中卒ママが大卒看護師になるまでのハナシ
私は小学生の頃、しっかりもので学級委員長タイプだった。勉強が得意なわけではなかったが、地位と名誉に人一倍つよい執着を持っていた私は中学校受験をして県内唯一の中高一貫校に入学した。
しかし、春休みに配られた問題集には目もくれずノートを美しくまとめることに注力していた私は、中学校にはいってすぐのテストで盛大にコケた。
苦労して入った我が母校は中高一貫校という性質からか、受験校としてのプライドなのか、課題の量や勉強の方法が事細かに決められており、身動きを取らせない仕様になっていた。
人に主導権を持たれるとブチギレる体質の私は、だんだんと学校にいくのをやめていった。
そんな不登校生徒だったが、中高一貫校という体質の恩恵を存分に受け、息をしているだけで高校生になれた。
高校生になって初めての健康診断で、尿蛋白を指摘され、検査のために腎臓に針を刺したり、薬の調整のために入院したり、ラジバンダリした。
検査の結果、SLEという難病であることがわかり、今も毎月大学病院に通っている。
高校はJKという響きが素敵で、1年ほど通ってみたが頻繁に入院していたことで、あまりクラスに馴染めなくなっていた。
連休を取りすぎると、週明け仕事に行きたくなる、あの現象がおきて、二年生の初めの方に学校を辞めた。
その後、進学を考えていたので、もともとある単位に、通信制高校の単位を足して、残り1科目にした上で高卒認定試験を受け、爆速で高校卒業資格をGETした。
通信制高校に通い始めて毎日のように夜遊びに精を出していたころ、旦那を見つけた。九州男児もびっくりの俺様気質である私は、出会ったその日に、生涯のパートナーにしようと決めた。
彼は私にあまり興味を持っていなさそうだったが、粘り強さと圧倒的な自己肯定感で相手の判断力を鈍らせることに成功し、結婚できた。
私が18歳になる直前に娘が誕生し、娘が半年を迎えた頃、仕事をゲットするべく初めてのハローワークにむかった。
娘が生まれてからの半年間、運転免許、医療事務の資格をとって無敵キングだと思っていたのだが、現実はそうではなかった。
ハローワークのオジサンに「こんな小さな子供がいて、働いたことのない若い人を採用してくれる会社はない。」「医療事務の資格があっても経験がなければ意味がない。」「正社員は無理。アルバイトしかない。」と言われ、必ずオジサンより稼ぐ、と心に誓った。
そうして人生に怒りのスパイスを少々追加した私は、トリュフを見つける豚並の嗅覚と、得意のネットサーフィンで、月1万円以下で通える公立の看護専門学校を探し当てた。
格安看護学校の受験がそこから2ヶ月後であったため、その日のうちに受験科目の教科書をかき集め、寝ている娘を背中にかつぎ、受験勉強を開始した。
受験は3教科で全て高校一年生の内容であったため、なんとか小指の爪をひっかけて合格した。
入学後、学びたいやつは学べ、他は知らん!というフリースタイルが私にシンデレラフィットした。
元々ものづくりが大好きであったため、看護記録は大好物であったし、強制されない勉強はやる気がでるので、テスト、実習で何不自由することなく走りきり主席で卒業した。
卒業後、大学教員の仕事や研究活動に興味をもち、大学院に進学することを思い立った。
しかし、私は専門学校の卒業資格しか持っておらずら大学で大卒資格を取得するか、学位授与機構で試験を受ける必要があった。
最もコスパのいい選択肢を模索し、働いて臨床経験を稼ぎつつ、放送大学で単位を集めた上で学位授与機構でテストを受けることで大卒資格をGETした。
その詳しい方法は別の記事で紹介している。
現在は、手術室看護師をしながら、大学院生をしている。博士号をとり、大学教員として生きていく予定だ。
