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結局人は人の姿に惹かれる生き物

なぜ人の姿に惹かれるのか

普段私はストリートスナップを撮っている。
いつも見慣れた街並みを撮るためだけに大きいカメラを持ち出して撮りにでかけたりもする。
そこで撮るのはただ「歩いている人」。もちろんプライバシーに配慮し、個人と特定できないよう撮影することを前提に。

ある時からストリートスナップの魅力に取り憑かれたわけだが、人の姿を撮ることに惹かれた理由をあまり深く考えたことがなかったので、思考の整理がてらまとめてみたいと思う。
はっきりとした結論があるわけではないけど、同じようにストリートスナップを撮る人がこの記事を読んでいたら何かの足しになると嬉しく思います。

例外はあるが、基本的に人の歩く姿を街並みに合わせて撮ることが多い。
ポートレートのようにこちらを向いているわけでもなく、カメラの存在を意識していない、日常の中の一瞬。

私の性格上異端を嫌う節があるのだが、カメラを構えてその場でシャッターチャンスを待つだなんて他の人から見たらまあ異端寄りではあるだろう。
そのため、なるべく自分のことを認識してもらわずに撮影することが精神衛生上最も安定して作品に落とし込むことができると数年の撮影経験から学んだ。

つまり人の姿を撮るのは好きだけど撮影中は人に認識されたくないというめんどくさい性格が、撮影対象者の無意識が滲んだ歩く姿に魅了されるきっかけになったのではないかと分析している。

陰キャでも人の形が好き

ストリートスナップを撮る目的に「人の物語を撮っている」と評する声を聞いたことがあるが、自分の感覚とはかなり異なる。

どこまでいっても「撮った写真から私(もしくは鑑賞者)がどう思うか」しか興味がないし、「私が写真にどういう思いを込めるか」が常に主眼となっている。

誰かがそこにいた記録性を含んだ撮影を目的としているよりは、私がどういう物語をそこに感じたいか、つまり30数年生きてきた自分の人生観と突き合わせた哲学を作品として落とし込みたいし、願わくば写真を見たあなたがどう感じるかを教えてくれたら撮影者冥利に尽きる。

人の姿を見ることが好き。それは否定できないが陰キャ属性を持つ自分にとって人は3:2のフレームの中でじっと固まっていてほしいという気持ちが本音である。

現段階の考えをまとめると、
①街並みを歩く人の姿、景色に自己投影を行う
②でもなるべく撮影中の自分は認知されたくない
というふたつの思いが共存する形で撮影することが多いと実感する。

皆さまもなぜその被写体に惹かれるか、突き詰めて考えるとまた違った視点が生まれるかもしれないです。
私の考えもまだまだ浅いので深堀続けてみようと思います。

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