「支」はなぜ万葉仮名で「き」と読むのか
※トップ写真:一支国の王都「原の辻[はるのつじ]遺跡(写真AC)
「支」という漢字は、現在は音読みで「し」と読みますが、万葉仮名では「き」「ぎ」にあてられています。
魏志倭人伝でも「一大国」は「一支国」の誤記とされ、「一支」は「いき」と読まれます。一支国が壱岐であることは間違いないので、「支」を「き」と読むのも正しいのだろうと、今まで疑問に思うことはありませんでした。
「支」の上古音/中古音は「てぃ/ちぃ」
「支」の古代中国語での発音を台湾の小学堂DBで調べると、先秦上古音が5系統(5つの復元案)、隋唐中古音が6系統出てきます。ここでは、王力系統と李方桂系統を掲載します。
※小学堂DBについては末尾参照

発音記号を見るかぎり、上古音では「てぃ」、中古音では「ちぃ」のような発音ではないかと思います。
※李方桂系統の上古音 /krjig/ だけは子音が /k/ ですが、他の系統では上古音も中古音も子音は /t/ 系または /c/ で、/k/ のものはありません。
それなのに、なぜ「支」は万葉仮名で「き」「ぎ」と読まれているのでしょうか。不思議に思い、調べてみました。
「支」の使用は万葉集で8首のみ
「支」は現代日本語では一般的な漢字ですが、万葉集では、実は8首にしか使われていないことがわかりました。万葉集は全部で約4500首の歌があるのに、たった8首なのです。
※もう1首、長歌に使われていますが、「支」は「い」と読まれています(支屋=いへ)。
しかも驚いたことに、その8首は巻18に集中しています。
巻18-4045 沖辺より満ち来る潮のいや増しに吾が思ふ君(支見)がみ船かもかれ 大伴宿禰家持
巻18-4046 神さぶる垂姫の崎漕ぎ巡り(許支米具利)見れども飽かずいかに我せむ 田辺史福麻呂
巻18-4047 垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ(移比都支尒勢牟) 土師
巻18-4074 桜花今そ盛りと人は言へど我はさぶしも君(支美)としあらねば 大伴宿禰池主
※「万葉百科」(奈良県立万葉文化館)で検索
以下は長歌なので省略します。
巻18-4106
巻18-4111
巻18-4113
巻18-4116
万葉集では「き」の発音には、主に「岐」「伎」などが使われています。どうして、巻8だけ「支」が使われているのでしょうか。
※ちなみに、「岐」「伎」などの上古音・中古音は、以下のとおり、 /g,k/ で、「支」とは全然違います。

巻18に集中の理由:大野晋さんの推定
そうしたら、たまたま読んでいた大野晋さん(元・学習院大学)の書籍論文で、大野さんがみごとに理由を解明(推定)していました(大野晋「音韻の変遷(1)」(『岩波講座 日本語5 音韻』、岩波書店、1977年))。
大野さんは、巻18に上代日本語(奈良時代の日本語)の甲類・乙類の違例(例外)が集中していることに疑問を抱きました。
上代日本語には、イ・エ・オ列に2種類の発音があったことがわかっていて、それぞれ甲類・乙類と呼ばれています。以前は8母音説が有力でしたが、現在はほとんど支持されず、5~7母音説があって定説はありません(竹村明日香「日本語の母音は本当に五つしかないのですか」(国立国語研究所サイト「ことばの疑問」、2019年)。例えば、「イ列」の甲類・乙類は母音の違いではなく、半母音 /j/ (ヤ行の発音)がつくかつかないかの違いだったとされているようです。
万葉集にも、この甲類・乙類の区別の例外(違例)があります。大野さんは万葉集の違例が巻18に多いことから、その理由の解明に乗り出しました。
▶『万葉集』の中で甲類乙類の異例の極めて多いのは巻一四の東歌、巻二〇の防人歌で、そこには多数の例外がある。しかしそれは、東国方言の発音が畿内の発音と異なる状態にあったのを映した結果だと考えられている
▶しかし、『万葉集』巻一八には、二〇余におよぶ例外が一八首の歌に集中的に見出される。ここには何か特別の事情がある
▶巻一八には<違例が多いだけではなく>特徴のある仮名が多い。…<以下の>右側が普通の万葉仮名、左側が巻一八の特殊な万葉仮名である。…「川」「支」のように、『万葉集』の中では他に見えないものがある

▶私<大野氏>の推定では、『万葉集』巻一八は伝来の途中で損傷していた。…幾首かは補修によって読めるようになった。…そしてその補修の時期は八世紀ではなく、九世紀以降だろうと思う
▶なぜなら、八世紀のうちに本文の損傷の補修が行われたならば、二〇余例という多数にのぼる、奈良時代の音韻表記上の例外は生じ得なかったはずである
▶平安時代に入って甲類乙類の音の区別が失われてから補修が行われたから、手を入れた部分では甲類乙類の書き分けに気づかず、例外が多数生じ、かつまた、平安時代に普通に行われた<奈良時代と異なる>万葉仮名が数多く手入れの所に混入したのだろう
※引用は、見やすいように文章を▶で改行します。順番は入れ替えていることがあります。< >は僕が補った個所です。
みごとな推理だと思います。「支」が「き」を表す万葉仮名として使われはじめたのは平安時代になってからだとすれば、よく説明できるということがわかったのです。
上記の書籍を読んでいてラッキーでした。大野さんは甲類・乙類の違例からですが、僕も「支」という特殊な万葉仮名から、同じように「巻18」の不審に気づいたことが、うれしかったです(笑)。
「支」を「き」と読むのは誤解と省力化
では、どうして、「支」が使われはじめたのでしょうか。大野さんもそこまでは触れていません。僕は2つの可能性を考えました。
「支」の「ちぃ」(中古音)という発音が古代日本語にはなかったので、平安時代の日本人には「き」と聴こえた。つまり、「ちぃ」と「き」の発音は近かった
「き」には「岐・伎」などが使われていたので、旁[つくり]が「き」と読むだろうと誤解し、偏[へん]をとってしまった。それが書く時の省力化にもなって広まった
僕は「旁だけでも「き」と読むだろうと誤解した」説がありえそうだと思いました。漢字は偏が意味を、旁が音を表す形声文字が多いです。普通は、例えば、「湖」は「こ」だから、「胡」も「こ」と読むと類推します。
人偏[にんべん]がとれることも多いです(「減筆」といいます)。卑弥呼は、三国志の三少帝記(魏書第4巻)では「俾彌(弥)呼」と人偏[にんべん]がついた名前で出てきますが、魏志倭人伝(魏書第30巻)では「卑彌(弥)呼」です。難升米も本来は「儺升米」だったものが、魏志倭人伝では人偏がとれた可能性があります。「漢委奴国王」の金印も、「倭」のニンベンがとれています。
「支」は平安時代の日本人の誤解&省力化で、「き」に使われるようになったのではないでしょうか。
「支」の読み方が気になったのは…
そうだとすると、魏志倭人伝の「一支」(壱岐)は、奈良時代までは「いてぃ」「いちぃ」のように呼ばれていた可能性があると思いました。その呼び方に「一支」という漢字があてられ、やがて、「支」が「き」を表すようになって、「いき」という地名が定着したのではないかと(僕の勝手な想像ですが…)。
※現代でも、あてはめられた漢字によって読み方が変化することがあります。例えば、「世論」は旧字では「輿論」と書き、新字では「与論」ですが、意味がわかりにくいので「世論」という漢字があてられました。そうしたところ、「世論」を「せろん」と誤読する人が増えています。
どうして僕が「支」の読み方が気になったのかというと…(勘のいい人はもうお気づきかもしれませんが)、今、僕は魏志倭人伝の旁国21ヶ国の比定に挑戦しているからです。
魏志倭人伝には、行程記事に登場する「一支国」のほかに、旁国記事に「已百支国」「都支国」「支惟国」と、「支」を使った国名が3つ出てきます。それぞれ、どう読むんだろう、どうしてそう読む(「支」は「き」と読む)と言えるんだろうと、最初の段階で悩んでしまったというわけです。
完全に沼にはまりました。正月から取り組んでいますが、まだ7割というところです。次から次へと新しい事実を知って、残り3割が減りません。
旁国比定の記事は、3本に分けて、遅くとも5月中には投稿します。Nスペ『新・古代史』の記事がどんどん先延ばしされていきます(汗)。
【お詫びと訂正】
当初、「4月中には」としていましたが、間に合いそうにありません。1ヶ月リスケして、「5月中には」に、お詫びして訂正します。(2026/4/15)
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【小学堂】について
小学堂DBは、台湾大学中国文学部・中央研究院歴史言語研究所・情報科学研究所・デジタル文化センターによって共同開発されたデータベースです。漢字の古代中国語の発音が調べられます。
発音の検索方法は以下のとおりです。
画面左側の「字形」に漢字(例えば「支」)と入力し、「確定送出」をクリック
右側の「相関連結」の中の「上古音」「中古音」をクリック
検索結果は時代別・系統(復元案)別に表示されます。
上古音(先秦:秦が中国を統一する前221年までの時代、両漢:前漢・後漢の時代)
中古音(南北朝、魏晋、隋唐)
これらの中では、先秦上古音と隋唐中古音が、古代の資料(文献)が多く、研究が進んでいます。系統(復元案)も多いです。
(最終更新2026/5/3)
