重文 木造地蔵菩薩立像 快慶【藤田美術館100選-6】
藤田美術館100選
コレクションを1点ずつ取り上げ、一問一答形式で掘り下げるコラムです。少しでも楽しく分かりやすく古美術を学ぶことができますように。
美しすぎるお地蔵さま
―地蔵菩薩とは何ですか?
釈迦が亡くなった後の世界に弥勒菩薩がやってくるまでのあいだ、私たちを救い導いてくれる存在です。地獄に落ちた人も、雲に乗って助けに飛んできてくれます。平安時代以降、現世での業を身代わりとなって引き受けてくれる仏として広く信仰されました。

―これは飛んでいる姿ってこと?
はい。仏や菩薩は、雲に乗って移動します。この地蔵菩薩も雲に乗っています。さらに、横から見てみると前傾姿勢になっていて、棚引く雲の尻尾が見えるので、かなりスピードを出して下方、つまり地獄に向かって飛んでいるように表現されています。


―手には何を持っているんですか?
錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)です。錫杖は、揺すると上部の小環がシャラシャラ鳴る仏具です。宝珠は、あらゆる願いを叶える不思議な珠のこと。この2つを持ち、頭を僧侶のように丸めた姿が、地蔵菩薩を表現する定番スタイルです。

―何でできていますか?
ヒノキなどの針葉樹を彫って、日本画と同じような顔料で全体に彩色を施しています。 瞳は水晶玉を入れる玉眼(ぎょくがん)という技法です。 後光をあらわす光背(こうはい)は、金属製です。


―どれくらいの大きさですか?
頭から足までが60㎝ぐらいです。小柄です。
―誰が作った?
快慶が作りました。
―快慶とは、どんな人?
快慶は鎌倉時代を代表する仏師で、運慶とともに東大寺南大門にある仁王像の制作にも関わっています。快慶の作った仏像は多く残っていますが、生没年や出身など個人的な情報はほとんど明らかになっていません。
―たしかに快慶と運慶って、セットでよく聞きます。
同じ師匠のもとで学び活躍した兄弟弟子ですからね。作風には違いがあり、快慶は平面美を追求して繊細な美しさにこだわる一方、運慶は塊のような力強い造形が特徴です。
―いつ作られたものですか?
足裏に、台座(蓮台)に固定するための突起があります。そこに、「巧匠 法眼快慶」と署名があります。法眼(ほうげん)とは、僧侶の位に準じて仏師や絵師などに与えられた位のこと。快慶の法眼位は1208年~1227年頃ですので、本像はこの期間に作られたと考えられています。

―快慶がひとりで作ったのですか?
いえ、ひとりではなく、工房で制作したものです。 もう片方の足裏にある突起に「開眼 行快」との署名があり、快慶の弟子・行快(ぎょうかい)が、玉眼を担当したと分かります。

―色がとてもきれいです。塗り直したのでしょうか?
この彩色は快慶が作った当時のままで、修理等で塗り直しはしていません。色がこんなに綺麗に残っているのは、厨子(ずし)に入っていたからかもしれないですね。
―よく見ると細かい金の模様がありますね。
截金(きりかね)という技法です。金箔を糸のように細く切り、膠(にかわ)という動物の皮や骨などを煮詰めて作った接着剤で貼り付けています。截金がこんなに状態よく残っているのも凄いんですよ!


―胸の飾りもとてもきれい。
「瓔珞(ようらく)」といって、宝石を連ね、仏像を装飾するものです。このように仏像や寺院を美しく厳かに飾り立てることを、専門用語で「荘厳(しょうごん)」といいます。荘厳することは、仏への信仰心そのものです。

―もともとどこにあったか、分かっている?
奈良の興福寺です。境内で撮影された、明治39年の古写真から分かっています。 ただ、作られた当初から興福寺にあったかどうかは分かりません。快慶が造像に関わった、奈良の他の寺にあった可能性もあります。
―やっぱり奈良なんですね。
地蔵菩薩は特に奈良で信仰を集めたのです。奈良の春日大社三宮では、本地仏(ほんじぶつ、神の本来の姿)として地蔵菩薩が表現されました。春日野(現在の飛火野 )の地下にあるとされる地獄から罪人を救済するという信仰と結びついたと考えられています。
―なぜ藤田美術館にあるんですか?
明治時代、廃仏稀釈で荒廃した興福寺が、復興を目指して破損仏を売却した際に含まれていました。実業家で茶人の益田鈍翁(どんのう)が一括購入し、そこから何らかの経緯で藤田家に引き取られたと考えられます。
―ひとことで言うと?
着衣の橙色と緑色のコントラスト、輝く截金など、小柄ですが気品あふれる美しい像。
★2026年1月6日~31日まで特別展示!ぜひ見に来てください!
【今回の作品】重要文化財 木造地蔵菩薩立像 (もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう)
快慶 鎌倉時代 13世紀
彩色と金箔で装飾された美しい像で、興福寺に伝来。足に「巧匠法眼快慶」と「開眼行快」の墨書銘があり、快慶と弟子行快によって1208年から快慶が没したと考えられる1227年の間に作られたことが分かる。蓮台の周囲にしっぽのある雲が作られ、像が前傾姿勢であることから、地獄へ落ちたものを救う来迎形だと考えられる。
【今回書いた人】前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。
