見出し画像

全責任を押し付けられる母親 『大洪水』

※若干ネタバレしています。 

 映画『大洪水』を見た。

 突如はじまった大洪水で、高層マンションがどんどん水没していく。3階に住んでいるアンナは息子ジャインを連れて着のみ着のまま脱出。上階をめざすが、幾多の困難に見舞われる。

 洪水パニック映画として見入ってしまうが、50分ほどでガラリと様相が変わる。ネタバレなしだと以上になるが、これだと「ネタバレなし」でなく「ウソ」になる。というのは本作はパニック映画でなく、完全にSF映画だからだ。

 前半の洪水シーンは実際にあった出来事だが、そのあとは全て、ある目的のために繰り返されるシミュレーション。アンナとジャインは、タイムループ的に同じ脱出劇を繰り返す。その繰り返しの中で徐々に目的達成に近づくのだが、正直、パニック映画を期待していたので裏切られた気分だった。というのはシミュレーションと分かってしまった以上、彼女らが何回死んでも、全然ショックでないからだ。「はいはいもう一回ね」となってしまう。

 これはジャンル横断映画だからでなく、ジャンルの横断の仕方の問題だと思う。前半50分の脱出劇が緊迫しているだけに、ほとんど夢オチに近い。それに研究の目的を考えると、大洪水を再現しなくても良かったのでは? と元も子もないことを考えてしまう。

 研究の目的にも疑問が残る。なぜ「母性」だけがあんなにも重視されるのか。「父性」は不要なのか。その他の、さまざまな関係性における愛情や思いやりの類は要らないのか。結局、女性(母親)に全責任が押し付けられているように見える。

 興味深かったのは、逃れようのない大災害に直面して、祈って神様に助けてもらおうとする宗教頼みの人々が(やはり)現れることだ。ここにも昨今の韓国映画にしばしば見られる、宗教(キリスト教)に対する嫌悪感や失望感が滲んでいる。韓国は依然としてクリスチャン人口が多いが、そのぶん反発や批判も多い。そのあたりを韓国の映画人たちがどう考えているのか、機会があったら聞いてみたい。

 余談だが、「大洪水で人類が滅亡する」というシナリオは明らかに聖書の「ノアの方舟」をなぞっている。聖書ではノアとその家族だけが生き残り、洪水後の世界で新たな人類となった。さて本作が提示する新たな人類は、どんな世界を創っていくのだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集