漫才論| ⁶³「ダウンタウンが漫才をしない理由」の考察
ダウンタウンの漫才は「その後のほとんどの漫才師に影響を与えた」と言っても過言ではありませんが,それにもかかわらずダウンタウン自身は,「ダウンタウンの流」[1991年]というビデオを最後に漫才を披露していません
浜田さんは,「最後は決まってる。最後は花月で漫才する」と言っていましたから,「漫才をやめた」というわけではないと思います(その思いが今でも変わっていなければ)
コンビ仲が悪いわけでもなく,今でもコンビで活動しているにもかかわらず,ダウンタウンが漫才をしないのはなぜなのでしょうか?その理由を考えてみました
"ほぼ漫才"のようなフリートーク
ダウンタウンの漫才は元々,「立ち話」もしくは「フリートーク」のようなスタイルです。「ガキの使いやあらへんで!」という番組でのフリートークは,"ほぼ漫才"と言われたりもします
「"ほぼ漫才"のようなフリートークができるのであれば,漫才もすればいいのに」と思われるかもしれませんが,むしろこれが,ダウンタウンが漫才をしない一番の理由ではないかと思います
フリートークの"付加価値"
フリートークには漫才とは違い,「その場で思いついたことを言っている」という付加価値がついています。だからこそ,聴いている人はそれを「すごい!」と思います。加えて,即興だからこその「リアクション」や「ライブ感」もフリートークの魅力です。しかしそれを,「これは漫才です」という形でみせてしまうと,その「付加価値」がなくなり,「ライブ感」も落ちます。お客さんは,「ちゃんと準備してきた漫才」だと思ってみるからです
ですから,元々「フリートーク」のようなスタイルの漫才をやっていて,実際の「フリートーク」でも十分に笑いをとれるダウンタウンの場合,漫才をやるメリットがほとんどありません。フリートークをそのまま「漫才」にしても笑いの量が落ちるだけですし,それをちゃんとした「漫才」に仕上げるとなると手間がかかります。フリートークで十分笑いをとっているのであれば,「手間をかけて漫才にした分だけ笑いの量が増える」というわけでもなそうですし,そうなるともう「漫才」ではなく「フリートーク」でいったほうがいいという話になります
「照れ」や「恥ずかしさ」
長年,漫才ではなくフリートークでの掛け合いをやってきたので,準備してちゃんとしたネタをやることへの「照れ」や「恥ずかしさ」のようなものもあるような気もします。浜田さんが言うように「最後だから」とか,何か特別な理由がないと,なかなか「漫才をやろう」という話にはならないのかもしれません
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「みんなで作る漫才の教科書」とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです
THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」
フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔 出演: おせつときょうた
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あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】