嫉妬から逃げるためにサイコロを振る
ようやく嫉妬との向き合い方がわかってきた
…気がする。
自分はどんなジャンルで嫉妬するかを考えてみると『書くこと』が絡むときだ。
例えば、僕は文学フリマ(自作の本を売るイベント)が好きで、自分で作ったエッセイ本を積極的に売っている。
そこでよく目にするのが行列を作るような人気出店者さんである。幸か不幸か、自分が出店してるそばで大行列ができる様を何度も見てきた。
チラチラ、チラチラ見てしまうし
「何であんな人気なんだよ」
「お客さんこっちにも来てよ」
「向こうとどんな差があるっていうんだ?」
「ぐぅぅぅ」
と対抗意識むき出しで顔のパーツがどんどんギューっと中心に寄っていく。
終わった後にその人気出店者さんの名前を検索してどんな作品を書いてるか調べて、SNSをチェックして、その人の作品を読んだ人の感想まで見て「クソー。なんでだなんでだなんでだ」と心の中で叫ぶ。
あとはnoteでもよく起こる。何となく見つけた作品を読み終わり
「は?おもしろ」
「こんないい文章書く人がいたのか」
「このテーマは自分も書きたかった」
「めっちゃスキされてる」
「コンテスト受賞してる…」
と悔しさが込み上げてきてまた心の声のマシンガンがぶっ放される。
ああ、わかってますとも頭では。
嫉妬したところで手を動かさないと何も生まれない。足を動かさないと景色は変わらない。
でも心が追いついていかないんだよ。
嫉妬の業火に焼き尽くされそうになる。
そこで最近は自分を守るため、逃げ方を覚えた。
ズバリ、面を変えるということ。
人間は多面体。まるでサイコロのように。
例えば1の目が『書き手』としての自分だとして、その面を上にした状態で他人の優れた文章を読むと嫉妬成分で脳内がパンパンになってしまう。
そうなる前に4の目である『読み手の自分』に転がってみる。(何で4かって?『読』み手の『4』です。) 読み手モードに気持ちを切り替えるだけで邪念が消えて純粋に楽しめるのである。
僕はおもしろい文章を読むのが好きだ。
そう。好きなんだよ。
好きなんだからおもしろい文を読んだら本来はハッピーになるはずなんだ。この純粋さを忘れたくない。
とにかく自分の気持ちのポジション次第であらゆる事象の感じ方は変わる。コロコロするようになってからだいぶ楽になった。
その都度その都度、面を変えて出た目の数で人生を進んでいく。これが自分にとっての嫉妬からの逃げ方、というか向き合い方である。
でも、でも。
矛盾するようだけど、たまにはサイコロを適当に振ってみてもいいかなと思うときもある。
それでもし1の目が出たら…
全てを引き受けて戦ってみる。
真正面から勝ちに行く。
それはそれで楽しみな自分もいる。
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こちら『#嫉妬祭り』に参加した記事になります。概要はこちら↓
エッセイスト斉藤ナミさんによる『嫉妬』をテーマにした連載が始まりました。その連載を盛り上げるために開催されたのがこの企画。
企画立案の池松さん、素敵な機会をありがとうございました!嫉妬についての記事は恥ずかしさがあって書いたことがありませんでした。でも今回この企画のおかげで殻を破れた気がします。
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