琉球古典音楽「暁節」小考
🔴琉球古典音楽の「古流」と「当流」にそれぞれ「暁節」が存在する。
両極は「昔節」であり、「古流」のものが士族文化の中で洗練されて「当流」のものへと「発展」したものであり、「同系の歌曲」である。
◯「古流」つまり「湛水流の暁節」
「曲の速度が当流より早い」、「三線の手や技巧が当流より多く細かい」などと言った「当流」の「暁節」との違いがある。
また、「古流」での「暁節」では「本歌」ではなく「替歌」で歌われるので「本歌」の歌詞ではない。また、「暁節」は「平家音楽」に類似する曲の進行をするため、メロディーそのものは「雅楽」の楽器演奏でも出来そうな哀調を帯びた名曲である。
「古流の暁節の歌詞(替歌)」
◯「惜しむ夜やふけて 明雲もたちゆり にやまたいつ拝で ももちのびゆが」
以上である。
私は「古流」の「三線伴奏のみの独唱の暁節」が特に好きで時折聴いている。
◯「当流の暁節の歌詞」
(本歌)
「あかつきやなゆり いきやおさうずめしやいが わかるさめとめば そでのなみだ」
(替歌)
「惜しむ夜やふけて 明雲やたちゆり にやまたいつをがで ももきのびゆが」
「かたらても互に いことばや残て 恋しあかつきの 鳥やなきゆさ」
以上である。
「暁節」は「当流」の方で「本歌」を歌うようになっている。
これは「古流」と「当流」に「同曲がある場合」には「本歌」は「当流にて扱う」ように歴史的になって来たようである。
この「暁節」は「琉球旋法」というより「平家音楽に見られる旋法」が使用されており、「陰音階での曲の進行」が特徴的に見られるなど、少しばかり「独特な古風さ」を感じる「曲」であり「歌」である。
こういった「歌曲」を聴く度に思うのは「果たしてこれらの歌曲が琉球文化単独で作られたものであるのか」と言う疑問である。南はインドネシアはスンダランドの「スンダ王朝楽」に類似した「いわゆる琉球音階」と、北は「雅楽や平家音楽」などの「日本の古典音楽」に「大陸の三弦や琵琶などの大陸の朝廷音楽」などの「影響の下」に「琉球の音楽は育って来たのではないのだろうか」と、時々考えることがある。
色々と想いに耽りながら、この「暁節」を聴いてみるのも良いのではなかろうか。
そう思うばかりである。
