こんぴらさんとドクターマーチン。
「12月6日、坂出に来れるか?」
もっさりの今年の目標の1つは 「むくみと3回旅行に行く」だった。2回しか行けなかったな、と思っていた11月の末、突然もっさりにこう聞かれ私は急遽 有給を取った。
6日の早朝 新幹線で岡山へ行きマリンライナーに乗り換え坂出駅に到着すると、前日から出張で来ていたもっさりが紺のPコートに黄土色のズボン、エンジ色のドクターマーチンを履いて改札の前で待ちかまえていた。
前の週、エンジ色のドクターマーチンを久々に履いたもっさりは、歩くたびに「痛たたた」と発しヘコヘコと歩いていた。それを旅行に履いていくと言うので私はこう言った。
「向こうで痛いとか言っても知らんで。それで金比羅さんに登って歩けへんとか言っても無視するからな」
坂出駅から真っ先に向かったのは手打ちうどん「竹虎」さん。10時の開店直後、既に4〜5組の客がうどんを啜っていた。
注文を済ませ串のついたおでんを取りに行くと程なくしてうどんがやって来た。美味しいお出汁にこしのある麺、おでんも味が染みている。
ほっこり温まった2人はこんぴらさん(金刀比羅宮)へ到着した。
表参道を抜け、現れた石段の両脇には土産物屋が軒を連ねている。息を切らしながら案内板を見るとまだ113段目だった。奥社の厳魂神社までは1368段。私はもう心が折れていた。
365段目 大門を潜ると商店はなくなり紅葉が綺麗で神社らしい雰囲気が増す。431段目 桜馬場西詰銅鳥居 横の御厨で2頭の馬を愛でながら休憩し、628段目 旭社を過ぎ青銅鳥居をくぐると急に神聖な空気に変わった。
「突然 気 が良くなった。良い空気が流れてる!」
先を歩くもっさりに後ろから声をかけると
「日陰になっただけやろ」
と素っ気ない返事。後ろに続く参拝者達の笑い声が聞こえた。
確かに木が生い茂りそこは闇峠と呼ばれる場所。でも、だからこそ神聖な空気の流れが作られているのではないか、ともっさりの言葉に不満を抱きながら手水舎で手を清め785段目 御本宮 に到着すると大きな社殿に圧倒された。
お参りを済ませ高台からの景色を一望すると、もっさりはこう言った。
「俺は上には行かへんからな。行くんやったら止めはせえへんけど、俺はここで待ってる」
残りは583段。せっかく来たのだから奥社まで行ってみたい。でも登れたとしても下りがきつい(高い所が苦手で運動神経のない私は階段を降りるのが苦手だ)。もっさりと2人なら行けそうな気がするが1人でしんどくなったら悲惨だ。1人でも登れる体力をつけてまた来よう。
下りながら杖を借りなかったことを後悔していた。土産物屋の至る所に100円の貸し杖が置かれていたのにスルーしていた。
ふと もっさりがドクターマーチンを履いていることを思い出した。
「足、大丈夫なん?」
「3日も履いてるともう馴染んで来たわ」
あんなに痛がっていたのに、革が伸びたのだろうか。まあ、とにかく良かった。
500段目まで下り、資生堂パーラー「神椿」で友人へのお土産物を購入。
奥社まで登りきっていない私にはここでお茶をする資格はない。次は必ず奥社まで登り、テラス席で木漏れ日を浴びながら甘いものを頂こうと心に誓った。
下山して助手席に乗った私は「瀬戸大橋になったら起こしてな」と告げ、ハンドルを握るもっさりの横でいつものように熟睡した。
「おい。瀬戸大橋やで」
良い気分で寝ているところを起こされ、私は不機嫌だった。が、澄んだ青空に瀬戸大橋の大きく白い主塔とそこから伸びるケーブルが目に飛び込んできた瞬間、一気に覚醒した。カッコ良すぎる。吊り橋最高。
与島パーキングエリアに寄り景色を堪能した。
宿泊先の岡山県倉敷市の大きなホテルは築50年以上が経過し、どこもかしもこ昭和の匂い。玄関に飾られたサンタのぬいぐるみ達のくすみ具合がクリスマスのワクワク感を通り越し、逆に切なかった。
2人で沈む夕陽を眺めたが感動することもなく、疲れたもっさりはベッドで横になり、私はひとり大浴場へ向かった。
夕食時ということもあってか先客は次々に去り、海に面した露天風呂を独占。
濃紺の海から聞こえる波の音。頬にぶつかる風。影だけになった漆黒の島々。夕日が沈んだ後の水平線から漏れるオレンジの光。その上に黄、水色、青、藍、紺とグラデーションになった空。頭上にはいくつか星が瞬いていた。
大浴場に戻るとまだ誰もいない。7〜8mはある大きな浴槽で、いけないと思いつつ 誰か来やしないかとドキドキしながら 平泳ぎをした。温泉の大浴場で泳ぐなんてこの先いつできるか分からない。これが人生で最後かもしれない。悔いの残らないように私は行ったり来たり4往復した。
夕食の鯛の兜煮や鮑の踊り焼きに舌鼓をうち、部屋に戻ると横になった。予約していた家族風呂でもっさりと一緒にお風呂に入るのを楽しみにしていたが、そのまま眠りにつき、もっさりはひとりで家族風呂を堪能した。
翌朝6時に目が覚めると薄暗い部屋の鏡の前にトドが座っていた。驚いてよく見ると裸のもっさりが鏡台の椅子に座り、朝風呂へ行く準備をしている。
朝の露天風呂も運良く独り占め。
立ち昇る湯気越しに昨日とは違う海。色は薄い鼠色や銀色に近い。波が高く影の部分は紺色、船の通った後は1本の道のようにしばらくの間 白い航跡が残っていた。
時折響く鳥の囀りに顔を上げ、頬に冷たい空気を感じながら遠くを眺めると、昨日輪郭しか見えなかった島の樹木の緑がしっかりと見えた。
遠く霞む白い靄の上は薄い桃色、橙、黄、黄緑、青とグラデーションをなして、澄んだ青い空には仄かに輝く白い月が浮かんでいる。
私はこの海と空の色を表現する言葉を持っていない。この美しさを表現するどんな言葉も思い浮かばない。と思った。
本当に美味しいものを食べた時 何も言葉が出てこないように、素晴らしい景色もまた それを言葉で表すことはできない。
朝食を済ませ大原美術館で1925展を満喫し、倉敷美観地区を散策し帰路に着く。
「明日のお昼は車の中でグラコロ食べるからな」と前日から宣言していたもっさり。なんでもグラコロは気がついたらいつの間にか終わっているから早く食べないといけないらしい。高速に乗る前にマクドのドライブスルーに寄った。
もっさりに「運転しながら食べれるように配慮ができていない」と叱られた私は、もっさりの言う通り配慮できていなかった。が、どうして岡山に来てグラコロなのか、ドライブスルーは車から降りずに買って帰れるのがメリットであって、運転しながら食べるものではないのではないか、とグルグル考えていた。
夕方、もっさりの家に寄ってから私の家まで行くことになった。自宅に荷物を置いたもっさりは「靴履き替えるわ」といつものパトリックのスニーカーに履き替えると
「あ〜ラク。足が楽になった〜」
と嬉々としている。
こんぴらさんでは「慣れた」とか言ってたけど、ずっと痛いのを我慢してたんじゃないか。
奥社まで行かなかったのは、ドクターマーチンが痛かったからじゃないか。
きっとこんぴらさんの神聖な空気を「日陰のせい」なんて言ったから、罰が当たったんだ。
もっさりは今度いつドクターマーチンを履くのだろう。
きっと私はエンジ色のドクターマーチンを見るたびにこんぴらさんを思い出す。
