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「謎ときガルシア=マルケス」 木村榮一

新潮選書  新潮社

(電子書籍版で読んだので、引用箇所のページ数記載は無し)

修道女フアナのところで、修道院を「今の分譲マンションみたいなもの」と説明しているのがわかりやすい。家族で住んだり菜園あったり、フアナの場合は文学サークルも修道院の部屋で開いていたり。
(2019 05/14)

謎とき…
謎ときガルシア=マルケス…だけでなく、謎とき開高健…でもあるかのように、開高健の話題が多い。オマージュなのかな。今日読んだところでは、ガルシア=マルケスが題材を長い間遊ばせておいてから書くのに対し、バルガス=リョサは題材を得たらすぐ綿密に調べ上げていくそう。両者も時間をかけるところは共通しているが…その違いは読めばわかる、と木村氏は述べているけれど…わかっているかなあ…
「どえらい力で世界を駆け抜ける…」とマルケスや開高健を評して言っているが、ご本人木村榮一氏もなかなか「どえらい」生き方。高校生時代(だったか)番長グループに絡まれて家に閉じこもっていた時、父親がナイフ渡して「刺してこい」と言ったとか、そんなこんなで落ちこぼれて「ダメ元」で受けた神戸外語大が何故か受かって高校の先生に伝えたら「ついていけるかなあ」とこぼしたとか。
(2019 05/19)

 記憶は刻まれても、直ぐ忘れてしまつたことも極めて多からう。が、私にとつて、私の過去は決して空白ではない。記憶は失はれたが、幼いながら、数多い日日が埋もれてゐる。空白ではなく、深深とした闇の感じである。さうしてその闇の中には、形は見えないが、さまざまなものが潜んでゐるはずである。時には一瞬、ぼんやりとその影を映すかと思ふと、忽ち底深く沈んでしまふ。
(外村繁「澪標」冒頭部分より)


マルケスの祖母の思い出との比較で。

「百年の孤独」は物語の現実世界を祖父側に、語り口を祖母側において書かれたもの。
「予告された殺人の記録」の殺した側の兄弟二人は「本当は人を殺したくなかった、だから誰かに止めてもらおうとできる限り手を尽くしたが、うまくいかなかった」。マルケスはこの物語の元の事件の「目新しさ」をそこだけ、と見ている。
「愛その他の悪霊について」、「コレラの時代の愛」の少女はそれぞれ、植民地時代、19世紀近代のコロンビアの不幸を、そして「わが悲しき娼婦たちの思い出」の少女はそれらを超えた未来のコロンビアを表象しているという解釈。

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