書く、書く、書く -アメリカで学んだ"書くこと"の凄さと効果-
おれは小説家じゃねぇぇぇーーー!!!
ぼくがまだ米国ビッグテックの日本オフィスで働いていた時に聞いた言葉だ。とあるお偉いさん(VPことヴァイス・プレジデント)が辞める時にそう捨て台詞を言ったという逸話を耳にしたことがある(本当かどうかは知らんけれども)。
これが意味するところはぼくが働いている会社が「書くこと(ライティング)」をとても大事にしていて、職位が上がって偉くなるほど書く機会も量も増えるということだ。
ぼくは新卒で渋谷にあるベンチャー企業で3年ほど働いた後、外資系IT企業に転職してそこで6年働いた。ぼくが日本で働いているうちは、まだジュニアだったこともあって「そうか、そんなに仕事で文章を書くのか」とどこか他人事として思っていた。
それからシアトルに渡って米国本社で働くようになってから3年以上の月日が経った。その経験を踏まえて今はこう強く思う。
どんだけドキュメント(資料)書くねん!!!!
想像以上に文章を書く毎日に今もびっくりしている。その分量からしてキツイときには「おれは小説家じゃねぇぇぇーーー!!!」と叫びたくなる時もあるぐらいだ。
ただ書くことを訓練し続けることで、これまたびっくりするような効果も実感しているのも事実。
書くことによって「めちゃめちゃ意味のある意思決定をドライブできる」そして「チームを効果的に動かせる」という効果を毎日ひしひしと感じている。
今日はそんなことについて書いてみたい。
仕事は「書く、書く、書く」
アメリカでプロダクト・マネージャーとして働いていると毎日たくさんのドキュメントを書く。新しいプロダクトの開発や既存機能の改良に関する企画書。仕様に関して詳細をまとめた要件定義書。こういった分かりやすい"資料"だけでなく、月次・週次のレポートに加え、お偉いさんへのちょっとしたプロダクトに関する報告やチームへのアナウンスなど(ただのメールを送るだけなんだけど)なんでも文章に起こす。
ざっと試算すると、ぼくは1ヶ月あたりWordで8~10ページぐらいになる文章を書いていると思う。プロダクトに関する大事なプロジェクトがあったりすると更に増えるということもしょっちゅうだ。
もちろんチームや職種次第で文章を書く量に差異はあるだろう。ただ同じ会社で10~15年働いて様々なチームを経験したアメリカ人のベテランに聞いても「PMならこんなもんだよ」と口を揃えて言う。アマゾンジャパンで働いたときのことを思い返してみると、アメリカで文章を書く量は比じゃないなと痛感する。
書くことの効用
じゃあ当然の疑問として「なぜこんなに書くのか?」という疑問が出てくる。
アメリカのプロダクト開発チームで働いていると、大事なレビューはいつも資料(ドキュメント)を中心に行われる。担当者は事前に数ページに及ぶWordのドキュメントに自分の考えとデータをまとめる。ミーティングが始まると参加者は冒頭20~40分を使ってその資料を黙って読み込む。ミーティング参加者が全員資料を読み終わったところで議論が始まる。こんな流れだ。
なんで口頭で大事なことを話すだけじゃダメなのか?なんで色鮮やかなグラフやチャートが詰まったパワーポイントの資料を使っちゃダメなのか?
この点を吟味する上ではまず「文章を書くことの意味」を理解する必要がある。
担当者が自分の頭にあることを書き出すことには以下のような意味がある。あくまでぼくの個人的な考えだけど、これはたくさんの文章を書いてきた自分の経験に基づいている。
・書くことによって自分の考えを整理できる (→ 思い付いたことを勢いで話すよりも練り込んだロジックに基づいた主張ができる)
・文章を読んでもらうことで、読者は"自分のペースで"読んで考えることができる (→ スピーカーがどんどん前に進めてしまうプレゼンと大きく異なる)
・文章を"全部"読んでもらってから議論をすることで、ミーティングの参加者は共通の理解を持った上でディスカッションできる (→ パワポのプレゼンだと説明の途中で質問を受けて「それ、後のスライドに書いてありますよ…」と答えるムダな時間が生まれがち)
・書いた文章はいつでも誰でも読んだり参照することができる (→ ミーティングに参加できなかった人にも自分の考えを届けられる)
こんな具合だ。つまり「書く人」にとっては「考えを深める」のに役立ち、「読む人」にとっては「理解を深める」のにとても有効なのだ。
書くことが「優れた意思決定」に繋がる
ちなみに単純な情報共有ではパワーポイント(パワポ)のスライドが使われることもある。また本当にシンプルな伝達だったりちょっとしたチーム間のすり合わせには資料も用意せず口頭で済ませることもある。
でもドキュメントを必ず用意しなければならないケースが明白にある。それは大事な意思決定をするときだ。
なぜか?それは意思決定をするためには「ロジック」と「データ」が必要であり、その二つを詰め合わせたものが資料だからだ。重要な意思決定をするとき --- 例えば新しいプロダクトを開発するか決めるときや古いシステムを終了するか決定するとき、はたまたプロジェクトを新たに発足するに当たって方向性を合意したいとき。こういう大事な局面で意味のある意思決定をするためには「なぜやるのか?」について理詰めで考える必要があり、その「なぜ?」をバックアップするための数字による裏付け(= データ)が必要になる。ミーティングの参加者は資料を読むことで「何度も練られた考え」と「何度も精査されたデータ」に基づいて意思決定をすることが出来る。
これらをすべて頭の中で考えて口頭で伝えるとなると無理が出る。話すと伝達のスピードは速いかもしれないが、ロジックは軽くなり裏付けも弱くなる。そう「良いドキュメント」は「優れた意思決定」をドライブするのだ。
シンプルなのに論破されない資料
上記の主張をサポートするかのように社内で見かけるドキュメントは基本的にテキスト(文字)とデータしか載っていない。余計なものはごっそりとそぎ落とされている。
テキストについて言えば簡潔で明瞭であることが求められる。意味のない形容詞や副詞などは排除される。例えば「大きいこと」を強調するために"massive"や"huge"といった装飾語を使えば「どれくらい大きいか数字を使って示せ」と指摘され、それらの単語は鮮やかに文章から消される。
文章はとにかくロジカルに書かれていることが重要。ここで以下の記事でも紹介した"5 Whys"のやり方がとても効いてくる。つまり何度も何度も「Why? (なぜそうなのか?)」と自問した上で、そのロジックをたまねぎの薄皮のように丁寧に重ねることで強固なロジックを構築することが出来る。「カッコいい表現」ではなくあくまで「論理」によって読者を説得することが求められているのだ。
カラフルな円グラフや折れ線グラフなどが資料に載っているのも見たことがない。データはすべて長方形のテーブルの中に行儀よく並べられている。
図や絵を使ったファンシーな演出が出来ないのならどうやって提案に説得力を持たせるか?そこで鍵になるのが「どれだけ効果的にデータを駆使できるか?」だ。以下の記事にも自分の経験を踏まえて書いたけれども、英語の完璧さではなくデータという"世界共通言語"によってどんな相手でも説得しにいくことが求められているのだ。
お分かりの通り、「自分の考え」と「それを支えるデータ」がないとそもそも資料は書けない。言い方を変えれば、書くことによってこれらの準備が”強制”されるメカニズムになっている。良く出来ていますね。
文章の第一草稿を準備したとなってもここで一安心はできない。なぜならここからドン引きするぐらい書き直しが待っているからだ。チームの近しいメンバーだけでレビューしたとしてもおびただしい数の質問を受けることになり、それ応じて文章を何度も書き直すことになる。
主張がクリアになるまで思考と添削を繰り返す。そうして最終レビューに持ってくる頃には「シンプルだけど誰にも論破されない」資料が出来上がっているのだ。骨の折れる作業に違いない。
なぜメールを多用するのか?
ちょっとここで関連する大事な話を差し込みたい。
入社した初日のこと。オリエンテーションでさらっと人事の方が言った言葉が忘れない。
私たちは社内でメールを多用する会社です。
最初は「え?」と思った。でもそれから10年ほど働いてきた今つくづくと思うことがある。
そう、確かにメールをめっちゃ使うのだ。
簡単なメッセージのやり取りについては時代とともにツールが変わってきた。最初はSkypeを使っていたし、そこから社内のアプリを使う時期を経て、今はみんなSlackを使いこなしている。ひょっとしたらまた時間が経てば新しいアプリに移行することだってあるかもしれない。
ただ電子メールについてはずーっと使い続けている。特に大事な情報のやり取りやアナウンスに関しては間違いなくメールを使う慣例になっている。毎朝メールボックスを開けると長文のメールがバンバン飛び交っているのを目にするというのが日常だ。
なんでこんなにも電子メールを使うのか?ぼくの仮説では、これは「書く」ことに影響している。
ぼくらは「書く」ことに価値を置いている。その「書いたもの(つまり文章)」を他者に共有するための手段として電子メールがずっと機能しているのだ。
繰り返すけれど「書く」ことによって「何度も練られた考え」と「何度も精査されたデータ」を用意して文章にまとめることになる。当然コンテンツは一定の量に及ぶので文章もそれにしたがって長くなる。そうすると長文をSlackなどのメッセージ・アプリや口頭での伝達だけでやることは困難を極めることになる。その結果「長文を送り合う」ことになり、そうなったらそう、メールの出番なのだ。
こうした理由から電子メールはこの時代でも社内ではまだまだ重宝されている。ちなみに電子メールが世界で普及し始めたのは1990年代の話だ。こんなにAIとかChat GPTとかの話をしている昨今に、ここまでレガシーなツールを多用しているのも何だか不思議だ。それでもそこにはちゃんと理由があるのだ。
書くことで「だれがやっても」チームを動かせる
アメリカでの「書く」仕事は大変だ。ぼくが日本人だからというだけではなくて、英語がネイティブのアメリカ人や頭の良いインド人もみんなヒーヒー言いながら文章を書き上げている。
ここまで労力をかけて資料を作っていると聞くと「そこまでする必要ある?」と思うかもしれない。実際にぼくもこれまで何度もそう思ったことがあることを正直に告白しておこう(笑)。
でも辛抱強く何度もドキュメントを書き続けているうちにあることに気付いた。
それは書くことによって「だれがやっても」リーダーやチームを効果的に動かすことが出来るということだ。 ロジックとデータさえ充分であれば、だれが相手であろうと、もしくは相手が何人いようとも、力強く人を動かせるのだ。国籍や英語の上手・下手を超えて活躍することを可能にするのが「書くこと」の力だ。「書くことは"成果を出す手段"を民主化する」とも言えるかもしれない。
「しゃべり」だとこうはいかない。アメリカが職場だと公用語は英語なので、やっぱり英語をネイティブに操れる人がしゃべりで相手を論破しやすい。ぼくだって何度もアメリカ人にカッコいい英語で言い負かされてきた。クソーーー。
でも「書くこと」であればたくさんの時間を積み込めるし、データに関してはそもそも上手く英語が扱えるかは関係ない。所詮は「仕事の文章」なのでおしゃれな表現や気の利いた言い回しは必要なく、ロジックとデータさえ詰め込めばいいのだ。
これであれば日本人であろうが、英語がそんなに得意じゃなくても闘える!実際にぼくの周りで活躍しているインド人や中国人のメンバーも「英語のしゃべり」はイマイチかもしれないが、鮮やかなドキュメントを作ることによってどんどん成果を出している。これは外国人がグローバルに活躍するための希望なんじゃないかと思うのだけどいかがだろう?
そして実はこれ、どんな職場でも同じかもしれない。日本の職場にいたときもミーティングでカッコよく発言することは苦手だったけど、丹精込めて作り上げた資料がそのまま成果になったことをぼくは思い出している。
しゃべりでなかなか活躍できない人は「書いてみる」ことで勝負してみるのはどうだろうか?きっと口下手だったりプレゼンが苦手な人も、周りをあっと言わせる魔法が「書くこと」だとぼくは信じている。そんな話でした。

今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。
旅先のロサンゼルスにて。サンタモニカの海辺を散歩しながら。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!
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きっとおもしろいこと書きますので!