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スクランブル放送化するインターネット。

「インターネット」は、だいじょうぶなんだろうか。

とくにこの数年で「インターネット」は、そこに置かれたテキストコンテンツは、ありえないほど読みにくくなった。

企画がお粗末だとか、原稿のレベルが低いとか、編集が機能していないだとか、そういうコンテンツの「中身」が理由だったらぼくも、わざわざこんな話はしない。もっとそれ以前のところ、カオス化する一方の「広告」が、なにもかもを台なしにしつつある。「だいじょうぶか?」と思う自分がいる。

そりゃあコンテンツをつくろうとするなら、しかも良質なコンテンツを継続的につくっていこうとするのなら、当然お金は必要になってくる。運営する側も、そこで仕事を得る側も、「インターネットだから予算はこれだけです」の時代は、そろそろ卒業しないといけない。

そして運営側がお金を得る手段として、さまざまな広告サービスを導入するというのも、ごく自然な発想だ。否定するつもりはない。「インターネット」とはやはり、タダで読めるところにおもしろさがあるのだし、多くの読者はタダで読みたがっているのだから。

また、かつてはバナー広告オンリーだった広告が、通信速度やデバイスの進化に合わせて姿を変えていくことも、当然だと思う。より効果的で、より便利な広告システムを開発・提供していかないと、広告サービスを提供する会社自体、他社との競争に負けてしまうだろう。

ところが、これら広告まわりの「間違っていないはずの道」がぐちゃぐちゃに絡み合った結果、いまのウェブ広告はとんでもなくストレスフルなものになっている。ノイジーで、狡猾で、「いかにしてユーザーをだますか」に力点が置かれている広告だって少なくない。しかも宣伝の文言レベルでだますのではなく、システムそのものとしてだまそうとしているのだ。

結果、いまでは「広告をカットするためにお金を払う」という流れが常態化して、ウェブ広告はいよいよただのノイズに、WOWOWのスクランブル放送とほとんど変わりがないものになりつつある。

……と、このへんの話は広告業界でさんざん語られてきたもので、いろいろな答えも出揃っているんだろうけど、うーん。なんかもう、ひとりの読者として疲れてきちゃったなあ、このままじゃほんとうに「インターネット」は終わっちゃうんじゃないかなあ、と思うわけです。

かといって、あらゆるコンテンツにお金を払うってのも現実的じゃないというか、せっかくの「インターネット」なんだからみんなに開かれたものをつくりたいってのが、運営側の悩ましさなんだろうな。

まあきっとあと5年くらいのうちに、一定の答えというかベターな代替案が出るのでしょう。さすがにこのままのウェブ広告で進化していくとは思いたくないもん。