【短編小説】蒼い旅路
失ったあとで知った。世界は君の痕跡だらけだ。
──ここは不思議な、宇宙の迷宮。
銀河を歩く少女ルナは、名前もない航路をひとりで渡っていた。
……と言っても、本当の意味でひとりではない。
足元には、うさぎを思わせる姿をした小さな自律型機械──ペロッチがいる。
マシュマロのような身体についた短い足を懸命に動かしながら、置いていかれまいとルナの後を追いかけていた。
二人が歩くのは、星と星のあいだに生まれた淡い光の道。
遠くでは銀河がゆっくりと渦を巻き、無数の星々が夜の海に浮かぶ泡のように瞬いている。
時折、誰かの記憶を乗せた光の粒が流れてくる。それは宇宙が落としていった、小さな手紙のようだった。
「ルナ」
カチャンと、小さな機械音と可愛らしい声が響く。
「今日ノ散歩ルート、算出完了」
ペロッチの瞳が青く点滅する。
「通常航路ヨリ少シ遠回リ。デモ、珍シイ星雲ガ見エル」
「へえ」
ルナは振り返り、ペロッチが出したホログラムに手を伸ばす。
その向こうで、まだ名前のない星々が静かに輝いていた。
「面白いルートを見つけたね」
「ペロッチ、優秀」
「自分で言うんだ」
「事実ノ報告」
ルナは思わず笑った。
星々のあいだを縫うように漂う「銀河散歩」は、ルナとペロッチの趣味だった。
知らない星を見つけること。
遠い銀河の果てから届く、誰かの歌声を拾うこと。
星屑に埋もれた記憶の欠片へ、そっと触れること。
その趣味はルナにとって特別なことではなく、
ペロッチと過ごすいつもの旅の一部だった。
「ねぇ、ペロッチ」
「ナンダ?」
「今日はなんだか、変な感じがする」
理由は分からない。
ただ、どこかに置き忘れた大切なものがあるような気がして、ルナは足を止めた。
流れていく星の光。
遠くで瞬く、名前も知らない星々。
いつもと同じ景色のはずなのに、なぜか今日は少しだけ違って見えた。
答えはどこにもない。
ただ星々の残響だけが、静かな波紋のように宇宙を漂っていた。
ルナが黙り込むのを見て、ペロッチの耳が小さく揺れる。
「今日ノ、ルナ」
「ん?」
「少シ、静カ」
ルナは瞬きをする。
「え?」
「イツモヨリ、星ヲ見テル時間ガ長イ」
「……」
ペロッチは小さな身体で、ルナの顔を見上げた。
「何カ、聞コエルノカ?」
その言葉に、ルナは少し考える。
「……分からない」
「ソウカ」
ペロッチは短く答える。それから、いつもの調子で続けた。
「デモ、ルナガ変ダト思ウナラ、キット何カアル」
「ペロッチ……」
「散歩ヲ続ケル?」
ルナは少し迷ってから、静かに首を振る。
「今日は散歩をやめようか」
ペロッチの瞳が青く点滅する。
「スリリング ナ 予感ッテ コトカ」
「なにそれ」
思わず笑いがこぼれる。
「ペロッチ ハ、ルナ ノ 直感ヲ信じるゾ」
「それ、絶対適当に言ってるでしょ」
「否定スル根拠ハ?」
「……ないけど」
ルナが笑った、その時だった。
──光が、ひとつ。
その光は星々の軌道から外れていて、夜の海へ落ちていく雫のように揺らめいた。
ルナは息を呑む。
知らないはずなのに、初めて見る光のはずなのに。不思議と懐かしい。
なぜか、ずっと探していたもののように感じた。
✳︎
吸い寄せられるように進んだ先で、ルナとペロッチはひとりの少年に出会う。
そこは、星屑の降り積もる宙の墓標だった。
無数の記憶が眠る静かな場所。流れる時間さえ、ここだけ違っているようだった。
「──あの子……」
ルナは足を止める。
見慣れない姿の少年。淡い銀色の髪は、遠い星雲の光を映すように揺れていた。
そしてその瞳は、夜空の奥に隠された海のような青く澄んだ色だった。
その前に立つ少年は、ルナがまだ訪れたことのない星──ラヴィオンの住人だった。
少年は、誰かの名前を呼ぶように小さく口を動かしていた。その声は、星屑の中へ消えていくほど小さい。
ひとつ風が流れ、カチャン、とペロッチの小さな足音が響いた。
その気配に気づいた少年が、慌てたように振り返る。
青い瞳には涙が残っていた。
頬を伝う一筋の雫が、星明かりを受けて淡く輝く。
「あ……」
少年は一瞬、困ったような顔をした。
見られたくなかったのだと、ルナにも分かった。
銀色の髪は遠い星雲の光を映すように揺れていて、その姿はあまりにも静か。この宇宙からひとりだけ取り残された夢のようだった。
ルナは思わず立ち尽くす。
──綺麗だ。
それが、彼を見た最初の感想だった。
けれどよく見ると、その表情は綺麗なんかじゃなかった。泣くのを必死に我慢している顔だった。
「……なに見てんだよ」
少年は慌てたように涙を拭う。乱暴な仕草とぶっきらぼうな声。
でも、その動きの奥に隠しきれない寂しさが滲んでいた。
「ご、ごめんなさい」
ルナは慌てて首を振る。
「その……綺麗だなって思って。つい」
言った瞬間、自分が何を口にしたのか理解した。
頬が熱くなる。
「……は?」
少年は目を丸くしてから、困ったように眉を寄せた。
「初対面の相手に言うことじゃないだろ、それ」
「そ、そうだよね……ごめん」
「いや……」
少年は少し黙ってから、小さな声で言った。
「……変なやつ」
呆れたような言葉なのに、なぜだか少しだけ優しく感じた。
その瞬間。
ずっと前から、この声を知っていたような気がした。
どこか遠い場所で、もう一度会うことを約束していたような──そう思った時、銀河は静かに音を失った。
広すぎる宇宙の中で、世界は目の前の少年だけを残す。そして聞こえるのは、ルナ自身の鼓動だけ──。
その沈黙を破ったのは、ペロッチだった。
「──ルナ、ソレは口説いているノカ?」
「ペロッチ!!」
ルナは悲鳴を上げる。
「な、なんてこと言うの!?」
「ダッテ、ソウダロ?」
「違うから!」
「本当カ?」
「本当!」
たぶん。きっと。おそらく。自信はなかった。
そのやり取りを見ていた少年の肩が、小さく震える。そして、堪えきれなくなったように笑った。
さっきまで泣いていたのが嘘みたいな笑顔だった。
その顔を見て、ルナは思った。
──よかった。
泣き顔より、ずっと似合う。
まだ名前も知らない。どこの星で生まれて、どんな景色を見てきたのかも知らない。それなのに、この人には笑っていてほしいと思った。
星屑の流れが、二人のあいだを通り抜ける。
「……セス」
少年は照れ隠しみたいに呟く。
「俺の名前」
その名前が胸に落ちた瞬間。
遠い星の光が長い時間をかけて届いたように、ルナの心を静かに照らした。
✳︎
その日から、ルナは毎日のようにセスに会いに行った。
銀河を散歩していても、珍しい星を見つけても、遠い場所から届いた歌を拾っても。
「これを、セスに教えたい」
そう思う自分に気づく。
いつの間にかセスは、ルナが見つけたものを一番に届けたい相手になっていた。
ルナが訪ねた星の話をすると、セスは楽しそうに耳を傾けてくれたし、セスが語る遠い星の物語を聞けば、ルナは何度でも新しい宇宙を見つけた気がした。
毎日は星明かりのように輝いているのに、会えない時間だけが少し長く感じるようになった。
綺麗な景色を見つけた時、新しい歌を拾った時。隣にいてほしいと思う人がいる。
その名前を思い浮かべるだけで、胸の奥は小さな星でいっぱいになった。
✳︎
ある日、ルナは得意げに胸を張った。
「セス。会いに行く時の交信を歌にしてみたよ」
「交信を?」
セスは首を傾げる。
その仕草には呆れたような響きはなく、ルナが何を見せてくれるのか楽しみにしているような、柔らかな眼差しがあった。
「そうだよ」
ルナがペロッチを見る。
「ペロッチ!」
呼ばれたペロッチの瞳が、ぱちぱちと点滅した。
次の瞬間。
《 L-025 and S-04──L-025 and S-04 ♪》
無機質な座標コードがやわらかなメロディへ変わり、星々のあいだへ小さな音が溶けていく。
セスはしばらく、ペロッチを見つめていた。
無機質な座標コード。
本来ならただの通信情報でしかないはずの音なのに、こんなにも優しい歌になるなんて。
「……っ」
セスの肩が小さく震えた。そして、堪えきれなくなったように吹き出す。
「いいでしょ?」
ルナは感想を待ちきれないように、少し身を乗り出した。
セスはまだ笑いをこらえきれないまま、首を振る。
「面白すぎる」
「それって褒めてるの?」
ルナはぷくっと頬を膨らませる。
「褒めてる。ちゃんと褒めてるよ」
そう言って、セスはペロッチの頭をそっと撫でた。
「ペロッチは歌が上手いな」
「ホメラレタ」
ペロッチの瞳が嬉しそうに点滅する。
小さなしっぽも、いつもより少しだけ誇らしげに揺れた。
「えっとね。私が歌った音声データを……覚えさせたんだよ」
最後のところだけ、少し小さな声になった。
さっきまで得意げに話していたのに、自分の歌だと伝える瞬間だけ少し照れくさい。
セスはそんなルナを見て、ふっと笑った。
「なるほどな」
そして、ペロッチを見る。
「じゃあ、ルナの歌をずっと覚えてるんだな」
その言葉に、ルナは少しだけ目を瞬かせた。
ただのデータでただの記録。そう思っていたものが、セスに言われると不思議なくらい大切なものに変わった。
「……うん」
小さく頷いて、ルナは笑う。
セスも笑った。その笑顔を見るだけで、胸の奥に小さな星が灯るようだった。
「──ルナは、なんでも作れるんだな」
「そうかな?」
「そうだろ。すごいなって思ってた」
迷いなく返されて、ルナは少しだけ目を瞬かせる。そんなふうに言われると思っていなかったし、セスの方がすごいと思っていたからだ。
星のこと。そこに暮らす住人たちのこと。
遠い銀河で生まれた歌のこと。
ルナの知らない世界を、セスはたくさん知っている。
「私、セスの話もっと聞きたい」
気づけば、言葉はすぐに出ていた。
言ってから少しだけ恥ずかしくなる。でも、本当のことだった。
「そんなに面白いか?」
「うん」
今度は少しだけ胸を張って答える。
セスは驚いたように瞬きをして、それから照れくさそうに目を逸らした。
「……変なの」
「え?」
「そんな真っ直ぐに言ってくれるやつ、初めて会ったから」
「そうかな?」
「そうだよ」
小さく笑って、セスは空を見上げる。
「じゃあ今日は、月の欠片で団子を作り続ける職人の話と、ブラックホールお化け伝説の第三弾だ」
「げっ!」
ルナは顔をしかめた。
「ブラックホールお化けの伝説は、聞くのに勇気がいるよ……」
「ん? この前、面白いって言ってただろ? さては強がりだったか?」
「だって〜」
二人が言い合う横で「セス」と、ペロッチが割り込んだ。
「ペロッチも、輪ノ中ニ入レテクレ」
短い手が、セスの腕をちょん、と突く。
「ペロッチ、少シ寂シイ」
「悪い悪い」
セスは笑いながらペロッチを抱き上げ、膝に乗せる。
「ほら、特等席だぞ」
ペロッチは二人を見上げる。
「ルナ ト セス、仲良シ。ソレハ、ペロッチ モ、嬉シイ」
「……」
セスは少し驚いたように瞬きをする。
「ルナを取られて怒ってるのかと思った」
「ペロッチハ、ソンナ小サナ存在ジャナイ」
短い腕を組みながら、ペロッチの瞳がぴかりと光る。
「セスハ、ルナガ大切ニシテル人」
「……」
「ダカラ、ペロッチ ニトッテモ、仲間ダ」
何でもないことのように言うペロッチ。その言葉がセスの胸に静かに落ちた。
「……ありがとうな、ペロッチ」
三人の笑い声がゆっくりと溶けていく。
セスが星の話をしている途中で、ふと黙る。
「……ごめん」
「え?」
「こういう話、しても仕方ないと思ってた」
「どうして?」
「俺の星はもう……なくなったものが多いから」
ルナは少し考えてから言う。
「でも、セスが覚えてるなら、なくなってないよ」
「……」
「だって、私、今その星のこと知ったもん」
セスは目を瞬かせる。
「……相変わらず、変なやつだな」
「よく言われる」
「そうじゃなくて」
セスはルナを真っ直ぐに見つめて、小さく笑った。
「そういうところ、すごいと思う」
セスの言葉に、ルナは一瞬だけ言葉を失った。
そんなふうに真っ直ぐ褒められることに慣れていなくて、胸の奥が少しだけくすぐったい。
「……えっと」
何か返さなければと思うのに、うまく言葉が見つからない。
照れ隠しみたいに視線を逸らして、ルナは慌てて別の話を探した。
「ところでさ。セスの夢ってなに?」
「夢?」
セスは少し意外そうに瞬きをした。
そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、しばらく黙り込む。
やがて、照れ隠しみたいに頬をかきながら、少しだけ視線を逸らした。
「──星が違う人にも届く歌詞を書きたい」
ルナは目を丸くする。
「意外!」
「だろ?」
セスは苦笑する。
「もっと別のことを言うと思ったか?」
ルナは首を傾げた。
「だってセス、ちょっとぶっきらぼうさんだもんね」
「……お前なぁ」
そう言いながらも、セスの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
ルナはその表情を見て、少し嬉しくなる。
出会った頃のセスは、いつもどこか遠くを見ていた。まるでもう戻れない場所を探しているみたいに。
でも今は、目の前の星を見ている。
「でも……なんだか、セスらしい気がする」
「そうか?」
ルナは頷く。
「セスは、素敵な言葉をたくさん知ってるから。きっと、いろんな星の人の心に届く歌詞になると思う」
迷いなく言われたその言葉に、セスは一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、照れたように小さく笑う。
「……ルナって、本当にそういうことを簡単に言うよな」
「え?」
「普通は、そんなふうに信じてもらえると思わない」
その声には、少しだけ驚きが混じっていた。
ルナは首を傾げる。
「だって、本当にそう思ったから」
「……やっぱり、変なやつ」
「また言ったぁ」
「褒めてるんだよ」
「分かりにくいよ」
笑い声が、静かな星屑の中へ溶けていく。
「そういうルナの夢は?」
「私?」
ルナは目を丸くする。自分の夢を聞かれるとは思っていなかった。
少し考えるように空を見上げる。
けれど、不思議と答えはすぐに浮かんだ。
「私の夢はね。音声機とか通信機をもっと改良して、歌をいろんな星に届けることかな」
セスは驚いたように目を瞬かせ、そしてゆっくりと笑った。
「俺たち、同じ夢だな」
その言葉が嬉しくて、胸の奥がいっぱいになった。
「……ペロッチ」
セスの膝の上に座っていたペロッチが、小さく呟いた。
「ルナ ト、セス」
ペロッチの瞳が、ぱちぱちと点滅する。
「夢ガ同ジナラ、ペロッチ ノ夢モ、ソノ中ニ入レテホシイ」
ルナが目を丸くする。
「ペロッチの夢?」
「ソウダ」
ペロッチは胸を張る。
「二人ガ作ッタ歌ヲ、聞クコト」
「……」
セスがふっと笑う。
「それ、夢って言うのか?」
「ペロッチ ニトッテハ、大切ナ目標」
「そっか」
セスは優しくペロッチの頭を撫でた。
「じゃあ、一緒に叶えないとな」
「了解」
ペロッチの耳が嬉しそうに揺れる。
どうしてだろう。
ただ夢を話しただけなのに、ただ同じだと言われただけなのに。
まるで、これから先もずっと隣にいられる約束をもらったみたいだった。
けれど、銀河は彼らの時間を長くは許さなかった。
✳︎
──銀河戦争。
それは、星と星の意思が衝突した戦い。
兵器だけではなかった。
記録を焼き、歴史を書き換え、時には人々の記憶さえ奪っていく。
昨日までそこにあったはずの街が消える。
昨日まで誰かが口ずさんでいた歌が、誰のものだったのかさえ分からなくなる。
そんな戦争だった。
ルナの住む星の人々は、ラヴィオンを次々と襲った。
戦況速報が流れるたび、セスの星の名前が表示されるたび、ルナの胸の奥は冷たく沈んでいった。
ある日。
二人はいつもの場所で向かい合っていた。
星屑の漂う静かな航路。
けれど、もう以前と同じ景色ではなかった。
「──ルナ」
セスのその声だけで、何かを悟ってしまった。
「もう、俺はルナに会えない」
ルナは息を止めた。
いつか来ると分かっていた。でも本当に言葉になった瞬間、宇宙からすべての音が消えたようだった。
「……」
何か言わなければいけない。
違うと言いたかった。私じゃないと言いたかった。
でも、誰かがセスの大切なものを奪ったことだけは、変えられない事実だった。
セスの横顔は初めて出会った日の泣き顔よりも、ずっと悲しそうだった。
「ルナの星の人が、俺の星の人を殺しても……」
セスの声が震えている。ルナは俯いた。
「……ごめん」
やっと出た声は、あまりにも小さかった。
謝っても何も戻らないいし消えないと分かっているのに、それでも言わずにはいられなかった。
セスは首を横に振る。
「違うんだ。ルナには関係ないし、ルナを嫌いになったんじゃない」
優しい言葉で、ルナにとっては甘い言葉だった。だからこそ、苦しかった。
「ルナに会うまで、俺はもう何も残ってないと思ってた」
セスは言葉を探しているようだった。
「でも、ルナと出会ってから、また未来のことを考えるようになった」
セスは泣きそうな顔で笑っている。
「もし、ルナと一緒にいていいなら……俺、悪魔にだってなってみせる」
ルナは顔を上げ、セスの顔を見た。彼の青い眼は揺れていた。
「それくらい……ずっと一緒にいたいって思った」
セスの言葉を聞いた瞬間、言わなきゃ。と思った。
ずっと一緒にいたいって。
会えなくなるのは嫌だって。
──好きだって。
なのに、声にならなかった。
喉元がキュッと絞られる感覚に、ただ唇が震える。
「セス……」
伝えたい言葉も届けたい言葉もたくさんあったのに、何も言えなかった。
✳︎
やがて戦況はさらに悪化し、銀河散歩は禁止された。
ルナはもう航路へ出られなくなった。
けれど、禁止になったから会えなくなったわけじゃない。
たとえ航路が開いていても、たとえ銀河の果てまで行けたとしても、ルナはセスに会えなかった。
自分の大切な人たちが、セスの大切な人たちを傷つけている。その事実が、身体中に絡みつく鎖になった。
彼は歌詞を書きたかった。私は歌を届けたかった。
ただ、それだけだったのに。
星が違う人にも届く歌を、一緒に作ろうとしていただけなのに。
別々の星に生まれて、それでも同じ夢を見つけたはずだったのに。
──じゃあ俺たち、同じ夢だな
そう言って笑った声が、何度も何度も蘇る。
同じ夢を見て、だからひとりじゃないと思えた。
ルナは知ってしまった。
人がひとりになる瞬間は、大切な人を失った時じゃない。
もう会えないのだと、知ってしまった時なのだと。
✳︎
戦争のあと。
ルナの航路には、静寂だけが残った。
もう誰もいない。
歌も、笑い声も聞こえない。
ただ星々だけが、何事もなかったように瞬いている。
それなのに、ルナは気づいてしまう。
この宇宙のいたるところに、セスの気配が残っていることに。
髪の匂いのような、淡いデータの残滓。
振り返った先にある、後ろ姿みたいな光の揺らぎ。
誰かの声に呼ばれた気がして振り向けば、そこにいるのは知らない人。遠くに見えた影を追えば、ただの星屑。
それでも、胸だけは勝手に期待してしまう。
──もしかしたら。
もしかしたら、まだどこかにいるのではないかと。ありもしない奇跡を探してしまう。
「──失ってから、こんなにも見つけてしまうなんて」
掠れた声は、涙と一緒に宇宙へ溶けていった。
会えなくなって初めて知る。
好きだった人は、思い出の中に閉じ込められるんじゃない。
一緒に歩いた航路にも、見上げた星にも、何気なく交わした言葉にも。その人は、世界のあらゆる場所に残ってしまうのだ。
星は今日も綺麗だった。海のような星雲は深く、空間はどこまでも広がっている。
かつてセスが教えてくれた星々が、変わらない光を放っていた。
その美しさが、優しさが、かえって彼のいない場所を鮮明にした。
この景色を見せたかった。
この歌を聴かせたかった。
そんな願いばかりが、胸の奥に積もっていく。
──会いたい。
誰にも届かないと分かっているのに、それでも零れてしまう。
──会いたい。
もう一度だけでいい。
笑ってほしい。
名前を呼んでほしい。
あの日みたいに、「同じ夢だな」と言ってほしい。
ルナは目を閉じる。すると不思議なことに、忘れかけていた声だけが鮮明に蘇った。
──じゃあ俺たち、同じ夢だな
泣くことにも慣れたはずなのに、その一言だけで息が詰まりそうになる。
そのときだった。
足元で、かちり、と、小さな金属音が鳴った。
静まり返った宇宙に、まるで運命がもう一度動き出す音のように。
✳︎
「ルナ」
足元から聞こえた声に、ルナは顔を上げた。
そこにはいつものように、うさぎ型ロボットのペロッチがいる。
セスと笑い合った日も泣いた日も、ずっと隣にいた小さな相棒。
ペロッチの瞳が静かに光る。
「戦争区域ヲ、突破スル必要ガアル」
機械音声はいつもと変わらない。
なのに、どこか覚悟を決めたように聞こえた。
「通常航行デハ、無理ダ」
ルナは息を呑む。
戦争区域。
そこは無数の航路が失われた場所。
帰れなくなった船も消えてしまった星も、たくさんある。
「ペロッチ……何を考えているの?」
ペロッチは答えない。代わりに短い耳がぴくりと揺れる。
「ペロッチ……?」
ほんの数秒の沈黙。けれど、それはまるで長い時間を考えていたように見えた。
そして。
「ルナ」
いつもより少しだけ優しい声で呼ぶ。
「ペロッチ ハ、知ッテイル」
ルナが目を見開く。
「ルナガ、毎日セス ノ、話ヲシテイタコト」
「……」
「会エナク、ナッテカラモ」
「……」
「ズット、探シテイタコト」
胸が苦しくなる。
ペロッチは全部知っていた。
言葉にしなくても、隣で見ていたから。
「ルナ」
もう一度、小さな声で呼ぶ。
「会イタインダロ?」
その一言で、張り詰めていたものが壊れそうになった。
ルナは唇を噛む。泣きたくなかったから。
──でも。
「……会いたい」
思わず声が震える。
「会いたいよ……」
ようやく零れた本音に、ペロッチは静かに頷いた。
そして、丸い身体が音を立ててほどけ始める。
金属骨格が展開し、内部で眠っていた星間機関が目を覚ます。
銀色の粒子が舞い上がる。
小さな耳は翼へ、丸い身体は船体へ。
ルナが知っているペロッチが、ルナの知らない姿へ変わっていく。
それはまるで、眠っていた本当の姿を初めて見せたようだった。
「ペロッチ……」
変形が終わる。
そこにいたのは、翼を持つ小さな飛行船。
けれど、ルナには分かった。
姿が変わっても、それはペロッチなのだと。
ずっと隣にいてくれた相棒なのだと。
飛行船の先端で、ふたつの光が笑うみたいに優しく瞬いた。
「ペロッチ ニ、乗れ、ルナ」
それは命令でも励ましでもない、置いていかないという約束。どこまでも一緒に行くという誓いだった。
「会イニ行コウ」
ルナは目を見開く。
「二人デ」
その瞬間、ルナは初めて気づいた。
自分はずっと、一人で苦しんでいるのだと思っていた。
でも違った。
セスを失ったあとも、泣いていたあとも、旅に出る勇気を失ったあとも。
ずっと、ペロッチだけは隣にいてくれたのだ。
ルナはそっと飛行船に手を触れる。金属なのに、不思議と温かかった。
「……うん」
涙を拭い、そして笑った。
「行こう、ペロッチ」
「了解」
飛行船の光が、嬉しそうに瞬く。
前を向くと、銀河の風は涙の跡が残るルナの頬をそっと撫でていった。
「セスに会いに行こう」
飛行船は静かに浮かび上がる。
暗く裂けた戦争区域。失われた航路。記録から消された星々。
そのすべてを越えるように、ペロッチは翼を広げた。
銀河の裂け目へ向かって、ひとりの少女と一匹の相棒の旅が始まる。
──ルナは歌う。
かつて三人で笑い合った、あの歌を。
── L-025 and S-04。
── L-025 and S-04。
どこかから返事が返ってくるのを待つように、遠い宇宙へ歌が溶けていく。
「私の声、聴こえてますか」
小さく問いかけてみる。返事はない。
「もっと教えてほしい」
それでも、歌は続く。
「いろんな星のこと、いろんな君のこと」
返事はないけれど、不思議だった。
銀河のどこかで同じように空を見上げながら、同じ歌を口ずさんでいる誰かがいる気がした。
──届いてますか。
誰かの声が聞こえた気がした。
幻かもしれない、願いが見せた夢かもしれない。
それでもよかった。
銀河のノイズの向こうで、ルナとペロッチの声はまだ途切れていない。
時の迷宮を抜けて失われた軌道を越えて、飛行船は加速する。
── L-025 and S-04。
── L-025 and S-04。
ルナは目を閉じた。誰にも届かないほど小さな声で呟く。
「セス、会いたいよ……」
もし願いが叶うなら。
失われた星も、失われた歌も、失われた時間も、何ひとついらない。
ただ、あなたと同じ空を見上げたい。
飛行船は光の中へ消えていく。
その先に答えがあるのかは分からないけれど、愛した記憶は星になる。
だからルナは進む。
終わらなかった歌の続きを歌うために。
一緒にいたいと伝えるために。
──宇宙の迷宮の、その先へ。
【end】
✳︎
以前に書いた物語のリライトです。
もう一度出会えた方も、はじめましての方も、最後まで読んでいただきありがとうございました!
