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第1回(うら) 文化・芸術に関わる言葉/心の豊かさ

このnoteのテーマは心の豊かさについてです。

はじめに

まず、「心の豊かさ」は「にぎわい」と同じ行政語ではありますが、歴史は少し古いようです。たとえば内閣府「国民生活に関する世論調査」を見ると、1972年の時点で「これからは心の豊かさか、まだ物の豊かさか」という世論調査がすでに開始されています。ちなみに、全体の推移を見ると、心の豊かさが圧倒的に求められているように見えるグラフです。しかし年代ごとに見ると、青年層では物の豊かさの回答も多く、逆に高齢者では心の豊かさを重視する割合が高いようです。

豊かさと90年代

さて、改めて「心の豊かさ」について。たとえば1991年出版に雑誌された『文化評論』を読むと、経済学者の池上惇が〈日本の長い歴史を振り返ってみても「ゆたかさ」という話題が現代ほど真剣に論じられた時代はないと思う〉と書いています。確かに、後にベストセラーとなる暉峻淑子の『豊かさとはなにか』が1989年に刊行されるなど、この「ゆたかさ」という言葉は、90年代を象徴するかのような言葉だったのかもしれません。

しかし、この時代の日本といえば、90年から日経平均株価が下降傾向に転じ、やがて「失われた20年」と呼ばれる時代の入り口に差し掛かる、非常に「いかがわしい」時代でした。また、世界的にはベルリンの壁の崩壊や湾岸戦争の勃発、日本国内でも、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、90年代後半以降は暗い世相が散見されます。
一方、日本における出版物の売上のピークが1996年、CD総売上のピークが1998年であったことを考えると(それを「絶頂期」とするか、それとも「下り坂の始まり」とするかは個人の考えに任せるとして)、文化産業に関して言えば、まだまだ「豊かさ」が感じられる90年代であったと言えるのかもしれません。ちなみに、バブルを振り返る番組などで、派手な格好をした女性たちが踊る映像が撮影された伝説のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしたのも1991年でした。

さて、ベストセラーになった『豊かさとはなにか』の最後には、文化的活動が、豊かさのための要素の例にあげられています。〈生きる、とは、生命力の全体的な発揮であり、偏った部分的な人生は豊かな人生とはいえないのである。私達は食物、暖かさ、眠り、愛し愛されること、社会からはじきだされないこと、教育、新年、文化的活動、政治参加などのすべてに対する欲求を持つ者として、全体として生きるのである。それが自己実現である〉。ここで文化的活動は、人が全体として生きるための要素に数えられ、そのように全体として生きられる人生が、すなわち豊かな人生であると主張されます。むろん、このような主張は、バブル期の過剰な熱狂が背景にあってこそ書かれたものです。

豊かさと文化

では、そのような90年代の「文化」にかかわる言説は、「豊かさ」をどのように語ったか。
たとえば1995年7月「新しい文化立国をめざして-文化振興のための当面の重点施策について-」が発表され、そこには〈戦後50年の節目を迎え、経済的にはかつてない発展をみた今日、広く国民の意識において物的豊かさより心の豊かさを求める機運が高まっている。 心の豊かさを満たすものは、まさに文化にほかならない〉というように、「心の豊かさ」という文言が書かれています。そして、この「モノからココロへ」といった内容の宣言は、90年代のなかで具体的に実施され、1996年には文化庁が「アーツプラン21」が32億600万円の予算で創設、続いて1998年には「文化振興マスタープラン」が発表されます。
ちなみに――余談ばかりですが――文化に関するこれらの変化が起きた90年代という時代は、日本各地に公共劇場が乱立した時代でもあります。どのくらいの乱立ぶりかと言うと、90年から94年の5年間に開館した全国のホール施設は573施設、95年から99年の5年間に開館したホール施設が549施設。つまりこの10年間で1,100を超えるホール施設が整備されたことになります。
およそ3日に1つの劇場がつくられる時代というのは、やはり異様ですが、それだけ文化に関心が深い時代であったかのようにも見えます。しかし、公共ホールが異常な速度で建ち続けた一方、「カザルスホール」「銀座セゾン劇場」「セゾン美術館」「扇町ミュージアムスクエア」「近鉄劇場」などの民間企業の運営による劇場施設は軒並み閉館または活動休止に追い込まれました。
劇場施が「民から公」へ入れ替わるような現象の背景には、いうまでもなく、バブルの崩壊があります。長引く不況を背景にして民間施設は経済的な課題に直面しました。そして政府ならびに地方自治体は、国内需要を増やす施策として、地域総合整備事業債をフル活用し、多くの箱物を建築することで公共事業を増やしました。それは、この時代に作られた様々なホールが、「心の豊かさ」のためというより、内需拡大という経済的な事情のために作られたことを意味しているとも言えます。

心と90年代

いずれにせよ、90年代は「ゆたかさ」が大きな関心ごとになり、そして文化に関わる部分では、それが「心の豊かさ」を満たすものとして語られました。
では、この「心の豊かさ」という言葉は、いかにして社会に定着したのか。

前述の通り、90年代は出版やCD売上等の数字がピークを迎えた年であり、現在と比較すれば、ある部分では、華やかな雰囲気がまだ残されていたと思います。しかし、90年代を振り返るにあたって、必ず話題にあがるのは、華やかさとはかけ離れたいくつかの出来事です。
まずは95年の阪神・淡路大震災。そして、同年の地下鉄サリン事件。平成時代を振り返る映像に、この二つの現場を撮影した航空写真が外されることはありません。また、いまよりも配慮の少ない時代でした。生々しい映像がテレビで何度も繰り返されていたように私は記憶しています。
この生々しい出来事を通じて広く一般に知られるようになった言葉があります。それは、PTSDと呼ばれる心的外傷後ストレス障害です。そもそもは、ベトナム戦争後のアメリカで問題化したもので、帰還兵の多くにそれらの症状が見られたことで、1980年にDMS(精神疾患の診断統計マニュアル)というもので初めて使われたらしいのですが、日本では、その二つの出来事を経て広く知られるようになりました。そして、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件以降、特定の症状を訴える人々の存在が認知され、それが精神医学ではPTSDと診断される「心の病気」であることが世間に広まりました。

しかし、「心」という言葉をより多くの人々に浸透させたのは、それから二年後の1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件に関す、ある種の報道でした。

事件に関するいくつかの報道を見てみましょう。まず、加害少年が逮捕されたのは6月28日でしたが、その翌日の6月29日になると、すぐに読売新聞が「憎悪潜む“心の闇”教育現場に戦りつ」といった見出しが添えられた記事を掲載しています。次に、その翌日の6月30日には、朝日新聞が「14歳 心の闇」という小連載を開始。そして同年8月、文部大臣から中央教育審議会に対する「幼年期からの心の教育のあり方について」という諮問が提出され、翌年の1998年6月に、「新しい時代を拓く心を育てるために 次世代を育てる心を失う危機」が答申として提出されたようです。

神戸の事件においては、その犯人の動機の説明(あるいは、動機の説明不可能性)を表現するにあたって、「心の闇」という言葉が、かなり早い時点において、マスメディアを通じて使用されました。そして一年後には文部大臣が、「心の教育」を問題とした諮問を作成し審議会に提出。当時9歳であった私ですら、「心の闇」という言葉がやけに使われていたのを覚えています。

ちなみに、この諮問に対する答申にも、「心や豊かさ」という言葉が使われています。「今日、心の豊かさを求める機運が確実に広がってきている。今後、我々大人が率先してモラルの低下を是正し、よりよい社会を目指したひたむきな努力や勇気を大切にしていくことにより、この危機を乗り越えていこうではないか」「物質的には豊かになった今日、人々自身も、心の豊かさをむしろ希求するようになっており、国や郷土の伝統・文化を継承し発展させようとする機運が社会の中で確実に高まってきている」。

神戸連続児童殺傷事件に対する報道は、犯人逮捕の翌日という、あまりに早い時点ですでに「心の闇」という言葉を発明しました。日本全体を揺るがした衝撃的な事件であり、そして想定外の犯人が逮捕されたことにより、言葉を失ったのではなく何かを語りたくなった人々は、その事件の原因を「心の闇」という言葉で処理しました。そして、この「心の闇」を解消するために、「心の教育」が採用される。90年代はその後半にかけて、「心」という言葉を長い期間にわたって扱い続けました。

おわりに

芸術作品や文学作品は、ときに、その「美しさ」や「崇高さ」といった要素が賞賛の対象になります。その場合、これらの要素は、普遍的な真理や普遍的な価値のようにして尊ばれます。もちろん、そのような普遍的な何かが描かれた芸術作品や文学作品もあるはずです。

しかし一方で、この「心の豊かさ」がそうであるように、芸術や文学について第三者が語る言葉とは、その時代の社会情勢や制度的な方針、その時代に特異な流行や事件や災害によって様々に変化するものです。芸術をとりまく環境は社会の動きに応じて変化し、その環境を説明する言葉も、その時々で新たに生まれる。いま、私たちが文化・芸術を「心の豊かさ」という言葉に紐づけて考えることを、もちろん内実は疑いながらも、それなりに受け入れている状況は、90年代に準備されたものであり、まったく普遍的なものではありません。日本という土地の、ある時代の、極めて限定的な価値観でしかありません。それが2020年代の今日まで継続的に価値として語られているために、「心の豊かさ」が普遍的な価値のようにも見えるかもしれませんが、それは東日本大震災をはじめとした災害や、今日の感染症拡大や、失われた20年が終わらないことの社会不安が、90年代からほとんど何も変わっていない、ということです。

結論めいたことを言えば、社会はあまり変化しなかったけれど、しかし文化や芸術というものは、本当に移ろいやすいものである、ということです。その社会の中で、ある種の言説がいとも簡単に文化・芸術と関連付き、その関連の中で簡単に利用されることがある。その言説は、ある時代には「心の豊かさ」であり、現代においては「にぎわい」や「社会包摂」や「共生社会実現」といったものです。ナチス・ドイツや大政翼賛会は、それが最も過度に傾いた結果のひとつかもしれません。しかしそれは、当時の政治家たちが文化や芸術を道具として扱うことに慣れていたというだけでもないと思います。そうではなく、文化や芸術が移ろいやすいものだからこそ、極端な方へ傾きやすい、といった事情もあったはずです。それゆえに、文化や芸術について考えるということは、その移ろいやすさ、足場の弱さのようなものを自覚した上で、考え始めなければならないのだと思います。

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