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琉球古典音楽「かぎやで風節」と通称の「御前風節」と琉球地域の民謡との関係を見てみる。

●琉球古典音楽の「かぎやで風節」は「座の開き」や「祝の座」や「舞踊曲のチラシ」や「各種祭例祭祀に係る場」などで歌われているもので「舞踊」や「空手舞踊」等が付く場合のある歌である。

「御前風節」は通称で、琉球国王の御前で歌われる「御前五曲」や「御前三曲」の筆頭であり、最も簡略形式の場合はこの「かぎやで風節」の一曲のみで歌われた事から、等の理由で「御前風節」と呼ばれるようになったと考えられる。

○元は「稲真積節(稲マヅン節)」が「国王御前の筆頭の曲」であったが、訳あって「稲真積節」と差し替えて「かぎやで風節」が使われるようになったという。

ちなみに「稲真積節」の「本歌」は以下の一首である。

一、今年毛作リヤ

アン清ラサヨカテ

蔵ニ積餘チ

真積シヤベラ

※以上「稲真積節の本歌」である。

☆「かぎやで風節の本歌」は次の通りである。

一、アタ果報ノツキヤス

夢ヤチヤウモ不見

カギヤデ風ノ作リ

ヘタトツキヤサ

※以上が「かぎやで風節の本歌」であり以下に「かぎやで風節の替歌」を記す。

一、今日ノ誇ラシヤヤ

ナヲニキヤナタテル

莟デヲル花ノ

露キヤタゴト

一、首里天ギヤナシ

百トハレ兆ハレ

御万人ノマギリ

拝デスデラ

一、根ノハヘヤ岩ホ

身ハ龍ノゴトニ

壽ヤ千年

子孫揃テ

一、嬉シサヤ庭ノ

竹ノ節節ニ

君ガ万代ノ

齢コメテ

一、九重ノ内ニ

莟デ露待ユス

ウレシゴト菊ノ

花ドヤユル

一、降ル雨露ノ

時ヨタガハ子ハ

民モ樂シミユル

御世ノウレシヤ

一、豊カナル御世ノ

祥シ現ハレテ

雨露ノ惠ミ

時モ不違

一、常盤ナル松ノ

替ルコトナイサメ

幾モ春クレバ

色ド勝ル

一、御祝ゴト續ク

御世ノウレシサヤ

寄ル歳マデモ

若クナユサ

※以上が王府時代末期の「かぎやで風節の替歌」である。次いで「旅の時のかぎやで風節(旅御前風)」の歌詞を掲載する。

《旅の時のかぎやで風節の歌詞》

一、ダンヂヨ佳例吉ヤ

撰デサシメシヤル

御舩ノ綱トレバ

風ヤマトモ

一、首里天ギヤナシ

百トマデ兆マデ

旅ノ行戻リ

拝デスデラ

一、一ノ帆ノ帆中

吹包厶美風

聞得大君ノ

御スジ美風

一、御祝日ニナレハ

押風モマトモ

ダンヂヨ佳例吉ノ

祥サラメ

一、去年ヨリモ今年

旅ノ道廣デ

舩ハラチ見レバ

波モシヅカ

※以上「旅の時のかぎやで風節の歌詞」王府時代末期頃のものである。

☆他にも「墓の御前風」等の歌詞があるがここでは省略する。

●「かぎやで風節」の「今日ぬ誇らしゃや」の歌詞は「本歌」ではなく「替歌の筆頭」である、しかしその歌詞の内容故に「祝いの座」や「座の開き」での「座の清めの歌詞」として定着しており「御前風節(かぎやで風節)の歌詞」は現在の一般的な歌詞として深く浸透している。

●地方部や離島などでの利用状況

先ず、「琉球古典音楽のかぎやで風節」としての浸透は北は鹿児島県奄美群島地域の南奄美三島(与論島・沖永良部島・徳之島)から南西へは与那国島に至るまで「弾唱されている」が、他に「民謡・古謡化したかぎやで風節のメロディーの歌」が北は奄美徳之島から南は沖縄県与那国島まで広範囲に分布している。

○先島諸島の「牛等の願い歌」「角皿・長皿・大皿・中皿などのアユやアヨーやアヤグ(アーグ・エーグ)」や「グジンプー・グディンプー(御前風)」などの「神歌や古謡」などに「かぎやで風節のメロディーによる歌唱」が行われており、与那国島では「牛願アユ」を「節歌化」する際に「伴奏の三線のメロディーは変えたが歌の基本的なメロディーはかぎやで風節調で遺す」という技法により改作された「牛願節」が存在する。

○沖縄本島と周辺離島の場合

「神歌」や「古謡」などに「メロディーがかぎやで風節の歌」が多数存在している他に、

琉球空手・琉球古武術・空手舞踊の型に「舞方」があり、基本的には「かぎやで風節の弾唱に合わせて演武される型」を指していたものであるが、明治から大正期ぐらいに「かぎやで風節を早調子に崩した」曲として「舞方」が民謡曲として発生し、その民謡「舞方」に合わせた演武の「舞方」も発生している。

○奄美群島の与論島・沖永良部島・徳之島の場合

※与論島の場合は基本的に「かぎやで風節」は別名「御前風節」とも呼ばれるが、基本的には「琉球古典音楽としてのかぎやで風節」が弾唱されており、島風の場合は「自己流」といった扱いの場合が殆どである。

※沖永良部島の場合は明確に「琉球古典音楽のかぎやで風節」と沖永良部島民謡の「島御前風」が存在している。

これは「かぎやで風節」は「琉球古典音楽のかぎやで風節を習得した人の歌うもの」と、昔から島内各地に伝承されて来た「沖永良部島風のかぎやで風節として歌われる島御前風」とが存在している状態である。

沖永良部島民謡の「島御前風」の「本歌の歌詞」を記す。

一、今日ぬ福らしゃや

物に譬ぇららん

いちむ此ぬ(今日ぬ)如に

あらちたぼり

※中には島御前風を「かぎやで風節の歌詞」で歌う人もいる。

※徳之島の場合

徳之島の場合も基本的には沖永良部島同じ様に「徳之島の島御前風」があり、沖永良部島では沖縄三線を用いるが徳之島では主に奄美三線を用いて「奄美三線の技法で演奏された島御前風」となっている。

徳之島民謡の「島御前風」の「本歌の歌詞」を記載する。

一、今日ぬ福らしゃや

何時よりむ勝てぃ

何時む此の如に

あらち給ぼり

※中には「かぎやで風節の歌詞」にて歌う人もいる。

☆「琉球王府」と「かぎやで風節」

「琉球王の御前の曲」

これは大陸の皇帝の御前での演奏組曲である「御前清曲」に倣って「琉球古典音楽による御前曲」としてまとめられた「御前五曲」「御前三曲」の成立と、「御前五曲」及び「御前三曲」の筆頭の曲が「稲真積(稲マヅン)節」から「かぎやで風節」へと差し替えが行われて以降に、その「略式御前曲」として「かぎやで風節単体での弾唱」の定着とともに琉球地域全域に広まって行ったと考えるのが妥当である。

何より「琉球士族の学問の必修科目に歌三線」があり、また、聞得大君を始めとする「ノロ・ツカサ」の系統に於いても「神歌の基本的なメロディーの一つ」として伝えられたとも考えられるからである。

今となっては詳細に記録した書物等もそう多く残っていないと思われるが、少なくとも「第二尚王統の流れ」からの時系列で考えた時に「かぎやで風節は琉球国の国策で広まった一面もある」そして、「平民もこの歌を広めた」という側面も考慮しながら北からの分布と各地の状況を見るに「当時琉球地域で最も広範囲で歌われた歌の系統の一つであった」と言っても過言では無いのではないか、と考えるところである。

他のバリエーションに「早御前風節」という曲の分布が沖縄本島北部地方から八重山諸島の離島の一部にあり、

そこにも注目している。

☆ここまで「かぎやで風節」に関して記述して来たが、この曲に関してはここでは書き切れない程の「思考を巡らせていること」と「各地での想い出」が交錯している。

然しながら「かぎやで風節」ほどに「琉球らしい歌曲」と言うものも少ないのではないか、とも思っている。





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