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■着物とわたし

先日、早起きして着物を着て出かけようと思っていたのに、うっかり寝坊してしまった。目を覚ましたのは乗る電車の出るちょうど1時間前、家を出るのはその10分前の計算なので、あと50分しかない。

私が着物を着るのには最低20分かかる。いろいろ待ったなしだ。その日はたくさん歩くし寒いので、洋服とブーツをベースにした洋装ミックスにするのだけは決めていた。

ガバッと起き上がった私はすぐにパジャマを脱いでコットンのタートルネックシャツとサテンのスカートを身につけ、その上に先日の京都出張の帰り、戻橋の三階で500円で買ってきた不可思議銘仙の袷を着、半幅帯を「カルタ結び」にして帯締めで押さえた。

そこまでかかった時間は、15分。やれやれ、改めて出かけるバッグの中を整え、お手洗いと顔洗いなどを行い、白湯を飲んで化粧したところで時間切れ。でもまあなんとかなった。我ながら意外と手早く支度できたのでビックリだ。

伊達に着付け教室で約1年、通算40回近く着る練習をしたわけではないな、と思った。回数、慣れというのは、馬鹿にできない。

「着物を着たい、着られるようになりたい」という衝動に突然突き動かされるようになったのがちょうど4年前の暮れのことだった。

何も訳がわからないまま、たまたま家の近所にあったリサイクル着物店でサイズも適当に種類も分からない着物と帯を買い(のちに何かの紬と名古屋帯だということがわかる!)、しかしどうやら着物というのは、着物と帯だけでは着られないようだと勘付き(!)、帯揚げや帯締めを別の日に買ったが襦袢を買うという発想すら、まるでなかったのだった。

とにかく、あれこれ揃えないと着られないようだと知り、ようやく途方に暮れた。本当に本当に何もわかっていなかった。

そしてこの時点では着物の畳み方すら知らなかったので、買ってきたままの着物をただ眺めている日々だった。一度広げたら終わりだ。

ある日耐えきれず羽織ってみるものの即絶望。かいまき布団の夜具畳みのような丸め方で始末した。しかしさすがにこれではまずいと思いその後、本を見ながら畳み方の特訓をすることになる。

その頃、まだ生きていた母に特養の面会の際、「実家のお母さんのタンスの着物を欲しいんだけど、くれない?」と聞いたら全部やると言われ、後日実家の片付けに出かけた際ひたすら畳紙を開いては着物を眺め、羽織り、しみじみ畳んでしまっていたりした。それだけでも楽しかった。

年明けからは長女の成人式準備に託け、呉服屋さんで小物を選んだり、浴衣を買ったり、浴衣のワンコイン着付け教室に足を向けたりするようになった。

何も知らないところからその頃、やっと「裄、丈」という概念を得る。着物のサイズ感のことだ。どうやら身長の他に腕の長さがポイントになるものらしい。なんだそれ。難しすぎるだろう。

着物に関する書物を片端から読み、ユーチューブ動画で着付けを学ぼうとするも、とにかく訳がわからず難儀した。しかし母は春先に急逝してしまい相談することもかなわないのだった。

形見の着物を着る気持ちにまだなれずメルカリで手頃な訪問着と帯と小物の揃ったセットを買い、暮れに前撮りの娘の成人式写真に挑んだ。着付けはまるまる美容院でお願いした。小物の詳細も着付けのうまい下手も何もわからなかったが、着物を着せてもらった自分の姿は、とても好きだと思った。

その翌年、長女の成人式。その頃から隙あらば各所で開催される「きものフリマ」の類のイベント情報を収集、足繁く通うようになる。自分がどんな色や柄が好きか、そして似合うのかわからないので、とにかくたくさん見たいし欲しいのだ。着物のことを考えていると、それだけできわめて大変に幸福な気分になるのに気づいたのもその頃だ。

「でも一人でどうしていいかわからなくて」と、ある川越のリサイクル着物店でぼやくと、気楽な着付けサークルがあるので遊びにおいでと誘われる。おっかなびっくり訪ねていくと、これが非常に楽しい。目も覚めるほどに。

ただ家から遠くて定期的に通うのが難儀なのと、どうしても理屈のところから学びたいという欲が出てきて、しばらく悶々とする。結局悩んだ挙句、片道30分ほどで通えるきもの学院に籍を置くことにしたのが一昨年の晩夏の頃だ。

そこから亀の歩みで着付けを学んできたが、恐ろしいことに、ぼちぼち「講師」のお免状が出てしまう。そんな実力はどこにもないのに。

ただ、どれくらい自分ができないかの目算が立つようになったことが成長の証なのかも知れない。それでもまるで足りないが、本や映像でどんなに見て学んでも手を動かさないことにはこれはどうにもならない類の物事なのだと思い知っている。

ただ着物という服を「着る」だけのことに学ぶも何もないと思いもするが、これは着てみてわかったけど折り紙の一種、ある種の幾何学でもあるし、着物と帯や小物との組み合わせはデザインの学びであるし、着る作業自体が全身を使った体操だ。織物などの歴史も踏まえようとすれば日本史にも通じる。色合わせからは平安朝へ飛ぶ。奥が深い。底なし沼だ。

母もあの世で呆れていることだろう。でもきっと笑ってくれるはず。今日も着物の山を前にただ畳んでいるだけで、私は心からご機嫌なのだから。

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デッパグマ まじすか👀 めっちゃあざます💕