見出し画像

エスカレートした現実逃避

僕は日本人の両親の下、スペインの田舎で生まれた。

本来は日本人どころか、アジア人すら見かけないような田舎なのに、奇跡的に隣にも日本人の一家が住んでいた。

当然のように、うちと家族ぐるみで仲良くなった。これまた奇跡的に、そこには僕と同い年の女の子がいることも親近感を抱く理由だった。

彼女の名前はミキ。ミキとは19歳の時に結婚することになる。

地元の幼稚園に通っていた頃、僕たちだけ容姿が違うのでイジメにあっていた。
ものを投げられたり、しょっちゅうからかわれたりしていた。

みんなサッカーが好きで、僕も混ざりたかったが、輪に入ってもボールが回ってこない。
たまにボールが転がってきても、蹴ろうとしたら空振りして転んでしまう。みんながバカにしながら大笑いする。
サッカーが下手なのがすごくコンプレックスだった。毎日泣いていた。

小学生に上がると、さらにイジメがエスカレートしていった。
いつも小柄でひ弱な僕を助けてくれるのは、ミキだった。

小学生の頃は女の子の方が背が高い。
ミキは気が強く、僕をいじめる男子達をいつも強い口調で蹴散らしていた。

「帰ろ!」と言って僕の手を握って、早歩きでリードしてくれる。
ミキは気が強いと言ったが、本当は男の子に立ち向かうのが怖くて、僕に見られないようにいつも泣いていた。
それを見て自分が情けなく思っていたが、ミキは僕にはいつも優しくしてくれた。

僕は地元の3部リーグに所属するサッカークラブが好きで、応援していた。
キャプテンのディアンは身長が2mあって、大砲のようなヘディングが持ち味で、みんなから「キャノン」という愛称で呼ばれていた。
僕もいつかキャノンのようなサッカー選手になりたいと思っていた。

スペインにいると、サッカーに触れる機会が多い。
小学生の時は特に、サッカーが下手だと見下されるが、逆に上手い人は尊敬される。
僕はいじめを克服したくて、とにかくサッカーの練習をたくさんした。

小学6年生になると、僕は町の小学生の中で一番サッカーが上手くなっていた。
それのおかげでいじめはほぼなくなった。たまに負け惜しみで悪口を言う奴がいるくらいだ。

中学生の時、所属していたサッカークラブに、知らないおじさんが見にきていた。
その人はスペインの超有名なエリートクラブの、ユースのスカウトだった。

そのおじさんはうちの監督に話しかけ、監督が僕の名前を呼んだ。
どうやら僕をスカウトしたいらしい。とても嬉しかったが、その場で断った。

「なぜだい?」と聞かれると僕は、地元の3部リーグのチームでプレーするのが夢で、それ以外は興味ないと言った。
「うちのクラブに入ったら、そこでプレーできる可能性が増えるよ」と言われ、若干揺らいだが、それでも首を横に振った。
もしそこへ行ったら、夢が別の考えになってしまうかもしれないのが怖かった。
そのおじさんはその後も何度か来ていたが、僕が話を受け入れることはなかった。

地元チームの試合の日は、近所の古いスポーツパブへ行く。
ここは小学生のころから常連。いつもひとりで通っている。
スタジアムで観戦したことも何回かあるが、ここの雰囲気が好きだ。

ベレー帽を被った常連のおじいさんの横にいつも座る。
おじいさんは、入口近くのカウンターの端っこが特等席で、他の人は誰もそこに座らない。

おじいさんは寡黙で誰も笑顔を見たことがない。でも根っこは優しくて、いつもオレンジジュースを奢ってくれる。
チームが試合に負けたら、パブのテレビに向かって小さい声で愚痴を言う。勝っても「今日の出来は、負けが相応しい」と厳しい愚痴を言う。
そこでおじさん達に囲まれながら試合を観るのが大好きだった。おじさん達は「お前もいつかあそこでプレーするんだぞ!」といつも言ってきた。

高校生になり、16歳の時。僕は身長が188センチまで伸びていた。
実力を評価され、なんと憧れのチームへの入団を果たした。人生最高の瞬間だった。
とても小規模な入団会見を終えたあと、家に帰ってもユニフォームをずっと眺めていた。

いじめられていた頃のことや、パブのおじさん達。なにより支えてくれた家族。愛するミキ。みんなの顔が浮かんで、その日の夜はワンワン泣いた。

シーズンが始まり、第1節でベンチに入った。
いつも見ていたピッチサイドの、あのベンチに自分が座っている。

そして40歳になっても現役でプレーするキャノンが目の前にいる。
彼とチームメイトだなんて信じられない。夢なのか現実なのかわからなかった。

0-1でリードされて前半を終えた。
一旦ロッカールームに引き上げるとき、小さなスタジアムの観客席を見ると、ミキと家族、昔僕をいじめていた親友達、パブのおじさん達もいた。
なにより驚いたのは、ベレー帽のおじいさんも観にきていたことである。

あとで聞いたが、おじいさんは40年前からパブの常連だが、スタジアムに観にきているのを誰も観たことがないらしい。
僕の勇姿をわざわざ観にきてくれた。それだけ気にかけてくれたことを知って、嬉しくてしょうがなかった。
でもおじいさんは負けていることに腹を立てているようだった。かなりのしかめっ面だった。

後半15分、フォワードのヤミに変わって僕がピッチに入る。
交代する時、ヤミが「見せてやれ」と言いながら頭を叩いた。

少し浮き足立ちながらピッチに入ると、ミキの陽気なお父さんと、パブのおじさん達の大きな声が聞こえてきた。
酔っ払い達が、僕の名前を何度も叫んで「緊張すんなよー!!わーはっは!」とからかってきていた。

審判に「レッドカード出してよ」と言ったら笑っていた。

何度かボールをタッチしているうちに、地に足がついてきた。
後半38分、僕のクロスに、キャノンがヘディングで合わせ、同点のゴールを奪った。
あの憧れのキャノンにアシストした。現実なのか?夢じゃないのか?また体がふわっと浮きそうになった。
キャノンに駆け寄ろうとすると、「もう一点だ!早く戻れ!」と怒られ、気合を入れ直した。

そして後半アディショナルタイム。
僕は持ち味のドリブルで相手を二人かわし、逆転のゴールを決めた。

ホームスタジアムが「うおおおおおお!!!」と湧いた。

僕はゴールを決めた瞬間なにがなんだかわからなかった。
ポカンとした顔のまま、客席の方に走った。父と母と目があった瞬間、喜びが弾けた。
客席の柵によじ登り、両親と抱き合いながら「ありがとう、やったよ」と言うと母は号泣していた。

当時付き合っていたミキとも抱擁をかわして、パブのおじさん達が「ヒュー!」とからかってきた。
そして初めておじいさんの笑顔を見た。「よくやったな」と言って僕の頭をポン、ポンと叩いた。

試合はそのまま終了し、僕のデビューゴールで勝利することができた。
ホイッスルが鳴った瞬間、チームメイトが僕の元に集まってきて頭をバシバシ叩く。手荒い祝福だ。すごく痛かったけど嬉しかった。
キャノンにも「よくやった」と声をかけてくれて、その瞬間に涙がこぼれてきた。

そのシーズンを終えたら、僕は両親の都合で日本に移住することになった。
チームを退団し、また戻ってくることサポーター達にメガホンで約束した。
サポーター達は僕のチャントを歌って、見送ってくれた。あの光景は永遠に忘れない。
ミキとミキの家族ともしばらくお別れ。出国前にミキと大事な話をした。

名古屋の高校に入学し「スペイン出身のサッカー選手」という触れ込みでメディア取材も何社か来て驚いた。
日本語は話せるが、日本の文化をほとんど知らない。新鮮で刺激的な毎日だった。
その高校はサッカーの強豪校だった。高3の時、全国大会に出場して、優勝することができた。
僕は得点王と大会MVPに選ばれ、アンダー世代の日本代表にも選出された。

高校卒業後、スペインに戻れることになり、かつてスカウトされた有名クラブに入団した。
ミキと19歳で結婚し、後に男の子二人と、女の子一人の子供に恵まれた。

僕は日本代表としてワールドカップ、さまざまなビッグクラブを渡り歩いてチャンピオンズリーグでも優勝を納め、個人ではバロンドールを18年連続で受賞した。

そして40歳の時にキャノン監督の元、始めに入団した地元のチームでプレーをしていた。

シーズン最終節、後半35分に現役最後のゴールを決めたあと、交代を告げられた。
相手チームの選手と、僕のチームメイトがピッチ上で花道を作ってくれ、みんなに感謝しながら、ピッチを後にした。
交代で入るのは21歳の僕の長男。抱擁をかわし「見せてやれ」とヤミに言われた言葉をかけて、頭を叩いた。

ピッチサイドには妻と子供達がいて、みんな泣いていた。家族をギュッと抱きしめ、肩を組んで退場した。
観客はスタンディングオベーションで讃えてくれた。

僕たちはそのまま客席に座り、長男を応援していた。
その長男は僕のデビュー戦のように後半アディショナルタイムにゴールを決め、僕は興奮して持っていたコーラを空高く飛ばした…

…という妄想を、最近仕事中にずっとしている。

最初は「自分がもしメッシみたいなサッカープレイヤーだったら…」という妄想から始まり、エスカレートしてディティールがどんどん細かくなっていき、ようやく完成した。

これでもかなり話を端折っている。
日本での生活の部分や日本代表かスペイン代表で迷うシーンはカットした。

ちなみに「ミキ」とか「ヤミ」とかの名前は書きながらつけた名前で、妄想中はみんなの名前は特になかった。

休憩中にトイレへ言って鏡を見たら、ハゲて太ったおっさんが映っていた。
現実とのギャップに苦しくなるが、妄想していると時間が経つのが早いので便利だ。

…ちなみに野球選手編もあるが、それはまた今度話そう。

いいなと思ったら応援しよう!