チップ その5
〇ホワイトフォレスト・テーブルセット・朝
和子、アパート前のテーブルセットで、一人、お茶をしている。
視線は険しく、103号室のドアを見つめている。
と、102号室のドアが開いて、吉田(85)が出てくる。
和 子「(吉田に)おはようございます! 珍しくゆっくりですね」
吉 田「え? あぁ、おはようございます。いやぁ、目覚ましの電池が切れて、久しぶりに寝坊しましたぁ」
和 子「あら、目覚ましがないと朝寝坊できるなんて、吉田さん、お若いわ~」
吉 田「いやいや、寝てる間にお迎えが来てくれるといいんだけどねー。あ、それじゃ大家さんに迷惑かけちゃうかー」
和 子「もう、また冗談ばっかり。お散歩ですか? いってらっしゃい! お気をつけて!」
吉田、片手をあげ、ゆっくりとした歩調で出かけて行く。
出かける吉田に自転車を降りて挨拶する凛子を見つけ、和子、微笑む。
凛 子「(和子に)おはようございます!」
和 子「おはよう。ちょっと休んでく?」
凛 子「(自転車のスタンドを上げながら)まだ、殆ど仕事してないですけど、休んでいきます」
和 子「そうね、まだ9時過ぎだものね」
凛 子「早め早めの行動」
和 子「早め早めの休憩」
和子、凛子に紅茶を入れてやる。
凛子、頭をちょこんと下げて受け取る。
凛 子「(紅茶をフーフーしながら)芳美さん、出てきました?」
和子、首を振る。
凛 子「せっかく、冬眠から覚めたと思ったのに、また冬に逆戻りかな」
和 子「結構、大変な病気なのね。あんなに普段明るい芳美さんが部屋に引きこもりっきりになるなんて。でも、うつ病とは違うんでしょう?」
凛 子「そうですね。そう状態になることもある病気ですから」
和 子「私、そう状態って見たことないんだけど。ハイになるのかしら?」
凛 子「うーん、まぁ。……やけに怒りっぽくなって、喧嘩した事ありますよ。そう状態が終わって冷静になった後、すっごい落ち込んだ芳美さんにめちゃくちゃ謝られたことあります、私」
和 子「そうなの? 芳美さんが怒りっぽくなるの?」
凛 子「ね、意外でしょう? 最初、すごい短気な人かと思ってたんですよね」
和 子「うちに越してくる前?」
凛 子「はい」
和 子「ごめん、想像つかない」
凛 子「精神疾患の中でも重いと言われる部類ですし、自殺率も高いんですよね」
和 子「じ、さつ?」
凛 子「はい。それも、病気がそう思わせるというか。結局、脳の病気なんですよね。症状が出てないときが本当の芳美さんで、明るくてわりと前向きな人、だと思います。体調が安定するようにスマホに記録録りながら頑張ってるし。それでも、こうやって病気に振り回されて苦しんでる、芳美さんだけじゃないけど、悔しくなりますよね。病気とか障害とか、本人の甘えみたいに言う人いるじゃないですか。そういう人は本当に何もわかってないんだなって思いますよ」
和 子「……」
凛 子「?」
和子、タブレットを操作して何かを確認している。
和 子「……この1週間、うちの宅配利用してないわ」
凛 子「芳美さんですか?」
和 子「まぁ、ずっと見張っていたわけじゃないけど、外出もしてないみたいで。メールしても返事もないし。ほら、あんまり急かすと負担になるでしょうから放っておいてるんだけど」
凛 子「大家さんは優しいな。芳美さん、食料ってどうしてるんですかね? まぁ、一週間くらいは買い置きがある、かな?」
和 子「……」
凛 子「え? 何?」
和 子「……まさか、ね」
凛 子「まさか、ないない!」
凛子、立ち上がって103号室に駆け寄る。
凛子、チャイムを連打し、ドアを叩く。
凛 子「戸田さーん、おはようございます! 市原です。お茶のお誘いに来ましたー!」
和子も来る。
凛 子「戸田さーん、おーい! お返事だけでもお願いします」
パトロール中の小山内が通りがかる。
凛子の大きな声に、
小山内「どうかされましたかー?」
和子と凛子、小山内を見る。
和 子「小山内君! 小山内君!」
和子、小山内を手招きする。
小山内、自転車を降り、来る。
小山内「ここは?」
小山内、103のドアを指す。
凛 子「戸田芳美さんのお宅です。一週間、連絡が取れなくて」
小山内「確か、持病がおありとか?」
凛 子「はい。私、中に入ります。 友達みたいなものですから」
小山内「(和子に)合い鍵ありますよね? 緊急性が高いという事でご協力おねがいします」
和 子「はい、すぐに!」
和子、急いで自宅101号室に取りに行く。
その間も、凛子の呼びかけは止まらない。
和子、鍵を持って来る。
小山内が受け取ろうとするのを、奪うように凛子が取り鍵を開ける。
〇同・103号室玄関・内・朝
凛子、小山内、和子がなだれ込むように入ってくる。
凛 子「芳美さん! ごめんなさい、入ります!」
靴を蹴散らすように上がる凛子。
冷静な小山内。
もうフラフラな和子。
凛 子「失礼します!」
凛子、ワンルームしかないアパートの、部屋とキッチンの間にある引き戸を開ける。
その後ろで、小山内がユニットバスのドアを開けて中を確認している。
〇同・103号室部屋・内・朝
締め切ったカーテン。ベッドの脇にテーブル。そのテーブルの上にも床にも、空のペットボトルや菓子パンの袋など、ゴミが散乱している。
ベッドの上には盛り上がった掛布団。人がいそうな大きさだが、こんなに騒いでいるのに全く動かない。
一瞬、息を飲む3人。
凛子、そぉっと手を伸ばして掛布団を優しくめくる。
丸く体をかがめた芳美がいる。
和 子「芳美さん!」
凛子、そばにより声をかける。
凛 子「芳美さん」
小山内、芳美の手首に触れ脈を確認する。
芳 美「……くるしい」
芳美、微かに応える。
3人、「よし!」と言うように頷き合う。
凛 子「大丈夫?」
芳 美「……みず」
小山内「お水ですね」
小山内が台所に行こうとしたら、和子がすでに飛んで行っている。
和子、水の入ったグラスを持ってくる。
和 子「お水よ、お水!」
小山内、ベッドに上がり、後ろから芳美を支え起こしてやる。
凛子、和子からグラスを受け取り、芳美の口に持っていく。
凛 子「芳美さん、お水。ゆっくり、ゆっくりよ」
芳美、コクンコクンと水を飲む。
和子、その様子を泣きながら見ている。
凛 子「病院へ行きましょう」
芳美が首を振る。
芳 美「しんどくて……」
凛 子「芳美さん、今、お水を飲むこともできなかったんですよ? セルフネグレクトじゃない? 餓死するかもしれなかったんですよ?」
芳 美「……」
凛 子「病院へ行きましょう。薬の調整とか」
芳 美「でも、しんどくて……」
消え入りそうな芳美の声。
和 子「そうだ、うちの店の車で行こう。私も付き添うから。芳美さんは、体を病院に運ばれていくだけでいいから」
芳美、首を振る。
芳 美「……申し訳ないから」
和 子「申し訳なくないから。(スマホを取り出し電話をかける)あ、もしもし? 店長、今大丈夫かしら?」
和子、話しながらキッチンの方へ行く。
凛子、その辺に落ちている鞄を拾い、財布やスマホを探して出かける準備をする。
芳美、小山内に体を支えられたまま、
芳 美「申し訳ない……」
小山内「……いいんじゃないですか? みんな人に助けられたり助けたりして、それで社会は回ってるんですから。今日は、たまたま助けられる順番の日、ってことで」
芳 美「たまたま、助けられる順番の日?」
凛 子「そうだ! そうだ!……で、財布はー?」
凛子、財布を探しながら合いの手を入れる。
小山内「僕、震災のとき東京にいたんですが、津波で実家を流されました。いろんな人に支えてもらいました。だから、支える側にも回らないとと思いました」
芳 美「……あ、南三陸町って」
小山内「助けたり助けられたり」
凛子、小山内の話に合いの手は入れず、
凛 子「……あ、あった」
凛子、財布を拾い鞄に入れる。
芳 美「……ありがとう」
芳美、目を閉じる。
凛 子「……」
小山内「……」
凛子、荷物の準備ができたので、手持無沙汰で散らかった部屋のゴミを集め始める。
〇同・103号室前・朝
「スーパーもり」と車体に書かれた、白のワンボックスカーが来て、止まる。
運転席から、時田が降りてくる。
玄関前で、凛子が電話をしている。
凛 子「はい、急患なんですが……。はい、はい。ありがとうございます」
時田、103号室に入っていく。
凛子、電話を終え、心配そうに中を見ている。
小山内と時田に抱えられるように、芳美が来て車に乗る。
和子、芳美の鞄を持って出てくる。
凛 子「(和子に)いつものクリニックで診てくれるって」
和 子「あぁ、池袋のね」
凛 子「入院になったら着替えなんかは、また」
和 子「そうね」
和子、芳美の横に座るため、後部座席に乗る。
時田は運転席。
凛子、スライドドアを閉める。
和子、窓を開ける。
凛 子「じゃ、お願いします」
和 子「はい」
小山内「気を付けて」
時田、車を発進させる。
〇車中・朝
後部座席で、芳美、右側の窓に頭をもたせかけぐったりしている。
和子、芳美の左腕に自分の腕をからめ、芳美の腕をさすっている。まるで、母親が幼子をあやしているよう。
和 子「(時田に)店長、ありがとね」
時田、ルームミラーで後部座席を見て、
時 田「大丈夫ですよ、これくらい」
と、笑う。
芳美、苦しそうに眉間にシワを寄せる。
芳 美「ごめんなさい……」
だが、声が小さすぎて運転中の時田には聞こえない。
和 子「いいのよ、そんなこと」
と、芳美を慰める。
時 田「オーナー、池袋のどの辺です?」
和 子「駅の近くよ」
時 田「西口? 東口?」
和 子「え? どっちだったかしら? どっちが何口?」
時 田「デパートの東武があるほうが西口で、西武がある方が東口」
和 子「えぇっ? えぇっと、……東武!」
時 田「OK、西口ね!」
芳美、会話に加わらず、車の窓にもたれたまま流れる景色をぼんやり眺めている。
妊婦の女性が歩いている。
幼稚園児とその両親が歩いている。
社会見学の小学生の集団。
制服姿の女子高生二人が歩いている。
大学生風の男女が手をつないで歩いている。
地味な黒いスーツの20代女性が、遅刻しそうなのか慌てた様子で走っている。
仕立ての良いスーツを着た女性が颯爽と歩いている。
その女性が、芳美の若いころの姿と重なり、
芳 美「……!」
身を起こして、よく見ようとする。
だが、歩道には追い抜かしたはずの人物は誰もいない。
和 子「どうかした?」
心配そうに、芳美の顔を覗き込む。
芳 美「私の人生は、まだ続いていくんですね?」
和 子「(芳美を抱き寄せ)そうよ、まだまだ続くのよ。これからよ」
和子、家から持ってきた袋を広げて見せる。
中にはリンゴジュースや、ヨーグルト、バナナなど。
和 子「お腹すいてない? なんか、食べられそう?」
芳美、一瞬、悩んでリンゴジュースをもらう。
芳 美「ありがとうございます」
和子、微笑む。
芳美、和子をじっと見て、運転席にも目をやる。
和 子「ん?」
芳美、微かに微笑んで、
芳 美「ありがたいなって……」
和子も微笑む。
◇◇INDEX◇◇
その2 https://note.com/suzukitsukiko/n/nf1ee50116115
その3 https://note.com/suzukitsukiko/n/nd66b8a849703
その4 https://note.com/suzukitsukiko/n/n7fbab0668b68
その6(最終) https://note.com/suzukitsukiko/n/nb15eb050a35f
その1(登場人物表など)https://note.com/suzukitsukiko/n/n7e2f9cfcaa2a
