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池上曽根の年輪年代修正が問いかけるもの

2024年7月に国立歴史民俗博物館と光谷拓実さん(元・奈良文化財研究所)らが、大阪府池上曽根遺跡の年輪年代修正を発表しました。学術誌『古代学研究』240号(2024年6月)で「特集:池上曽根遺跡出土 大型掘立柱建物柱の年代測定」が組まれ、歴博や光谷さんの論文が掲載されています。大型建物1の柱材の年輪年代について、1996年発表(1997年報告)と2024年論文を比較すると以下のとおりです。

柱12の年輪年代(前52年)は1997年報告と同じだったものの、他の柱4点は108~669年も古くなりました。メディア報道では「同じ建物の中に700年も古い柱が含まれていた」ことが強調されました(柱12と柱16)。

2024/7/10 日経新聞(共同通信:柱12写真も) 毎日新聞(柱16写真)

※光谷拓実「池上曽根遺跡の大型掘立柱建物の年輪年代」(『奈文研年報』1997年Ⅰ)
※池上曽根史跡公園の弥生学習館では、柱12をはじめ残っていた柱材の実物を観ることができます。

※年輪年代法には、年輪幅、酸素同位体比、炭素14年代(ウィグルマッチング法)による測定法があります。それぞれの特徴(長所・短所)は以下の記事の第4章で比較・紹介しています。

僕は池上曽根の修正は、メディアで報道された柱材の年代差もそれはそれで興味深いテーマではありますが、それ以上に、もっと重要な問題を提起したと思います。

  • ➊池上曽根の大型建物1(弥生中期後半)の実年代は本当に前1世紀なのか

  • ➋年輪年代によって、遺構や遺物の実年代はどこまで特定できるのか

  • ➌池上曽根の年輪年代が修正されたが、これまで発表された酸素同位体比による年輪年代は大丈夫か

  • ➍池上曽根以外の光谷さんが発表してきた年輪幅による年輪年代はどこまで信頼できるのか

➌の酸素同位体比による年輪年代について生じた疑問は、酸素同位体比年輪年代法を推進している中塚武さん(名古屋大学)に問い合わせ、僕の誤解もあったことがわかりました。

一方、➍の光谷さんの年輪年代への疑問は残ったままです。重大な疑義が生じたにもかかわらず、メディアはそれを追求せず、2024年7月の発表から1年近くが経ちますが、考古学の世界で原因究明や再検討の機運が盛り上がっていないのが不思議です。

※この記事の歴博・奈文研・中塚さんへの問合せは2025年2~3月に行いました。その時点でいただいた回答を基にしています。
※トップ写真=池上曽根遺跡大型建物1「いずみの高殿」とその南側の「やよいの大井戸」の復元(2024/10/22撮影)


➊池上曽根(弥生中期後半)の実年代

柱12の穴からは弥生中期後半とされる大和(近畿)4式の土器が出土しています。光谷さんの年輪年代(前52年)によって、弥生中期後半は前1世紀中頃という定点が与えられました。

柱12の年輪年代が確からしいと評価されたのは、1997年報告では、他の柱材4点の年輪年代が「前113~前56年」と、柱12に近い年代でそろっていたからのはずです。建築の柱材は、後述するように再利用の可能性がありますが、特に「柱20も…BC五六年+α…という近似年代が測定されたことは、柱穴12柱が再利用でない傍証ともなり、両者の伐採期がほぼ同時だった可能性を示唆する」とされました(秋山浩三『改訂版 弥生実年代と都市論のゆくえ 池上曽根遺跡』(新泉社、2023年))。

ところが、2024年論文で、他の4点の年輪年代は「前782年~前221年」に修正され、柱12とは離れた年代になりました。考古学者はこれをどう評価するのでしょうか。1997年の当初から2024年の年輪年代が出ていたら、弥生中期後半が前1世紀という年代推定は通説になっていなかったのではないでしょうか? かろうじて、2024年論文では酸素同位体比によって柱15の年輪年代が前92年となり、前12と近い年代とされています。それで十分なのでしょうか?

森岡秀人さん(古代学協会)は以下のように述べます。

▶柱12・柱20の同時性はこの伐採年の共時的存在で担保されていたと、有力な傍証の形でこの30年見ており、論文などでも引用してきたので、そのデータを失ったことは、甚大である
▶一方、両年代法<年輪幅と酸素同位体比>の年代一致点である柱12の存在意義は著しく高まったと言えるし、これを超えた新しくなるような形状Aも見当たらないので、建立年代が大きくぐらついたわけではない
▶<柱20>と入れ替わるように、柱15が…酸素同位体比法では紀元前92年の数値がこのたび報告され、紀元前100年より新しいデータが捕捉<補足?>されている

森岡秀人「弥生時代中期後半の自然科学的実年代はいったいどうなったのか」
(『古代文化』、古代学協会、2024年9月)

※この記事の引用は、見やすいように▶で改行します。順番は入れ替えていることがあります。< >は僕が補った個所です。

森岡さんは弥生中期と後期の境界が紀元後20~30年と見てきたので、池上曽根(弥生中期後半)は前1世紀中頃という年代推定は維持したいわけです。

一方、箱崎真澄さん(歴博)は柱材の年輪年代に差があったのは、転用材、削り出し材、洪水などによる埋没材が使用されたという3つの可能性を指摘します。柱12も「埋没林に由来する可能性はある」「年代の意味が変わるとなれば、遺跡の年代観を大きく見直す必要がある」と述べています(「考察:自然科学的見地から」(『古代学研究』第240号)。池上曽根の前1世紀という推定年代を見直す可能性も出てくるということだと理解しました。

僕も賛成です。現段階では、池上曽根(弥生中期後半)の年代は前1世紀と特定できなくなったと思います。

➋年輪年代による遺構・遺物の年代推定

年輪幅と酸素同位体比による年輪年代法は、試料(木材)の最外年輪の年代を1年単位で特定できるという長所があります。試料に樹皮がついていれば、最外年輪は伐採年(または倒木年)だと推定でます。

問題は主に2つあります。1つは伐採されて(または倒木して)すぐに使用されたとは限らないことです。乾燥などのために樹木を寝かせて保存した期間があったかもしれません。もう1つは他の建築物などに使用されていた木材が再利用された可能性です。池上曽根の大型建物は同じ場所で3~4回建て替えられたことがわかっています。柱材は転用されたことも推定されます。

安本美典[びてん]さん(元・産能大学、「邪馬台国の会」主宰)が問題点をわかりやすく紹介しています。

▶年輪年代法による年代は、その木材の伐採された年を教えてくれる。そして、遺構や建築物の築造時期は、使用された木材が伐採された年よりあとであることを教えてくれる。これはこれで十分貴重な情報である
▶ただ、あくまで、遺構や建築物の築造時期そのものを教えてくれるものではない。築造時期の上限<それより古くなることのない年代>を教えてくれるものである
▶そのため、使用木材の伐採年代と築造時期、あるいは再利用の時期とのあいだに、ときに、数百年、ばあいによっては千年をこえる差の生ずることがある

第405回邪馬台国の会「年輪年代法論争:問題点は何か?」(2022年11月)

まさに数百年の年代差が生じることが、池上曽根の修正によって明らかになりました。

年輪幅による年輪年代法が主に建築に使われるスギやヒノキなどに樹種が限られるのに対し、酸素同位体比による年輪年代法は樹種を問いません。中塚さんは「<スギやヒノキ以外の樹種であれば>水田の周囲を囲う矢板や水路の井堰に使われる丸杭などは…樹皮が付いたまま…の状態で使われることが多く、また立派ではないという意味で、のちに転用される可能性も低い」と説明していますが(『酸素同位体比年輪年代法』(同成社、2018年))、矢板や杭といっても転用された例はあります。

例えば、島根県大寺[おおてら]遺跡では、水田護岸用の板材に掘立柱建物の柱材・壁材・はしご等が再利用されていることが、形・大きさ・孔等から推定されています。当時は製材が大変で大型材は貴重なため、水田整備用の木材は、建物解体部材等の様々な古材が使われたと考えられます。古代人のSDGsです(島根県古代文化センターHP「古代のSDGs!?建物木材の再利用」より。写真は一部改変)。

転用材や保存期間の問題は年輪年代法の宿命とも言え、試料からは判別できないこともあると思われます。年輪年代法では、安本さんの言うとおり、遺構や遺物の上限年代までしか特定できないのです。

※榛名山[はるなさん]噴火による倒木のように、明らかに保存期間も転用もなかった場合には、最外年輪は噴火の年代と特定できます。埼玉稲荷山古墳出土鉄剣の「辛亥年」(471年)を特定するために、榛名山噴火(500年前後)による倒木の年輪年代(炭素14年代ウィグルマッチング法)が重要な役割を果たしています。

➌酸素同位体比年輪年代法の正確性

池上曽根の年輪年代の修正によって、僕が心配したのが、酸素同位体比による年輪年代の正確性です。なぜなら、中塚さんは著書で以下のように述べているからです。

▶これまでのところ、年輪幅によって正確に年輪年代が決定された材料を、酸素同位体比を使って改めて分析した際には、両者の年代が一年もずれたことはない

中塚武『酸素同位体比年輪年代法』(同成社、2021年)

問題は2つあって、1つは年輪幅による年輪年代はこれまでの測定結果に間違いがあることがわかったのですから、「両者の年代が一年もずれたことはない」のであれば、酸素同位体比による年輪年代にも間違いがあるのではないかということです。

もう1つは、中塚さんは「一年もずれたことはない」と述べていますが、2024年論文を見るかぎり、最外年輪の測定結果が一致しているのは5試料中1つ(柱16)しかないことです。これは両者の測定部位の違いが理由だということはわかりますが、これまでも測定部位の違いはあったはずなのに、どうして「一年も違いはない」のでしょうか。

中塚さんに問い合わせた結果、これらの心配は杞憂だということがわかりました。それまで年輪幅でも酸素同位体比でも測定して、中塚さんが「両者の年代が一年もずれたことはない」と記述したのは、すべて「紀元後」の試料の測定結果なのだそうです。そうであれば、この記述は読者を誤解させます。光谷さんは池上曽根をはじめ紀元前の測定結果も発表しているのですから、「両者の年代が一年もずれたことはない」が、まさか紀元後の測定結果だけを指すとは誰も想像できないと思います。

また、「一年もずれたことはない」というのは最外年輪の年代(だけ)を指すわけではないのだそうです。光谷さんも中塚さんも、最外年輪だけでなく、途中の年輪の年代も測定していて、それらがすべて一致していたという意味だとのことでした。考えてみれば、標準パターンと試料の年輪パターンが一致しているのですから、途中の年輪年代はすべて一致しているわけです。僕の想像力が欠如していました。

いずれにしても、酸素同位体比による年輪年代の正確性に疑問符がつくことはありません。安心しました。

なお、酸素同位体比の標準パターンは、従来は前612年までだったので、前782年の年輪年代が特定できたのが不思議でした。『古代学研究』の特集によると、現在は紀元前1085年まで延長されているとのことです(佐野雅規他「酸素同位体比年輪年代法による池上曽根遺跡柱根材の年代測定」(『古代史研究』(第240号))。ただ、中塚さんによると、まだ年輪年代特定のために特化した標準パターンであり、気候変動の推定には使えず、データは未公開とのことです。

➍池上曽根以外の光谷さんの年輪年代の信頼性

池上曽根の年輪年代が修正になった原因を、光谷さんは明らかにしていないようです。歴博と奈文研に原因を問合せましたが、歴博は奈文研に問い合わせてほしいと言い、奈文研は修正には関わっていないから歴博に問い合わせてほしいとの回答でした(お互い、責任をなすりつけているように感じました)。

『古代学研究』の特集によると、見直しのきっかけは以下だったようです。

▶<1997年報告から>30年ほどの時を経て、年輪年代測定の基準資料が増加し、新しくヒノキの標準パターンが作成されたことなどから、光谷氏より同資料について再検討したいとの申し出があり、再測定された

千葉太朗他「池上曽根遺跡出土 大型掘立柱建物柱の年代測定に関する報告」
(『古代学研究』240号)

僕は、池上曽根の修正は、過去の年輪年代の品質問題(不備)が発覚したと捉えています。

一般企業(製造業)では品質問題が発生すると、品質管理部門はその原因を突き止め、影響(被害)の及ぶ範囲(ロット)を特定し、製品回収などの応急対策、再発防止のための恒久対策をとります(営業部門からは、「本当に再発することはないのか心配だ」と言われることが多いです)。

池上曽根の修正は、歴博も奈文研も原因を特定できていません。測定値が間違っていたのか、標準パターンが間違っていたのか、標準パターンと試料の年輪パターンの照合が間違っていたのかもわかりません(光谷さんしかわかりません)。

原因がわからないのですから、過去に発表された光谷さんの年輪年代は、すべて再検討の対象にすべきではないでしょうか。にもかかわらず、発覚から1年近く経ちますが、考古学の世界でそのような機運は盛り上がっていないようです。

森岡秀人さんは以下のように述べています。

大部分が誤測定であったことを示す光谷旧報告の問題点を一旦蚊帳の外に置くなら、<池上曽根の5試料は>2測定法の違いを超えて年代値が符合する点が改めて評価されよう

森岡秀人「弥生時代中期後半の自然科学的実年代はいったいどうなったのか」
(『古代文化』、古代学協会、2024年9月)

「光谷旧報告の問題点を一旦蚊帳の外に置く」のは結構ですが、いつまでも蚊帳の外に置いて、再検討しなくてもいいのでしょうか。

歴博または奈文研は、池上曽根の修正は光谷さんの年輪年代の品質問題と捉え、原因究明と応急対策・恒久対策のイニシアティブをとるべきだと思います。応急対策と恒久対策としては以下が考えられます。

  • 応急対策:光谷さんへのヒアリング(原因の特定)、光谷さんの年輪年代の酸素同位体比による検証

  • 恒久対策:奈文研が取り組んでいる年輪年代の総合的研究

応急対策:箱根町スギの年輪年代とIntcal20

池上曽根の年輪年代の修正は原因が説明されていないのですから、光谷さんが発表してきた年輪年代はすべて疑ってかからなければなりません。光谷さんが池上曽根の再検討を申し出たことは評価しますが、池上曽根以外は自信をもって間違いないと言えるのであれば、光谷さんは池上曽根の修正の原因を説明すべきです。

光谷さんの年輪年代で、僕が一番心配しているのが、炭素14年代を実年代に変換する国際的な標準曲線Intcal[イントカル]見直しのために、歴博が国際機関※に提出した年輪年代です。最新のIntcal20には日本産樹木10点のデータが採用されました。

※Intcalは、英クィーンズ大学ベルファストと米ウッズホール海洋研究所の合同ワーキンググループが、世界中から年代の確かな試料データを集め、不定期で見直しています。

Intcal20に採用された日本産樹木と年輪年代
(歴博リリース(2020/8/25)を一部改変=赤丸)

歴博によると、それぞれの試料は以下の年輪年代法で測定されました。年輪幅と酸素同位体比の両方で測定した試料は、年輪年代は一致したとのことです(そうでなければ提供できません)。

  • 東広島市ヒノキ:年輪幅、酸素同位体比

  • 箱根町スギ:年輪幅

  • 飯田市ヒノキ:年輪幅、酸素同位体比

  • 宮田村ヒノキ:年輪幅、酸素同位体比

  • 宇治市コウヤマキ:酸素同位体比

  • 宇治市ヒノキ:年輪幅

  • 姫路市ケヤキ:酸素同位体比

  • 甲州市ツガ:酸素同位体比

  • 石巻市ケヤキ:酸素同位体比

  • さいたま市ヒノキ:酸素同位体比

このうち、箱根町スギの年輪年代はちょうど紀元前後で、池上曽根や卑弥呼の年代と同じですが、年輪年代は年輪幅のみでの測定となっています。最も正確性が疑われ、また古代史上重要な年代です。

歴博に、箱根町スギの年輪年代は再検討しないのか(再検討する必要がないならばその理由は何か)問い合わせたところ、「現在、酸素同位体比による箱根スギの年輪年代測定を進めている。研究内容に関わるので、個別の回答は差し控える。結果が出たら、学会発表や論文などでの報告を予定」とのことでした。

前後の年代と連続性があり矛盾しないようですから、箱根町スギの年輪年代も間違っていないと信じたいですが、万が一、間違っていたら、これは日本の科学的年代測定の信頼問題になります。国際問題です。酸素同位体比による年輪年代が年輪幅のものと一致していることを祈ります。

1点ではありますが、再検討の対象になっていることがわかりました。

ちなみに、ちょっと古いですが、『日本の美術6』No.421(至文堂、2001年)の特集では、年輪幅による年輪年代が29例(考古学的事例22例、木彫像7例)が紹介されています。直近までにもっと増えていることは確実で(纒向勝山古墳、2002年など)、同様の再検討が他の試料でも行われていることを期待します。僕は再検討はこっそり行うのではなく、有言実行すべきだと思います。

恒久対策:奈文研によるオープンデータ化

奈文研が2024年から始めた年輪年代データの公開は、遅きに失したものの、すばらしい取り組みだと思います。池上曽根の修正のようなことが再発しないようにするための恒久対策になります。

これまでの光谷さんの年輪年代法は、光谷さんによる属人的な研究であり、標準パターンも公開されておらず、第三者による検証もできず、科学と言えるものではありませんでした。奈文研はその反省も踏まえ、年輪データのオープン化を進め、現在、342~775年の標準パターンが作成されているそうです。

奈文研に問い合わせたところ、新しい標準パターンについて以下のとおりでした。

  • 2025年度中の公開を目指していたが、若干遅延している

  • 年輪学の担当職員は1名

  • 新規の科研費を獲得しての加速にも着手

  • 新標準パターンの目処はほぼついていて、光谷さんの「標準パターン」とほぼ合致する見込み

  • 平城宮下層木製品(年輪年代412年)、法隆寺心柱(594年)については再検討の必要を認めない

平城宮下層木製品は、須恵器TK73型の年代、ひいては誉田御廟山[こんだごびょうやま]古墳の年代、古墳中期の開始年代を推定できる年輪年代(定点)として重要です。奈文研が発掘調査主体かつ試料の保管所有者ですので、すぐにでも再検討できるはずなのですが。

法隆寺心柱の年輪年代は、文献学の研究成果と大きな齟齬が認められ、年輪年代法への疑問が出されている年輪年代です。保管所有者は京大生存圏研究所ですが、奈文研から再検討の提案をしてほしいところです。どちらも再検討の必要を認めないとの回答で残念です。

(最終更新2025/5/14)

 #池上曽根遺跡 #年輪年代法 #酸素同位体比年輪年代法 #弥生時代  

 

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