『集団浅慮』、本日発売です。
ほんとうは、もっと緊張しているはずである。
本日は新刊『集団浅慮』の発売日だ。基本的に本とは、どの本でもそういうものであるものの、今回ばかりは誰が、どんな理由で、どんなふうにこれを読んでくれるのか(あるいは読んでくれないのか)、さっぱりイメージが湧かない。読んでほしい人はいる。でも、そうした人たちに届くのか届いてくれないのか、まるでわからない。
しかも今回の本は、テーマもタイトルも重たい。中身にしたって、ある人たちにとっては「聞きたくないこと」「認めたくないこと」「受け入れがたい価値観」が書かれているものと思われる。少なくとも全方面から支持される本だとは思わないし、正面からの反論があることも、感情的(攻撃的)な批判があることも、十分に覚悟している。
それだからして、本来ならもっと緊張していていいはずだ。そのはずなんだけど、不思議なことにその気持ちは薄い。普段の新刊以上に、泰然とかまえている。いったいどうしてだろう。
たぶん、「書く」と決めた時点でその不安はぜんぶクリアしていたのだ。
今回、自分にとってこの本は「これを書くのか、書かないのか」こそがいちばんの壁であり、「書く」と決めた時点でもう、すべて乗り越えていたのだ。書いてしまえば無傷では済まない本であるし、保身を考えれば「書かない」が正解の本なのだから。
では、なぜ「書く」と決めたのか。
それはかろうじて残っていた自分の、ライターとしての職業的責任感によるものだろう。いまからちょうど10年前の2015年1月、ぼくはバトンズという会社を設立するにあたってライターの職業を、こう定義している。
ライターには、おおきくふたつの役割があります。
ひとつは「録音機」としての役割、そしてもうひとつが「拡声器」としての役割です。
ことばとは、口にした途端に消えてなくなる、一陣の風のようなものです。そこでわれわれライターが、語り手のことばを紙の上に「録音」し、ノイズを除去しながら文章にしていく。
これが録音機としての役割になります。
さらに、録音したことばを編集のアンプに通し、読みやすく、わかりやすく、そしておもしろいものへと再構築していく。よりたくさんの読者に届けるために、音圧を「増幅」していく。
こちらは拡声器としての役割になります。
フジテレビ第三者委員会の調査報告書を読んでぼくは、これを残さなきゃいけないと思った。そして残すためにはこれを広めなきゃいけないと思った。
たとえるならその状況は、飛行機の機内で客室乗務員が「お客さまのなかにお医者さまはいらっしゃいませんか!?」と叫ぶドラマの一場面に近い。たまたまライターの職能を持つぼくがそこに通りかかった。その調査報告書に目を通した。とても素通りするわけにはいかない重要な指摘が、そして重要な提言がなされていた。しかしそのことばは、風のなかに消え去りそうになっていた。だめだ。これはぜったいに残さないといけないし、広めないといけない。つまり、偶然とはいえそこを通りがかったライターとして、書かざるを得ない。書かない自分を選ぶとすれば、それはライターであることを辞めるに等しい。
いつもの自分とはずいぶん違う本だ。けれども個人的には、これまででいちばん「ライター・古賀史健」の本であるように思っている。ライターの看板を降ろさなかった自分に感謝したい。
と、発売日なので若干自己陶酔的な文章になってしまいましたが、こちらから「はじめに」の冒頭部分が読めます(明日以降も連載続く)。
