一人で考えると平気なのに、人に話すと泣いてしまった
2年半の読書生活を終えて、人と会った
FIREしてから2年半、読書に没頭する生活を続けた。言葉を鍛え、感情を学んだ。頭の中では、少しずつ自分が変わってきたと感じていた。
東京に引っ越す前、まだ田舎に住んでいたころのことだ。少しずつ人と会う機会を作るようになっていた。それまでとは違う生活の始まりだった。
一人の女性と知り合った
ある場で、一人の女性と話すようになった。小学校の先生を退職して、次の仕事までの数か月を休暇中だという。旅行が趣味で、アウトドアが好きな、元気な人だった。
話しているうちに、自分の子供時代の話になった。トラウマのことを話した。
喉が詰まって、話せなくなった
その女性は、元小学校の先生だからかもしれない。親身になって話を聞いてくれた。急かすことも、話を遮ることもなく、ただ静かに聞いてくれた。
話しながら、感情がこみあげてきた。喉が詰まって、言葉が出なくなった。
しばらく、何も言えなかった。それでも彼女はゆっくりと、真剣に待っていてくれた。
意外な発見だった
一人で過去のことを考えるとき、感情がこみあげて考えられなくなるということはない。トラウマのことも、冷静に振り返ることができる。読書を通じて言語化する練習もしてきた。だから自分はある程度、過去と向き合えるようになったと思っていた。
でも人に話すとなると、まったく別の話だった。
言葉にしようとした瞬間、感情が先に出てきた。頭で整理できていたはずのことが、声にした途端に崩れた。
なぜ、そうなるのだろう
まだ答えはわからない。
一人で考えることと、人に話すことは、似ているようで全然違うのかもしれない。誰かに受け取ってもらうという行為が、自分の中で眠っていた何かを揺り動かすのかもしれない。
ただ一つ思ったのは、話せなくなったことは恥ずかしいことではなかった、ということだ。それだけのものが、まだ自分の中に残っていた。それを確かめられた気がした。
人と関わることで、初めてわかることがある
2年半、本を読み続けた。自分の感情を言語化し、過去と向き合う練習をしてきた。それは無駄ではなかったと思う。
でも人と実際に関わることで、本だけでは気づけなかったことがあった。自分がまだ抱えているものの大きさを、人と話すことで初めて実感した。
読書は自分の内側を整える時間だった。人との関わりは、その内側を外に出す時間なのかもしれない。
どちらも、必要だったのだと思っている。
皆さんは人に話すことで、思わず感情がこみあげてしまった経験はありますか? 同じような経験をした方がいれば、ぜひコメントで教えてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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