ダリとミツバチ、ガラ
先日、講義の資料を作る中で、シュルレアリストであるダリの作品画像を改めて見返していた。すると、写真や作品の中にダリの妻でありミューズであったガラの存在の強さが目に止まった。ダリといえばガラ、というお馴染みの組み合わせを昔は特に意識していなかったが、いま見ると「ガラの魅力とは何だったのだろう」と気になり、資料作りからふと気が逸れてしまった。
ガラは詩人ポール・エリュアールと婚姻中にダリと関係を持ち、その後ダリと共に生きた。年齢を重ねてからも若いアーティストたちと自由に恋愛していたと言われている。だが、彼女の魅力を、捉え所のない自由な女で性的に奔放だったから、と説明してしまうのは、あまりにも浅い。
ダリの絵画には、しばしばアリやミツバチが描かれる。ガラを蜂に喩えることもあったという話を記憶している。蜂は、蜜の甘さと毒針の危うさを併せ持つ存在である。それ以上に重要なのは、受粉のための介在者であるという点だろう。
子どもをつくるには男性と女性が必要であるように、絵画においても、作家の内にある男性性と女性性が交わることで、一枚の図像が構成されると私は考えている。通常それは、内的な作業として一人で行われる。けれどもダリの場合は自身の外にあるガラに、その役割の一部を担わせていたのではないだろうか。ガラが女性であるから単純に女性性を引き受けていた、という話でもない。むしろ自由に飛び回る彼女に対し、ダリは深い思索に根ざした、受け身の薔薇のような存在に感じられる。
インスピレーションの供給や現実的なプロモーションといった役割を、ミツバチのようなガラが担うことで、ダリは花開き、実を結ぶことができたのだろう。少なくともガラの死後、ダリは作品制作を行なわなくなっている。
絵を描くという行為は、言うまでもなく技術だけで成り立つものではない。さまざまな背景が合わさり、一枚の図像が成り立つ。ダリがサインにガラの名前を併記していたことも、二人にとってはごく自然な行為だったのだと、資料作りの合間に妙に腑に落ちた。

横たわるガラがモデルになった作品
