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黙読革命──鉄道が変えた日本の読書文化【トリビア雑学・豆知識】

音読から黙読への変遷と鉄道の影響

かつての日本では、本を読むことは音読することを意味していた。江戸時代においても、読書といえば声に出して読む行為だった。(素読そどく)そのため、当時の外国人が宿に泊まった際、隣の部屋から音読の声が聞こえて眠れなかったという記録も残っているほどだ。

しかし、明治時代になり鉄道が普及すると、読書のあり方が変化した。人々は車内で本を読むようになったが、周囲への配慮から音読を避け、次第に黙読するようになった。この変化により、音読は公共の場で「無知の象徴」と見なされるようになり、黙読が一般的になっていった。

さらに、鉄道内での読書習慣が家庭にも影響を与え、それまで家では音読が主流だったのが、黙読へと逆輸入される形で定着していった。こうした流れを考えると、黙読は近代における公共空間の発展とともに生まれた文化であることがわかる。

黙読が普及するにつれて、読書そのものの意味合いも変化していった。かつて読書は個人的な行為であり、「本を読むこと=知的である」という価値観はあまりなかった。しかし、鉄道などの公共空間で読書をする人が増えると、「読書をする国民であるかどうか」という観点で評価されるようになり、読書が公的な行為として扱われるようになった。

この流れを象徴するのが、講談社から出版された『読書国民の誕生』という書籍にもあるような、読書の社会的役割の変化である。本を読んでいること自体が知的なアピールとされ、「読書することが重要」という認識が広がった。

加えて、「何を読むか」も重視されるようになった。例えば、明治時代には『東京パック』や宮武外骨の『滑稽新聞』といった娯楽的な雑誌が登場し、電車の中で気軽に読めるものとして人気を集めた。これは、文字ばかりの本を読むのは大変だが、漫画や風刺画が多い雑誌なら読みやすいという発想から生まれたものだった。

この流れは現代にも通じる部分があり、例えば週刊誌や漫画雑誌など、軽く読めるものが電車内での読書に適しているとされた。当時の知識人の中には、「日本人は低俗な雑誌ばかり読んでいる」と批判する者もいたが、こうした文化は今の週刊誌や漫画の読まれ方と大きく変わっていない。

こうして振り返ると、電車で本を読むという行為は、実は比較的新しい文化であり、近代化とともに生まれたものであることがわかる。移動時間を利用しつつ、公的な場で知的な活動を行うという意識が強まった結果、読書は単なる個人的な趣味ではなく、社会的な意味を持つ行為へと変わっていった。

一方で、現代では紙の本だけでなくスマートフォンやタブレットで文章を読むことが一般的になりつつある。この変化が、今後の読書文化にどのような影響を与えるのかも興味深いところだ。


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