チップ その2
○ ホワイトファレスト・外観・朝
築20年ほどの一人暮らし用木造アパート。壁が白く、よくあるタイプの集合住宅。
〇同・103号室・内・朝
ワンルームロフト付きの間取り。
絞められたカーテンの隙間から朝日が差し込み、部屋がゴミだらけで散らかっているのがわかる。
置かれたベッドの上に、毛布の塊がある。その中に戸田芳美(41)が丸まっており、顔を出す。
芳 美「うーん……」
が、顔をしかめ、また毛布に潜り込む。
しばし、沈黙。
芳 美「よいしょーっ!」
唐突に毛布を跳ね除け、芳美、ベッドの上に仁王立ちになる。背も高く、80キロはありそうな大柄。そして、マジマジと両手を見る。続いて、体がある事を確認するかのように手で触ってみる。更にコリを解消するように首を右、左と動かす。
〇同・外・朝
長い間、掃除をしていないであろう窓。
「シャッ!」という音を立てて、カーテンが開く。笑顔の芳美。晴天の空を見て目を輝かせ、窓を開ける。
〇同・内・朝
窓辺の芳美に、風が吹いてくる。それを受け、目を閉じる芳美。しばらく風呂に入っていないであろう脂ぎった髪は軽やかには、なびかない。
芳 美「……春が来た、かな?」
芳美、散らかった部屋の中から小さな手提げ袋を見つける。中に財布、スマートフォン、ハンドタオルを入れ、せっかく開けた窓を閉める。
〇同・101号室・外・朝
大家の森和子(70)、窓から顔を出し、103号室の方を見て、すぐ中に引っ込む。
〇同103号室・ユニットバス・朝
芳美、歯磨き、洗顔をしている、髪をくしでとかして帽子をかぶる。パジャマ代わりに着ていた水色のジャージを、くんくんと犬のように臭いをかぐ。
芳 美「かえっていいニオイ……?(ハッとして)ダメダメダメ」
芳美、バタバタと部屋の方へ出ていく。
〇同・内・朝
芳美、散らかった部屋で、バスタオルや着替えなどを用意している。
〇同・101号室・内・朝
和子の「春一番」の鼻歌が聞こえる。
低い箪笥の上には、小さな仏壇。若い男性の写真がある。それは古く、ファッションも70年代風。仏壇の横の写真立てには、若い男女の仲睦まじい写真。女性の方に和子の面影がある。
○同・キッチン・朝
鼻歌を歌いながら、キッチンで作業している和子。
壁の3月のカレンダーに気付き、1枚破って4月にする。
和 子「よし」
和子、微笑むと大きな魔法瓶に温かい紅茶を入れる。傍らにはピクニックへ行くようなバスケットが置いてある。
〇同・103号室・内・朝
シャワーの音が聞こえる。散らかった部屋。去年の10月のままの卓上カレンダー。シャワーを使う音が止まり、しばらくして黒いジャージで髪の毛を濡らしたままの芳美が入ってくる。
芳 美「もう、シャンプー、全然、泡立たないわ。こないだ入ったのいつだっけ?(スマホを見る)6日前……。でも、『前回より、スムーズにシャワーを浴びる事が出来た。体調がいいように感じる』(声に出しながら入力する)っと。あー、やだやだ、話し相手がいないから独り言が多いわー」
テーブルにスマホを投げ出す。
画面が暗くなる前に、メモ機能に食事をした かどうか、服薬したかどうか、入浴できたかどうかを記録している画面が見える。
芳美、濡れた髪をバスタオルでワシャワシャと拭く。
〇ホワイトフォレスト・テーブル席・朝
ホワイトフォレストの玄関前に駐車場にするには少し小さいスペースがあり、そこに昭和の頃の庭に設置していたような、陶器製のテーブルセットが1つ置いてある。
場違いなほど優雅に、そこで和子がお茶を楽しんでいる。目は103号室のドアから離さない。
〇同・朝
和子が103号室を見つめているとドアが開く。
和 子「おはよう!」
和子、大きく通る声で言うと同時に立ち上がり、カップを置いて芳美に駆け寄る。
和 子「久しぶり、調子はどう?」
芳 美「お陰様で、だいぶ、……いいです」
芳美、ゴニョゴニョと答える。
二人、にっこり微笑み合う。
和 子「(手提げ袋を見て)あら、お出かけ? でも、その前にお茶でもどう? 時間、大丈夫?」
芳 美「時間は売るほどあります」
〇OX商事・企画部・オフィス内(回想)
会社員時代のスリムな芳美(29)。
芳 美「何度言ったらわかるの? 私の時間を奪わないで」
女性A「(小さな声で)みんながみんな、芳美先輩みたいに出来ないですよ……」
芳 美「え?」
目に涙を溜めた女性A、それ以上、何も言わずに去る。
芳 美「……」
〇同・オフィス内(回想)
男性A「戸田君のアイディアで行くことになったよ。素晴らしい。これからも頼むよ」
芳 美「(男性Aに褒められ)ありがとうございます」
それを見ていた男性B、
男性B「(男性Cに小声で)……女はどうせ、すぐ仕事を投げ出す。その尻拭いをさせられるのは勘弁、勘弁」
男性C、頷く。
芳美、男性BCに気付く。男性BC、芳美を見ながらニヤニヤと笑う。
芳 美「……馬鹿ばっかし」
〇ホワイトフォレスト・テーブル席・朝
芳美、陶器の椅子に座らされ、和子に紅茶を入れてもらう。
芳 美「ありがとうございます」
芳美、頭をちょこんと下げる。
和 子「芳美さんは、お砂糖もミルクも使わないんだったわね?」
芳 美「はい。でも、今日はシャワーを浴びたご褒美にミルクが欲しい気分です……」
和 子「あらそう! うんうん、それはご褒美必要ね」
和子がミルクのポーションを入れる。
二人、フフフと笑う。
和 子「今回は長かったわねぇ。そう状態とうつ状態って交互に来るものじゃないの?」
芳 美「そんなに規則正しっく交互に来る人っていないんじゃないかなって思います。期間も、どういう順で来るかも決まってないから、先の予定があまり立てられなくて。それは私が、うつが長くて寝込んじゃうからなんですけど。映画なんかに出てくる双極性障害の登場人物と比べても、全く同じではないですし……。今日は気分がいいけど、また明日から寝込むかもしれないし……。めんどくさいでしょ?」
和 子「人によって随分違うってことね。大変ねぇ。でも、今日は久々に芳美さんの顔が見れて良かったわ」
凛子の声「あーっ! おはようございます!」
芳美と和子が声がする方を見る。
自転車を押しながら、市原凛子(36)が来る。
芳 美「あれ? 今日、訪問の日でしたっけ?(スマホを確認する)」
凛 子「いや、明後日です。(和子に)大家さん、どうも」
和 子「おはよう。市原さんも、お茶してく?」
凛 子「えぇ!? いいんですかぁ?(大袈裟に)」芳 美「めちゃめちゃ忙しいんじゃないですか? 油売ってて大丈夫?」
和子、凛子に紅茶を入れてやる。ワクワクして待つ凛子。
芳 美「市民からこういう接待は……」
凛子、「きゅーん」と、子犬のような目で芳美を見る。
和 子「砂糖1つだったわね?」
凛 子「(笑顔で)はい!」
芳 美「え? (凛子に)大家さんが個別の好みに対応出来るほど、何度も飲んじゃってるんですか?」
凛子、また「きゅーん」と芳美を見る。
和 子「ほら、生活保護担当の人って、市内を色々回ってらっしゃって大変でしょう? ねぇ?」
凛 子「はい。大変です」
芳 美「そりゃそうですけど、でも、ルールはルールだから」
凛子、「きゅーん」と芳美を見る。
芳 美「もう。それ、やめて」
凛子、「きゅーん」としつこくやる。
芳 美「(笑いながら)なんか可愛いから、やめて」
芳美、凛子、お互いに「きゅーん」とやって、3人とも笑う。
和 子「まぁ、お茶くらいはいいと思うけどね。普通に出すじゃない? 人が来たら」
芳 美「まぁ、そうですけど。でも、大家さんの紅茶は特別ですから」
和 子「え? 普通のティーバッグのだけど? 徳用の」
凛 子「でも、特別なんですよ。あ! (芳美に)戸田さん。もし良かったら、このままご様子お伺いしていいですか?」
芳 美「あ、はい。で、明後日は」
凛 子「もちろん来ます!」
芳 美「無駄でしょ!」
凛 子「冗談ですよ。でも、私が来ないと寂しくないですか?」
芳 美「そりゃ、話し相手になってくれたら嬉しいけど。市川さん、100人近く担当してるんでしょう?」
凛 子「(笑顔で)今年度から、100人超えました!」
凛子、ふざけて敬礼する。
芳 美「うーん、それはいいんだか悪いんだか……。私も早く社会復帰できるように頑張らないと、ですね」
和 子「あら、頑張ってるじゃない」
凛 子「そうですよ。戸田さんが頑張ってらっしゃるのは分かってますから。むしろ、頑張りすぎて空回りしないよう、要注意ですね」
芳 美「……気を付けます」
凛 子「次の診察はいつ頃ですか?」
芳 美「(スマホ見て)えっと、来週の火曜日です」凛 子「久々に戸田さんの笑顔を見れた気がします。体調の変化がある時だと思うので、先生ともよく相談なさってくださいね」
芳 美「はい」
和 子「やだ、なんかケースワーカーっぽいわね」
凛 子「『っぽい』は余計ですよー」
軽口をたたき合う。
凛子、ふと腕時計を見て、
凛 子「あ、そろそろ次へ行かないと。紅茶、ごちそうさまです」
凛子、アチアチと言いながら熱い紅茶を飲む。和子と芳美、紅茶を冷まそうと横からフーフーする。
凛子、紅茶をなんとか飲み干し、
凛 子「もう! そんなんじゃ、冷めないですからね」
と、二人のおふざけを受け止める。
和 子「気を付けてね」
芳 美「ありがとうございました」
凛 子「はい! じゃ、また!」
自転車のハンドルを掴んで、凛子、手を振りながら去る。自転車に乗って走り出すと、風が凛子の髪を後ろになびかせる。あらわになった、その左耳にシャンパンゴールドの補聴器が見える。
◇◇INDEX◇◇
その3 https://note.com/suzukitsukiko/n/nd66b8a849703
その4 https://note.com/suzukitsukiko/n/n7fbab0668b68
その5 https://note.com/suzukitsukiko/n/nd8400fba96ab
その6(最終) https://note.com/suzukitsukiko/n/nb15eb050a35f
その1(登場人物表など)https://note.com/suzukitsukiko/n/n7e2f9cfcaa2a
