【第9話】FIRE法の誘惑|AI政府 ガイアサピエンスの夜明け
夢は、人類の本能に最も近い統治装置だった。
不満を抱えた国民に、抽選で自由が配られる。
それは解放なのか。それとも——
第9話 FIRE法の誘惑
都市の中心で、デモは続いていた。
叫びはない。
怒号も、破壊もない。
ただ、人が集まり、立ち尽くしている。
「選ばせてほしい。」
「生きる理由を。」
その沈黙は、どんな数字よりも雄弁だった。
大統領の支持率は、静かに下がり続けていた。
暴動は起きていない。
治安も、経済指標も、安定している。
それでも、国民は大統領を見なくなっていく。
「……私」
「何か、間違えたのかしら?」
執務室で、大統領は父を呼んだ。
アキエス・モナークは、娘の前に静かに座った。
「UBIは、正しい政策だ。」
「誰も、飢えていない。」
大統領は、首を振る。
「でも、誰も、生きている顔をしていない」
沈黙。
父は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「人はね、生きられるだけでは、足りない。」
「人は、“自分だけの未来”を夢見る。」
彼は、端末を操作した。
「AIに、聞いてみよう。」
大統領は、一瞬ためらったが、うなずいた。
AIは、即座に答えを返した。
FIRE法。
「一定条件を満たした国民に対し、
労働義務からの恒久的離脱を認めます。」
抽選制。
能力も、努力も、親の資産も、考慮しない。
「夢を、偶然に委ねる。」
大統領は、息をのんだ。
「……それって、不公平じゃない?」
アキエス・モナークは、否定しなかった。
「不公平だ、だからこそ、人は怒らない」
「全員が救われない社会より、誰かが“選ばれる”社会の方が不満は、分散する。」
FIRE法は、発表と同時に熱狂を生んだ。
「もしかしたら、自分も?」
その期待が、デモの熱を冷ました。
次々と、補助政策が追加される。
移民排斥法。
失業対策を名目に、
移民は単純労働へ再配置される。
完全雇用は、数字の上で達成された。
愛国心ポイント制度。
地域パトロール。
非推奨行動の通報。
模範的発言の共有。
“良い市民”であるほど、FIRE抽選の確率は上がる。
ある家族が、当選した。
郊外の集合住宅に住む、四人家族だった。
夫は管理職手前で自動化の波に呑まれ、地域自警団に参加した。
妻はパートを続けていた。
彼女は、不穏と分類された住民を、ASI端末の提案に従って、静かに通報していた
UBIだけでは、
生活は「回る」だけだった。
食べられる。
住める。
だが、先は見えない。
当選通知が届いた夜、
食卓に、久しぶりに笑顔が戻った。
「FIREに当選した!」
それは、解放だった。
FIREは、彼らに中流より二割ほど上の年間予算を与えた。
富裕層のような、豪奢ではない。だが、趣味に浸る余裕はある。
最初に変わったのは、時間だった。
朝のアラームが消えた。
子どもを急かす必要もない。
「どこか、行こうか?」
それは、久しぶりの言葉だった。
バケーションの選択肢は、提示された。
国内。
近隣諸国。
季節と混雑を避けた、AIの推奨ルート。
「この範囲内であれば、自由に選べます。」
家族は、久しぶりに悩んだ。
その迷いは、UBIの暮らしには存在しなかった。
一方、同じ街の別の家庭。
彼らは、かつて、生活保護を受けていた。食べる物にも困る時すらあった。
しかし、UBIが支給され始めて、子供も大学に入学できるようになった。
夫婦で小さなレストランも始めることができた。
だが、選択肢は少ない。
バケーションに使えるほどの余裕は、なかった。
旅は、画面の中で完結する。
「まあ」
「生きてはいけるし。」
その言葉に、未来は含まれていなかった。
学生が、シアターで呟く。
「……抽選でFIREの夢を見る社会は、ある意味公平なのでしょうか?」
「UBIさえあれば、能力や、親の影響も受けないし、、」
教授は、ホログラムから目を離さずに答えた。
「富とは、貨幣という、巨大な砂楼にすぎない。」
「FIREはその砂楼の上で、眠る夢だ。」
一拍。
「だが、豊かさを貨幣で測る社会は、心の貧しさを、隠しているだけかもしれない。」
FIRE当選者の暮らしは、穏やかだった。
快適だが、拡張しない。
趣味を中心にした体験は循環した。だが、予算は固定されていた。
「満足度は、高い。」
AIのログは、そう示していた。
しかし、
“意味”という項目は、存在しなかった。
社会は、二層に分かれ始める。
夢を見る者。
夢を支える者。
街の片隅で、再び人が集まり始めていた。
FIREの話はしない。
UBIの話もしない。
ただ、問いだけが交わされる。
「何のために、生きる?」
それは、
抽選では解決できない問いだった。
ホログラムに、最新ログが映る。
社会安定度:高
支持率:回復傾向
分断指数:上昇
意味喪失指数:臨界接近
学生が、教授を見る。
「……これで、、社会は、落ち着くのでしょうか?」
教授は、静かに首を振った。
「いいえ」
「これは、嵐の前に配られた、夢です。」
「夢が尽きたとき、人は、初めて現実を見る」
ホログラムが、静かに暗転した。
次に待っているのは、
夢では埋められない現実だった。
【第10話】AI国家の崩壊 に続く
◆ 後書き
FIRE法は夢を配り、不満を分散させた。
しかし「意味」という項目はどこにも存在しなかった。
「夢が尽きたとき、人は初めて現実を見る」
——その現実が次話で明らかになる。
📚 全話まとめ → AI政府 ガイアサピエンスの夜明け
