見出し画像

AIが描く時代に、あなたはどう描きますか?

最近、『トロン:アレス』という映画を観ました。
映像の美しさはもちろんのこと、そこに込められた問いかけに、深く心を動かされました。
デジタルでありながら、どこか人間的な温度を感じる世界。
AIが人間に寄り添う存在として描かれる一方で、制御を超えていく危うさも同時に描かれている。
そして、限られた時間しか存在できないAI兵士と、非永続的な人間の命との対比。
この作品は、AIという存在をただの技術ではなく、「生きるとは何か」「創るとは何か」という問いとして描いていたように思います。
物語の中で描かれるAIの姿は、決して一面的なものではありません。
人間に寄り添おうとする優しさと、制御を超えてしまう危うさが同時に存在していて、観ている側の感情も揺さぶられます。
それは、今の社会におけるAIの立ち位置そのものにも重なっているように感じました。

トロン:アレスをオマージュ

AIと創作のあいだで、感じていること

今、SNSを開けば、AIで生成された画像や文章があふれています。
誰でも手軽に創作ができる時代。それは素晴らしいことでもあると思います。
実際、技術的なハードルが下がったことで、これまで表現の機会を持てなかった人たちが、自分の世界を形にできるようになったという点では、歓迎すべき変化だとも言えます。
でも、正直に言えば、私はその流れにすんなりとは乗れないでいます。
どこかで、引っかかってしまうのです。
以前、声優の方々が「自分たちの声が無断でAIに学習され、営利目的で使われている」と抗議する動画を見ました。

その中で「声は人生そのものだ」という言葉がありました。
それを聞いたとき、胸が締めつけられるような気持ちになりました。

声も、絵も、文章も——
それを生み出すまでには、時間や経験、苦悩や喜びが積み重なっている。
それは、その人にしか持ち得ない「かけがえのないもの」だと思うのです。
AIで描かれた絵を見て、すごいと思うこともあります。
でも、心が動くかというと、どこか違う気がしてしまう。
それは、技術の問題ではなく、“人がつくった”という背景が見えないからかもしれません。
その絵が生まれるまでに、どんな時間が流れ、どんな感情が込められていたのか——
そうした“物語”が見えないことに、私は寂しさを感じてしまうのです。

グルメスタンプ「生きてる?」

非効率の中にある「人間らしさ」

私は、手で描くことにこだわっています。
それは、効率が悪くても、時間がかかっても、自分にしか描けないものを残したいからです。

たとえば、伝統工芸の器。
百円で買える器にはない、手作りの温度や、使い続けることで深まる味わいがあります。
それと同じように、創作にも「非効率だからこそ宿るもの」があると信じています。
こまやたんたんの表情を何度も書き直すことがよくあります。
それは、ほんの数ミリの違いで、表情がまったく変わってしまうからであり、その表情が、こまたちの“気持ち”を決めてしまう。
だから、何度も迷って、何度も描き直すので、時間がかかるし効率も悪いです。
でも、その過程こそが、こまやたんたんという存在を“生きたもの”にしてくれると思うのです。
描いている間、私はこまやたんたんの気持ちを考え続けています。
この表情は、安心しているのか不安なのか…
たんたんに出会ったとき、こまはどんな気持ちだったのか。
そうやって、絵の中に物語を染み込ませていく。
それが、自分にとっての創作なのだと思うのです。

感情スタンプ「大変だったね」

「考えること」を手放さないために

最近では、文章や資料の作成にAIを使う場面が増えてきたようです。
便利であることは確かだとは思うのですが、その一方で「考える」という行為そのものが置き去りにされてしまうのではないか——
そんな懸念を抱くことがあります。

何かを“形にする”という行為には、必ず試行錯誤が伴います。
その過程こそが、個性であり、人間らしさであり、創作の核だと思うのです。
教育現場では「将来AIに仕事を取られないような人材を…」のような話がされていたりしますが、その一方で、社会全体がもうすでに、AIを使って効率よく使いこなすことが当たり前になりつつある現実もあるような気がします。
この両極のあいだで、私たちはどこに立つのか。
それを問い続けることが、今とても大切な気がしています。

感情スタンプ「う~ん」

算数と数学のちがい

以前、ある先生が「算数と数学の違い」について話していたことがあります。
「算数は“こうすればこうなる”を学ぶもの。数学は“なぜそうなるのか”を考えるもの」——その言葉が、今も心に残っています。
今の社会では、わからないことがあればすぐに検索したり、AIに聞いたりすることができます。
それは「こうすればこうなる」という算数的な解決方法なのだと思います。
便利ではあるけれど、その一方で、「なぜそうなるのか」「どうすれば自分で解決できるか」を考える機会を、私たちは少しずつ失っているのかもしれません。
そして同時に、「失敗する機会」も失っているような気がします。
試行錯誤しながら挑戦することは、必ずしも成功や最適解に辿り着けるとは限らない。
でも、そこで生まれた失敗から学んだり、それを糧に別の方法を試したり、困難に向き合おうとしたり——
そうした過程の中にこそ、本質的な学びがあり、感覚的な力や知識が育まれていくのではないかと、私は思うのです。
表面的な理解ではなく、本質に触れること。
それには時間がかかるし、非効率かもしれない。
でも、だからこそ意味がある。私はそう思っています。

時間をかけて感覚的に身につけた力や知識、本質的な理解は、問題を解決していく上での根本的な力になる。
それは、栽培において、有機肥料がゆっくりと良い土を育てていくことに似ている気がします。
即効性はないけれど、だからこそ、時間が経っても簡単には壊れない、強くて良い土が育つ。
この有機肥料が、人間でいえば「考えること」に値するのではないかと思うのです。
「なんでそうなるんだろう」と考えること。
その問いを持ち続けることこそが、人間らしさの根っこなのではないかと、私は思うのです。

夏スタンプ「水分補給忘れずに」

この時代だからこそ、大切にしたいこと

映画やアニメに登場するロボットが、人間のような感情を持ち始めるとき——
それはしばしば「弱さ」として描かれます。
でも私は、それこそが「人間らしさ」なのだと思います。
だからこそ、この時代だからこそ、私は人間的な部分を大切にしていきたい。
創作においても、どれだけ時間がかかっても、手で描くことにこだわりたい。
それが自分だから。たとえ下手でも、それが自分が描いた絵だから。
そこに想いやこだわりを込め続けたいと思うのです。
どんなに社会が変わっても。
どんなにAIが進化しても。
「人がつくる」ということの意味を、私は問い続けていきたいと思います。

あなたは、どんなふうに“つくる”ことを捉えていますか?

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

fuwarycast(ふわり) よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!