障害者雇用「丸投げ」事件の本質を徹底的に考察したら、未来が垣間見えた話
5/7の読売新聞の一面記事を見ました。
障がい者雇用ビジネスの仲介業者が、雇用された方々に「雇用主に直接連絡しないで」「障がい者同士のつながりはNG」と指示していた——という内容です。
ぼくは障がい者雇用推進をしたい。戦力としての障がい者雇用を本気で実現しようとしてきた組織に属し、コミットしてきた自負もあります。
だから、正直、悲しい思いがないと言ったら嘘になります。感情的にもなります。
一方で、数日経って。
ぼくは、あえて、この問題を少し違う角度から眺めてみたいと思いました。
すると、この一件って、未来を先取りしたんじゃないかなって。そんなことを感じました。
妄想も多分に入っています。よかったらお付き合いください。
まず、社会モデルで捉えてみる
大前提、ぼくはこの問題を、利用企業や仲介事業者に対してのモラルの低さで捉えないようにしたいと考えました。
ソーシャルワーカーは、どんな人間だろうが困窮状態に陥ればその人の尊厳や自立を支える存在です。それが職業倫理です。
ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける
「あの会社が悪い」「あの事業者が悪い」で終わらせたら、見落とすものがある。だから、構造で考えたい。
その視点に立つと、この問題は、法定雇用率制度が引き起こしていることがわかります。
常用雇用労働者数40以上の企業は、この制度があるから障がい者雇用をする義務があります。だから、この義務を果たすことを「丸投げ」できるサービスが商品として成立してしまう。
自分は、こうしたサービスが生まれてしまうのは制度設計に課題があるという立場です。その上で、次を読み進めてもらえたらと思います。
「代行業」を生んでいるのは、社会の潮流
その前提で、社会に目を向けます。
こうやって制度をクリアする発想が生まれているのは、もっと大きな潮流のせいだと思っています。
企業はいま、短期的な成長を求められています。 事業アイデアひとつで起業できる時代になり、営業もバックオフィスも、代行業・BPO・AIに置き換わりはじめている。
お金さえあれば、なんでも代行できる。 障がい者雇用も、その延長線上にあります。 困り事があればなんでも代行サービス化される世の中。その中で、障がい者雇用代行があるわけです。
各組織が自分たちのリソースで回すことができていれば、こんなことは起きません。 でも、短期成長を求められたらPDCAは高速で回さないといけない。
すべての企業が経済的成長を通じ社会課題解決を目指すわけじゃない。 売り抜けてキャピタルゲインを得ることがゴールの会社もある。零細企業で、資金繰りに困って新たに雇用する場合じゃないという企業もあります。
大企業化と、小規模分散化のあいだで
少しデータを見てみます。
中小企業庁の2024年版中小企業白書によると、日本の中小企業は約336万社。全企業の99.7%を占めています。
でもこの構造は、いま揺れている気がしています。
仮に、企業が大企業化に向かう未来—
例えば、地方の小さい会社100社が都市部の大企業10社にM&A等を通じ集約されたら、国にとっては税収が安定します。
法人税・所得税・社会保険料・消費税が、確実に回収しやすい。
ただし、地方経済は弱り、下請け単価は下がり、格差は広がります。
逆に、小規模分散化に向かう未来—
フリーランスや1人会社がふえれば、利益も税収効率も短期的には落ちる。 でも長期的には、新産業や新しい税源が育つ可能性がある。
実際、政府はおそらく両方を狙っている。 「大企業から安定税収を取り、中小企業から新産業を生む」というハイブリッド戦略です。
ここで、ぼくが立ち止まったのが
「そもそも"雇用を生むこと=善"って、いつの時代の価値観なんだっけ?」
という問いでした。
「雇用創出は善」は、産業資本主義の遺産かもしれない
「起業して雇用を生むことが善」という価値観が強くなったのは、19世紀後半〜20世紀の産業資本主義時代。
工場、鉄道、大量生産、都市化が進んだ時代です。
それまで人びとは、農民・職人・家業・自営業として働いていた。
でも産業革命後、「大量の労働者を雇って生産する」仕組みが社会の中心になった。 「人を雇える人」=「経済を回せる人」になった。
特に戦後の高度経済成長期は、終身雇用と家族を養える賃金が、社会保障の代わりだった。 企業は「雇用を守る存在」だったわけです。
「社員を路頭に迷わせない」
「首を切らない」
「地域を支える」
という価値観です。
でも、ぼくたちはもう、その時代を生きていない。
AI、自動化、フリーランス化、副業、プラットフォーム経済。
生産性や収益がより重視され、企業の価値は株価で評価されている。
社員1000人の会社より、社員10人で高付加価値な会社のほうが評価される時代です。
「雇用を増やすこと」それ自体が、昔ほど絶対的な善ではなくなっています。
自己学習するだけでお金がもらえる、その先
話を戻します。
ここから、半分妄想込みです。
代行サービスがふえて、AIが進化して、マイクロ法人もどんどん増える。 フリーランスと起業家がふえて、会社員が減る。
すると、
国は、税収効率は下がります。
国民は、会社員じゃないので収入不安定。結婚という選択肢を取りづらくなり、まして子どもをつくるという選択も困難になります。
現在、労働市場はIT化の流れで売り手市場ですが、数十年後、買い手市場になる。人を雇用をする会社と、AI(フィジカルAI含む)を駆使する会社に二分されます。
国は、税収を安定させたい&人口を増やしたいので、雇用を「義務化」する方向に舵を切るのではないか。
つまり、産業資本主義社会時代の「雇用を生むこと=善」という価値観に戻るのではないか。
しかし。当時と違うことがあります。
それは、雇用される人に生産力を求められないということ。
多くは、AIが仕事を行うからです。
するとどうなるか。
障がいの有無にかかわらず、「会社員でいるだけでお金がもらえる」世界が来るかもしれない。
今回の事件で起きていることは、もしかしたらその"先取り"なのかもしれない、と。
そんなことを考えました。
。。。
でも。
そのとき、ぼくたちは何を「働く」と呼ぶんだろう。
次の時代は「雇用」をどう定義し直すんだろう。
そしてそのプロセスで、誰の尊厳が、いつのまにか後回しにされてしまうんだろう。
思考する中で、そんな問いが残りました。
ユートピア?それとも、もう始まっているもの?
会社員が、自己学習をするだけで給料をもらえる時代。
それは、ある人には理想に見えるかもしれません。しかしながら、ぼくにはどうしても、そう見えません。
「働くって何だろう」
「お金をもらうって何だろう」
「なぜ仕事をするんだろう」
時代の転換点で、いちばん最初に置き去りにされるのは、たいてい立場の弱い人たちです。
今回の記事を読んで、ぼくが感じた悲しさは、たぶん、そこにつながっています。
みなさんは、自己学習するだけでお金がもらえる世界。
これは、ユートピアでしょうか?ディストピアでしょうか?
ぼくたちはもう、その入り口に立ってしまっているんでしょうか。
ただの考えすぎかもしれません。。
ここまで読んでくれてありがとうございます。試行錯誤のプロセスを一緒に追いかけてくれる方、ペイフォワード研究所でお待ちしています。 そして、記事下の「♡」はアカウントなしでも押せます。押すと、見知らぬ誰かからあなたへメッセージが届きます!!
いいなと思ったら応援しよう!
もしよかったら応援お願いします!大変励みになります!