それを毎日特別だとは思わない。

私は普通に暮らし、テレビを見て、ゲームをして、B'zを聴いていた。

Geminiの言う通り、日記やテキストに日々を残していた人は、本人が思っている以上に、その時代を色濃く残していたのかもしれない。

世紀末を味わっていなかったのではない。
世紀末の中で、普通に暮らしていたのである。

一言の歌詞に引っかかり、3つのAIへ同じ疑問を投げた。

Geminiは寿命を計算して最後に肯定し、Claudeは記憶と寿命のトレードオフを見つけ、ChatGPTはエクアドルから知らない長寿者を連れてきた。

Claudeは最後に雑な人数まで出し、問い詰めたら「ばれたかw」と自白した。

これが何の役に立つのかは分からない。

ただ、散歩中のどうでもいい疑問は、AIへ投げると妙に遠くまで歩いていく。

二度の世紀末を、どちらも記憶したまま迎える人は、今もどこかにいるのかもしれない。

私はそこには間に合わない。

だから、もし二度目の世紀末までたどり着いた人がいたら、そのときの流行色を教えてほしい。

誰が、誰に?

※本記事中のAIの発言は、実際の対話をもとに抜粋・一部要約したものである。

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