イラスト感想文 カミュ『異邦人』 (カフカ『変身』と不条理度を比較)
「今日、おかんが死んだ」という有名な出だしと、太陽が原因の人殺しの話、ということだけは知っていた。
フランス語で初読。
*日本語訳と、表現が違うかもしれません。あくまでも、私がとらえた表現であり、直訳ではありません。
おかん死亡。
1940年代。電報だから、今日死んだのか昨日死んだのかわからない。
それが何か? 昔は、そんなものだ。
ところでおかんて、何歳だったっけ? 知らんがな。
まあ、子供なんてそんなものだ。
モラハラ上司のいる会社で、つまらなそうな仕事をしている「ぼく」は二十代半ばぐらいかな。
隣人や常連の店の人にとって、彼は穏やかで良い人間だ。
最初に違和感を感じたのは、フランス人にはみんな名前があるのに、「アラブ人」には名前がないということ。
名前がない「アラブ人」というコンセプトは屈辱的で不気味だ。
当時のアルジェリアは、フランス支配下にあり、特権を持つヨーロッパ系アルジェリア人と、その他のムスリム系現地人(この小説では「アラブ人」)に分断されている。
この後、アルジェリア戦争が起こり、「アラブ人」は独立する。ヨーロッパ系住民はフランスに逃亡。当然の帰結だ。

「ぼく」は、やらかしタイプ。
周りの空気が読めないわけではない。
ただ、周りが期待してくるような、「一般的な」感情を持たないだけ。そして、思ったことを率直に口にしてしまう。
例えば、猛暑の中の葬儀。

乾燥した、ギラギラとした太陽の下で、老人ホームから教会まで45分歩く。
前夜は、安置所で亡き母に徹夜で付き添い、最大限まで肉体的に疲れている。
たぶん「ぼく」は、たくさん寝ないとダメなタイプ。
ブレインフォグが生じやすいタイプ。
葬式、早う終わってくれんかな、と思う。
ずっと会っていなかったおかん。現実味ゼロ。涙なんか出ない。
そういう状況で、「母親が死んで、悲しくないの?」と聞かれるとする。
周囲は、泣いたり、悲しんでいる人を期待している。
でも彼は、そういう社会的な、反射的な回答を持たない。
「今? うーん、そやなー。悲しくはない。それより、家帰って寝たい」と正直に答える。
それで、みんなにドン引きされる。
拷問のような葬儀が終わって、バスでアルジェに戻る。
翌日の土曜日まで会社には休むと言ってある。
日曜日はもちろん休み。ラッキー!
気晴らしに泳ぎに行き、偶然、元同僚のマリーと出会う。

夜、マリーとフェルナンデルのコメディ映画を観に行き、セックスする。
それって、残された家族の正しい過ごし方だと思うけど。これからも生きていくわけだし。


「一般的」な人々とは、どこか違う。そうやって、彼はズレた世界を生きている。
「異邦人」というタイトルは、彼の思考回路がニューロマイノリティ(おそらく自閉スペクトラム)のそれであり、他の人(神経学的な定型発達の人たち=発達障害のない人)と違うことを指していると思われる。違ったらごめん。
「異邦人」とは
本人が感じる疎外感であり、
(「ぼく」は、自分の言動に対する相手の反応を見て、「やらかした」と感じている。)
周囲の人々が感じる違和感であり、
(彼女に「あなたって、変な人だよね」と言われている。)
なによりも
判事や司祭や上司などの権威が、社会の定型に収まれない彼に対して感じる嫌悪感である。
ちなみに、友達や彼女からは、ズレてるけどいい人として、結構好かれている。「ぼく」には、犬を失った隣人を慰める共感力もある。決してサイコパスではない。
偶然の成り行きから、「ぼく」は隣人レエモンの痴話喧嘩に巻き込まれる。

レエモンは、付き合っていたアラブ人の彼女に騙されたと言って、暴力をふるう。
アラブ人の兄弟がその復讐にやって来て、喧嘩になる。
相手はナイフを持っている。血が出る。
レエモンはリボルバー(拳銃)を持っている。
なんだかんだあって、結局、「ぼく」は、やらかしてしまう。
つまり、衝動的にアラブ人を撃ち殺してしまう。
第二部は、「ぼく」の裁判。
アラブ人を殺したことよりも、「ぼく」の人間としての不適格性?(欠陥人間であるということ)への裁きに議論がシフトしていく。
異邦人である「ぼく」は、裁判の議論からもつまはじきにされる。
(弁護士に「あなたは黙っていた方がいい」と言われる。)
法廷の観客や陪審員(社会)からも危険人物として疎外される。
結局、彼はこの世界からズレたままで、それゆえに、発言権を奪われ、この世界から抹殺される。

ウィキペディアを読んだら、「人間社会に存在する不条理について書かれている」小説、と書いてあった。
え、不条理?
(フランス語のabsurdeの訳らしい。私なら「アホらしい」と訳す言葉だが、哲学用語? 無知ですみません。)
不条理といえば、カフカの『変身』という小説がある。

ある日、「ぼく」は、虫に変身している。
理由は一切不明。誰もそこは深掘りしないw
家族には話が通じず、結局キモチワルイ虫として、死に追いやられる。

死んでひからびて、お掃除の人にポイっと捨てられる。
めでたしめでたし。とばかりに、家族は楽しそうに旅行に出る。
100%不条理だ。
でも、『異邦人』も不条理? そうなの?
ちなみに、フランス人は、「カフカ的(kafkaïen)」という言葉を使う。
お役所などで、何も悪いことしていないのに無下に扱われ、必要な書類はもらえず、要求された書類をそろえて戻って来ると、それじゃないと叱られ、取扱い窓口はここじゃないと断られる。そういうのを何度も繰り返し、たらいまわしにされる。カフカの不条理ワールドをリアルで体験できる。
(時々、普通に仕事が出来る人がいて、その人にあたると助けてもらえる。そんな感じで、国がなんとかまわっている。)
『異邦人』の最後、とうとう「ぼく」は激怒する。
いろんな場面で、いろんな人や物事を「うざい」と感じてきた「ぼく」だが、「ま、どうでもいいや」と受け流してきた。
ところが、これまでずっと受動的だった「ぼく」が、死の直前になって、宗教や悔いや罪の意識を強要してくる司祭に対して、
「残されたわずかな時間を、アンタの役に立たん話で、無駄にされたくない!」と、突然いきり立つ。
それから、「ぼく」は、すっかり自由になる。
読者が「ぼく」の在り方に違和感を感じるなら、「なんだこいつ」で終わってしまうかもしれない。
読者が「ぼく」に共感するなら、この世界の仕組みはつくづくアホらしいし、生きづらいと感じるだろう。
結局、だれもが同じ感情を持つことを要求される社会の中では、死ぬ前のほんのわずかな瞬間しか、本当に自分らしく生きられないのだ。
それすなわち、不条理な(アホらしい)社会。そういうこと?
最後の2ページで、「ぼく」の魂が覚醒していく。じんとしびれる。
余計な話だが、『異邦人』と聞いた途端に、勝手に頭の中で同タイトルの歌が流れてしまうので、あまり日本語の『異邦人』というタイトルを好まない。
ちなみに、英語タイトルは「The Stranger」あるいは「The Outsider」。こっちのほうがぴんと来る感じ。
