続・自己紹介 〜 垣根としてのイントロダクション
どうも、FUUDです。
鉛筆でドローイングしたものを作品として、Instagramや自主企画の作品展で発表しています。ドローイングするときに好きな紙はMUJIのメモパッドで、ほとんどの絵が10cm×10cmの枠の中に収まっています。

また、描いた作品は自らパソコン上でページ組みしたものを紙に出力し、さらに綴じたり裁ったりして冊子に仕上げ、手に取りやすい形でも残してきました。

ここまではイントロダクションのイントロダクション。
今回綴ろうと思ったのは、少しでもみなさんにFUUD、それからH apartment studiosの活動をわかってもらおうと思ったからです。では、試みます。
①好きでやっています
FUUDの活動は"芸術"と呼ばれる大きな文脈で見ていただいて差し支えありません。その上で、大衆芸術とご理解ください。会派やギャラリーには属していませんし、今の活動が今後所属することを目指しての布石でもありません。その意味では完全独立の"野良"活動です。他者からの要請ではなく、たんにやりたいからやっている活動なのだ、と言えます。いたって余暇的。ヒエラルキーの外側に立っている、ということも表現のひとつとして捉えていただけると幸いです。
活動の拠点について。
かつてはMETA社が運営するSNS "instagram"を唯一の拠点にしていましたが、今は福岡県久留米市にH apartment studios という場を設け、そこを拠点としています。その場を運営しているのもまたぼくです。このnoteやinstagram、その他SNSはそれらへの窓口として使っています。
ということで、自身や作品が評価される場所を、SNSや自前の作品展、ZINEを手に取った人たちのいる場に限定している、と言い換えることができるでしょう。いろいろと未完成ですが、全ての活動はあなたがご覧になっているそれがそのまま作品として成立しています。あなたの反応が作品や活動への評価です。
"芸術とは"というとき、それが作品の本質を語る言葉なのか、市場に差し出す言葉なのかで、記述される内容に食い違いが生じることはみなさんもご承知のことだと思います。それで言えば、ぼくは主流とされるものの土俵にすら上がろうとしていません。ただし参照はしています。ですから、土俵に立つときは、芸術史/美術史において権威をもつギャラリーや美術館で作品展をするとき、(そしてそのときは「転向」を宣言して"芸術家"とか"美術家"もしくは"アーティスト"と自称するのでしょう。今は芸術作品の制作をする人="作家"と名乗らせてもらっています。)だと言えそうです。これをインディーミュージックの文脈では"SELL OUT"と言うことがあります。現時点でのFUUD及びH apartment studios は意図的にセルアウト以前の状態を保っていると言えるでしょう。
活動もまだ3年目ですしね。
②「小さく、ゆるく、自在に」
ヴィジョンという言葉があります。ぼくの作品やZINEや作品展がどのようにあろうとしているか。それについて綴ります。
FUUD4回目の作品展のあと、H apartment studiosにスローガンを設けました。それが「小さく、ゆるく、自在に」です。活動するにあたっての心構えをギュッと短くまとめました。
・小さく
作家が見渡せる範囲で活動の反応や作品の流通を見ます。ぼくの私有地からあなたの私有地へ。手紙のような発想で活動を展開しています。(不特定多数の目があるSNS上では、作品を肉眼で見ることができないかわりに作家や場の振る舞いをご覧になることができます。)
そこに集うとは、みなさんに届く形で言えば「マイクロ・コレクティブ(コミュニティ未満の小集団)」とでも言いましょうか。そのようなものを目指す過程だとお考えください。
二年ほどの活動ですが、このような考えが鑑賞者との距離感を掴みにくくさせていることも感じてきました。しかしその現場で起きている問題のいくつかこそがヒエラルキーの構造の中で捉えられていることの証なのでは?という仮説のもと、実践で作家としての在り方に答えを出している最中です。
・ゆるく
人が集まれば社会を形成します。ここではFUUDやH apartment studiosの活動が、人の動きを見ることでやっと可視化されるくらいの小規模な集団になったことについて考えました。それはひとつの小さな社会です。そうなったときにコミュニティ未満の小集団でありたい。とはいえ、この活動自体がヒエラルキー構造の中で読み替えられるおそれを多分に孕んでいます。そこを少しでも理解していただきたいとの思いで「ゆるく」と謳うことにしました。反応はしたいときにすればいいし、関わり方に疑問を感じたなら離れればいい。また、垣根を越えて来られることにも寛容でありたい。甘い誘い水のような文言ですが、FUUD及びH apartment studiosの存在にはこのように、そもそもの出発点に多少なりともアナキズムの影響があるとお考えください。(参考: 「An Anarchist FAQ Webpage」及びその和訳抜粋WEBサイト「アナキズムFAQ」)
・自在に
そういう構えで作品や活動を公開しているわけですから、当然そのときどきで振る舞う目的も根拠も変わる可能性が高いと言えるでしょう。また、ミュージシャンの音源や詩人の冊子を取り扱っていることからもわかるように、「好きなものは好き」の表現の場でもあります。わたし(たち)が自身に規定を設けていることと言えば「ヒエラルキーの外で活動する」くらいなものです。しかしここで気に留めていただきたいのは、志を一にする同志と共にあろう!とか、そのメッセージを作品に込めて発信しよう!という試みではありません。あくまでわたし(たち)の活動の姿勢、その土台にあるものであって、あなたに主張したいことそのものではないのです。そのようにわたし(たち)は自在でありたいし、あなたにも自在であってほしい。そのような思いをこの言葉に込めました。
③まとめ
FUUD及びH apartment studios は、このように「好きなことを好きなようにやる」ための名義であり、そのような欲動を芸術の名を借りて形にするときの容れ物です。
長々と書いたわりに、言っていることはただたんに個人の趣味の報告でもあります。でも、それこそがやりたいことなのです。各種学問が一般の人間にも開かれている現代に、その文脈を借りつつ大いに遊ぶこと。わたし(たち)がやっているのはそれであり、そのマインドはきっと行く行く何かに接続するはずだ、と信じています。
FUUD / H apartment studios
