それでも街に、企画書を。コロナ禍で足掻いた善光寺門前の寒くて暖かい思い出
2020年の4月に善光寺門前に引っ越してきてから2年が経つ。
と同時に、広告や企画で食べている人間としても2年が経ったということになるのだ。そんな私は今、仕事の在り方と今一度向き合っている。
この2年間、仕事が思い通りに行くことなんて、ほとんどなかった。
人と地域を繋げるような仕事がしたいと志して広告会社に入社したのも束の間、コロナによって「繋がる」ことは悪になっていく。
門前のイベントは軒並み中止。もちろん同僚との飲み会もままならない中で、街中と交流する機会はみるみるうちに失われていった。
2021年に予定されていた7年に一度の盛儀「善光寺御開帳」も1年延期。先行きの見えないままに運営は難しい舵取りを余儀なくされた。
「こんなはずじゃなかった」
誰もがそう思わずにはいられなかった。コロナさえなければ、あの居酒屋も潰れなかっただろうし、あそこの定食屋も辞めなかったかもしれない。
まるで誰かが悪いことをして狂ってしまったパラレルワールドに取り残されたかのように、目の前の現実を受け止めきれずに門前街と向き合う日々が続いた。

門前払いの向こう側
私の仕事は、簡単に言えば広告の営業。新聞から電波まで企画書を持ち歩いては、ニーズに合わせてクライアントに企画書を提案する。
もちろん既存のクライアントもいるが、新人は新規の開拓も大事な仕事になる。特にローカルでは、地域の大型イベントや祭での協賛で懐に潜り込むのが新規開拓の正攻法だ。
全国的にも名の知れた善光寺御開帳。コロナさえ無ければ、全国各地から観光客が訪れて飲食業や宿泊業も潤うことは間違いなかったはずだ。しかし、それも期待できない今、疲弊している店から協賛を集めることは容易ではない。
しかし、そこは広告代理店の宿命。御開帳に向けて企画されてリリースされる広告枠を空白にしてはおけない。実施に向けて感染状況と睨み合いながら、門前での御開帳協賛セールスが始まった。
もちろん、案内先のほとんどは新規。営業時間も店舗の予算も限られている中、案の定なかなか都合もつかず話を深めることもできずにいた。文字通りの「門前払い」だ。
私は地域を盛り上げたくて、この仕事を選んだ。しかし実情、不景気な世の中で広告費を出すのが難しいのは当たり前だ。あくまで向き合いたいのは地域の声。媒体のために地域に無理を強いることはできない。

私がこの仕事をやる意味はなんだろう?2月に信州を直撃した大寒波の中、凍える手で企画書を握り締めながら、門前街に答えを探し続ける日々。
どうしようもないコロナの禍、営業にも限界がある。電話での案内を試みても、保留中に受話器から流れるレットイットビーが虚しく響いていた。
仕事と地域の意義を問う
それでも私はこの仕事を諦めたくなかった。自分の仕事の意味、この地域を繋ぐ善光寺御開帳と門前の関係を見出してみたかったからだ。もはやその姿勢は営業ではなく、さながら社会学の研究者に近かったと思う。
数週間、靴を擦り減らして何十軒も案内という名の調査を続けた。長野市に来てからプライベートでお世話になっている店の紹介もあり、何回も通ううちにゆっくりお話しできる店も増えてきた頃、分かってきたことがあった。
門前にはリノベーションや新規オープンで移住されてきた若い世代の店も多い。その中には、まだ地域に溶け込めきれていない店もあった。老舗からしたら謎の店。街中には、NEWとOLDの接点が欠けているのではないのだろうか?
これを機に、門前のNEWとOLDが繋がるような掲載面になれば。そうすれば、普段は新聞しか読まない人にSNSでしか情報を発信していない店の情報も届けることも出来る。その接点を生み出すのが、地域の編集者たりえる営業の役割なのではないか。
そんなことを考えていた、ある日。とある喫茶店に企画書を案内した時のこと、気のいい店主のおばちゃんに迎え入れられ「雪の中ご苦労様。ゆっくり話をしないかい」と珈琲を淹れてもらえたことがあった。

その時の珈琲の味は今でも忘れられない。冷え切った身体に注がれる温かさ、丁寧にブレンドされた豆の香り、どんな時でも心にゆとりをもたらしてくれそうな店内の穏やかさ。
この感覚を忘れてはいけない。そう思った。門前に潜む一つ一つの魅力を、少しでも多くの人に届けるキッカケをつくること。そのための仕事なら、がんばれる。その場で広告のラフを描き、魅力が最大限に伝わるデザインを擦り合わせていった。
ちょうど移転したばかりのその喫茶店は、御開帳を機に発信したいメッセージがあった。「笑顔でお待ちしております」。結果、その喫茶店からは御協賛をいただき、原稿は無事に掲載されることになった。この日を境に、何かが変わっていく。
それでも街に、企画書を。
その後も、ご縁も繋がって幾つかのお店から広告の出稿を頂くことができた。側から見れば、とある地域紙面の、とある企画の、とある喫茶店の小さな広告に過ぎなかったのかもしれない。
それでも、私はこの仕事を通して「地域に広告が存在する意味」を見出してみたかった。結果として、媒体からは十分な評価があった。とはいえ、やはり私が気になったのは街からの評価。
掲載日、私は門前を歩いていた。営業としてではなく、一市民として。かつて誰も歩いていなかった門前の風景が幻であったかと思えるくらい、取り戻されつつある賑わいがそこにはあった。

ソワソワしながらも、広告を出していただいた喫茶にも足を運ぶ。「今日は私服なのね」と、広告の打ち合わせをしたおばちゃんとバッタリ。スーツの時にも珈琲を出してくれた席に迎え入れてくれた。何だかフワフワしたまま席に座る。
「広告、つくってくれてありがとね」。マスク越しの笑顔から開口一番に聞こえてきた言葉に、胸が詰まった。聞けば、掲載面を見て訪れた馴染みの方や、初めて訪れた御家族連れがいたそうだ。
広告というのは常に邪魔者だ。そう先輩から教えてもらったこともあった。でも、たまには悪くない邪魔をすることもある。それが積み重なって、地域の接点が生まれる。たかが小さな広告でも、そのくらいの力はあるのだ。
私は、この門前街が好きだ。NEWとOLDが入り交じり、それぞれがそれぞれを迎え入れている。善光寺の寛容な精神がそうさせているのだろうか。いや、元々人間の中には他者を受容する精神が備わっているはずだ。それがある限り、新たな接点が生まれないはずがない。
コロナによって、この2年で多くの接点は失われた。街からの広告出稿は厳しくなり、人と地域を繋げる地域メディアの意義も失われつつあった。それでも、あのマスク越しの笑顔には、地域と人を繋げる仕事の意義が詰まっていたと思う。
この仕事を最後に、私は異動で門前から新天地に旅立つことになった。これから先も、きっと未曾有の困難や課題に立ち向かわなければいけないことばかりだと思う。そんな時は、この仕事のことを思い出して原点に立ち返りたい。
それでも街に、企画書を。

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