「お気持ち」って単語を違和なく使える言語感覚が一番やばい
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小ぎたない恋のはなしEx22「ザポリージャがウクライナの地名なのかファンタジーRPGのキャラ名かも思い出せない世代へ」
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▼小ぎたない恋のはなしEx23「『お気持ち』って単語を違和なく使える言語感覚が一番やばい」
上の世代の奴らは金で何でも買い漁ったとはかつてミュージシャンたちも唄っていた。
金で被支配層を「観念的な死」に置き換えた。
被支配層は自らを観念的な死の亡者にやつしたからこそその立場にいるのかどうか、僕はそこに立ったことがないから知らない。だけど彼らが滾々と死に向かっていることだけは解っている。僕らよりも長く生きているからだ。それは即物的、概念的、具体的な死だ。
「観念的な死」を配布する器具と成り果てていた支配層が、即物的で概念的かつ具体的な死に果たして向かっているとは滑稽極まりない。
即物的で概念的、かつ具体的な死とは、生き物が100年は生きれば必ず訪れる死のことだ。
緩やかに死に向かっていく連中は自分が焦っていることに気づかない。だからいつも生き急いでいる。そのように何度も、頼まれてもいないのに、聞かれてもいないのに何度も気持ちを表明する。
気持ちを表明することをお気持ちと揶揄する向きがある。これはかつて皇帝が自らmassなコミュニケーションを執らないといつか何かが破綻してしまうという危機感を抱いて及んだ行為を本来指すはずだ。
僕は右派とか左派とか、マジでどうでもいい。これまでさんざん話したような支配層が右派なら僕は左派になり、奴らが左派なら僕は右派になるだろう。そこに大義なんてあってたまるかと思う。派閥など手段に過ぎないのだ。
だから、そこまで悲痛な想いを抱えた皇帝が図ったコミュニケーションである「お気持ち」という言葉をして、そこらへんのちょっと長く生きた程度の連中が社内向けメールで長々と説教することを同軸上に位置づけるのは不敬行為とはならないのだろうかと僕は不思議でならない。
お気持ちメール、お気持ち発言、なんでもいい。呼び方なんてどうでもいい。
僕は皇帝についても何も思っていないけど、連中からしたら違うんだろう。なのに今ではその辺の名もないインフルエンサーでさえライブ配信中の視聴者の困った行為程度に対する発信にさえお気持ちという語で飾ろうとする。
あるいは、そのような「本心の表明」を指して、その発信をいけ好かないと思う連中が当該行為をお気持ち云々と形容して馬鹿にする。
いずれにせよ、だから僕はお気持ちという単語を形容詞として日常化している層を、皇帝のことが嫌いな人々なのだろうと思って見ている。かつて時の皇帝が振り絞った気持ちを小馬鹿にしているのだ。
気に入らないインフルエンサーを、権力者を馬鹿にするためにお気持ちという単語を使う。奴の発言はお気持ちだと。どうやら、気持ちを発する行為とはネガティブであり、攻撃対象としていいらしい。そしてそれは翻って皇帝をも攻撃していると僕は思うばかりなのだ。
何なら皇帝自身は自分が表明したかった言葉については一切お気持ちなどとは形容したくなかったのではないだろうか。皇帝という、その他とは一線を画さなければならないと誰もが当然象徴的に捉えているからこそ、周りが勝手に「気持ち」に御をつけて無理やり丁寧化してしまった。
そして僕は同時に、これから皇帝が発する一切の言葉すべてがお気持ちと揶揄されることだろうと思うと同情を禁じ得ない。
側近だの支持者が余計な気を利かせた言葉だけが独り歩きして、いつしか敬愛の対象を攻撃しているんだから。
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