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【28週で出産】ふたご長女、慢性肺疾患と在宅酸素生活へ

こんにちは。妊娠28週、1000gで生まれた双子を育てています。


1.長女の慢性肺疾患が発覚、NICUで慎重に経過を見ていただきました。

ふたごの次女は生まれて2ヶ月半(妊娠38週相当)でNICU→GCUを退院時したが、長女のほうは、NICUとGCUと合わせて5ヶ月ほど入院していました。

長女の退院が長引いたのは、在宅酸素になるかどうかという判断に時間がかかったからです。

長女は生まれてすぐ、早産の影響で新生児慢性肺疾患になっていることが判明。家に帰ったあとも酸素を使うかもしれないというのは当初から言われていました。

その後も経過としてはそこまで悪くないと説明を受けつつ、
(NICUの雰囲気で言うと、母乳が飲めると言うのは比較的いい状態のようでした)
長女が飲む母乳(搾乳したもの)の量は、慎重に増やしてもらっていました。慢性肺疾患関連の赤ちゃんの場合、一気に体重が増えると肺の状態が悪くなることがあるそうです。

そんなこんなで丁寧に見ていただきつつ、通常から退院になる2600gを超えたあとも、
「体重が4kgになるまでは、在宅酸素になるかどうかを判断させていただきます」ということで、長女は生まれてから5ヶ月間NICU→GCUに入院していました。

次女が先に退院していたのもあって、長女のところには長い時間は面会にいけなかったな…。今思い出しても申し訳ない…。

ありがたかったのは担当医の先生が、
「もうしばらく、長女ちゃんのこと、こちらでも可愛がらせてくださいね」と言ってくださって、本当に毎日長女を抱っこしてくれていたことです。

(担当医の先生は何も言わなかったのですが、GCUの看護師さんからこっそり教えていただきました)


2.酸素を外す検査→在宅酸素決定

そんなこんなで体重が4kgを超えたころ、酸素を外して生活ができるかの検査をすることになりました。要は酸素を外した状態で、酸素飽和度を測りつつ本人の様子をみる検査です。
(※酸素飽和度…ざっくりいうと、血液中の酸素がどれだけあるかという値)

結果は在宅酸素決定。
「酸素飽和度の値としては行けるかもしれはいとも思いましたが、酸素をつけていないと長女ちゃんのミルクの飲みが悪くなってしまって…。無理に酸素を外さず、ゆっくり大きく育ってもらいましょう」と…。
(※酸素が取れたのは、一歳半のときでした。いつかは取れる、というのが、この病気のありがたいところだったと思います)

当時は受け止める余裕もありませんでしたが、今振り返ると、丁寧に言葉を選んでいただいていたなあと…。

(最近その時の主治医に、偶然に今のうちの子たちに会っていただく機会がありました。お礼を言えて良かったです。お世話になったNICUには、主治医と担当医がいました。日頃の説明は担当医の先生、在宅酸素や脳のMRI検査など重要な説明は主治医の先生がしてくれていました)


そして、(覚悟きてなければいけなかったにも関わらず出来てなかったので)私の気持ちも追いつかないまま、在宅酸素の機械やモニター、外出用の酸素ボンベ、訪問看護のことなど情報の洪水状態になり…。

3.GCUで在宅酸素生活のケアを特訓

退院前の2週間ほど、在宅酸素周辺のケアをGCUで練習することになりました。この間に私が練習したのは、

①酸素カニューレの取り外し

在宅酸素では、鼻の下のところまでチューブ(カニューレ)を伸ばしていて、その穴から本人の鼻の穴に酸素が入る仕組みになっています。穴の位置を鼻の下に合わせて、鼻の上かほっぺたのところにテープでカニューレを固定します。

サムネにもしましたが…。
鼻の上にぽちっと描いたのはテープです。


GCUでは基本、毎日沐浴をさせるので、その時につけたり外したりする練習をしました。


②モニターの管理

→長女ちゃんは酸素を取り込む力が弱くて、在宅酸素になりました。そのため自宅でも、酸素飽和度(血液の中にどれだけ酸素があるか)を常に見ておく必要がありました。この値が極端に低いときには、NICUで入院していた病院の小児科に電話することになっていました。
(幸い、その事態はなかったです)
モニターのセンサーは、足の指につけておく必要があったので、そのつけ外しの練習もしていました。

その後、訪問看護ステーションの担当者さんと打ち合わせしたり、酸素の機械や外出時の酸素ボンベのレンタル手続きをしたりして(地元のガス会社さんがやってくれていました)、着々と退院準備は進んでいきました。

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