一大決心をして死別のことを書いてみます
ふくろうっちです。
父はふくろう(不苦労)が好きでした。
今日も暗闇の中でそっと目を開けて、夜明けを待っています。
はじめまして。
少し変わった自己紹介をさせてください。
こんな感じ…
人生で三度、繰り返された死別
若くして夫を白血病で…
その半年後、弟を自死で…
とどめは…
弟を亡くしてちょうど10年後の命日に父を自死で…
「そんな人生があるのか」と思われるかもしれません。
私自身もそう思います。
我ながら、相当しぶとく生きてきたと思っています。
看護師だったのに、何もできなかった悔しさ
同い年の夫が逝ったとき、
私は30代前半でした。
「こんなことが起きるはずがない」——
頭の中でその言葉だけが繰り返されていました。
前日まで健康だった夫が、
白血病という診断を受けてから、
あっという間にいなくなってしまったのです。
私は看護師として、
死というものを職業として知っていたはずでした。
人の死に寄り添うことを、
仕事としてきたはずでした。
それでも、
自分の夫の死だけは、
まったく別の現実として目の前に突きつけられました。
知識は、悲しみの前では何の役にも立たなかった…
あの電話に出ていれば
夫が逝って半年後、
弟を自死で亡くしました。
弟は亡くなる数日前、
私が仕事で不在中に何度か電話をかけてきたと
同居していた義母から伝えられました。
しかし私は弟を気にかけてあげる余裕もなく、
夫を亡くした悲しみの中で生きることに必死でした。
あの電話に出ていれば——。
その思いは、20年以上経った今も消えていません。
自死遺族が抱えるこの「もしも」は、
時間が解決してくれるものではないと、
私は身をもって知っています。
まさか、再びとは
弟を亡くしてから10年後、
今度は父を自死で亡くしました。
まさか、再びあの苦しみを味わうとは、
夢にも思っていませんでした。
それも、また自死とは…
うつ病の父のことも、
どこかにまさかそんなことはしないだろうと
タカを括っていました。
本当に愚かなわたしです
一度目の夫の死は、
突然の病でした。
二度目の弟の死は、
若さゆえの脆さだと、
どこかで自分に言い聞かせていました。
でも三度目は、
もう自分に言い聞かせる言葉が
見つかりませんでした。
「なぜまた」
「なぜ私にだけ…私の家族だけ」
次々に頭に浮かぶ問いに、
答えは今もありません。
臨床心理士として多くの自死遺族と向き合ってきた今でも、
自分自身のこれらの問いには、
答えられないままです。
情けなさが、私を動かした
看護師であったにもかかわらず、
うつ病の家族を二人も救えなかった。
その情けなさが、私を突き動かしました。
その後、米国で大学院に通い、
長い卒後研修期間を終え、
臨床心理士になるための国家試験験を受けました。
自分の能力以上の勉強をこなすのは、
想像を絶する苦しさでした。
でも今思えば、
その苦しさが、
死別の痛みを和らげる唯一の方法でした。
例えば、
心理学の中では、
心理的な苦痛を身体的な痛みで代替する自傷行為がありますが、
多分、私にとっての「勉強」は
そういう効果があったと思います。
しぶとく生き延びた先に、今もまだ生きています。
このnoteで書いていくこと
現在は米国臨床心理士として、
また20年近く、グリーフケアに関わっていた者として、
悲しみと共に生きることについて書いてみようと思います。
当事者として…
そして専門家として…
夫を亡くした時、
誰か同じような経験をした人がいないか、
何か生きていく手がかりがないか、
コンピューターの前に座りずっと探していました。
だから、あの時の私と同じように、
同じ場所で立ち止まっている誰かに、
悲しみの出口が見えない誰かに、
届けばいいと思って書いています。
悲しみは乗り越えるものではなく、
共に生きるものだと私は思っています。
真っ暗な夜も、ふくろうはそこにいます。
あなたのそばに。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
ふくろうっち 米国臨床心理士・死別支援20年
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