暇潰草子「ヘルマン・ヘッセ"デミアン(新潮文庫版)"を読む(進捗率30%)。」(2026/03/10)
肝心なのは、ひとつのことに執心しないことだ。
たとえ、喫緊の課題を解決できたところで、他にも課題が山積しているのならば、満足など程遠いのである。
他人との接触や受容されている感覚に飢えている私の前に、例えば私に対して興味を持ち、積極的に受け入れてくれて、そのうちに何度もコンタクトを取るようになったところで、日常生活が回っている、社会的に暮らす上での不安がない、そしてなにより、孤独を好意的に受け入れている、と要素が整っていなければ満足など感じられるはずもないということだ。
言い換えれば、満足というのは個別具体の出来事によってもたらされるのではなく、安心感や自己肯定感、自己効力感、やっていることは意味があるという感じ、受け入れられている感じ、といったものが幾つも合わさることによる意識や神経の総合的な判断を経て感じられるものなのだ。
この物語の主人公もそうだろう?
クローマーの脅威が去っても、その後の語られていない数年間だって本当に心穏やかだったかはわからないし、そして、遂に思春期に突入した折、性の目覚めとともにマックス・デミアンに対する感情が、なにやら出会った当初には思いもしなかったほうへ展開しそうだ。
かように、人間のこころというものは、当人からしてみても全く予想もできない流れに呑まれ、それに任せて漂う以外には何もできないということが、人生の中ではしばしば起こるのである。
そして…、流れ着いた先の案外心地の良いことに次第に気づいて、結局そこに定住したりして…。ねぇ?
カインとアベルを象徴とした話だって実に興味深い。
弟を殺したカイン、兄に殺されたアベル…。
聖書では特になんとも書かれていないはずだが、大概は人殺しを行ったほうを悪と断罪するし、人間世界の倫理で言えばそのことに関して理解に苦しむことはない。──ただ…、
大概の人間はどちらの気持ちだって理解できやしないか?
神に選ばれ兄に対して少なからず優越感のあるアベル…、弟だけが選ばれて苦悩するカイン…。どうだろう?
