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#100 頑張った人にしか分からないこと〜「頑張り」を当たり前に〜

 学生にとっての永遠の敵、定期試験。迫り来るそれからは逃げることはできないし、自分の実力をまざまざと見せつけられるからこそ、皆が揃って嫌う。
 そんな試験が終わると、僕は生徒と面談を行う。どんな目標設定だったか、それに対する具体的なアプローチはできたか、結果は伴ったか、次はどんな目標を設定するか。そんな内容を確認する。
 すると生徒は、「頑張ったのにダメだった」とよく言う。それに対して僕は、その頑張りがその子の現実と目標に対して適切だったのかを検証する。確かに、良い頑張りができている場合も少なくない。でも、結果には結びつかない。
 「頑張った」って、何なんだろう。

 皆さんには、「人生で一番頑張った」と言える経験があるだろうか?
 「頑張った」という実感は極めて主観的なものなので、あなたが「頑張った」と思えたのなら、それはまさしく「頑張った」ことになる。そんな実感の中でも、一際大きいもの、あなたの人生を代表してくれるようなものを思い浮かべてみてほしい。たとえ誰にも自慢できないようなものでも、客観的には「頑張った」と思ってもらえないようなものでも構わない。
 では、その「頑張った」から得られたものは何だろうか?
 望んだ通りの結果、周囲からの称賛。これらを得た人は、「頑張って良かった」「また頑張ってこんな思いをしたい」と誇らしげに次の一歩を踏み出せる場合が多いだろう。そのため、今回は取り上げない。
 涙が出るほどの悔しさ、忘れることのできない後悔。これらを得た人は、「次こそは絶対に」「もう二度とこんな思いはしない」と奮い立って次の一歩を踏み出せているだろうか。中には大きく挫折をしてしまって、未だ次の一歩を踏み出せずにいる人もいると思う。無理はしなくて、大丈夫。いっそのこと、落ちるとこまで落ち込んでみよう。するといつしか、そんな自分を客観視できる自分が現れて、焦った勢いで次の一歩を踏み出せる日が来るはず。なぜなら、僕もそうだったから。今でも時折、「落ちる日」を大切にしている。
 前置きが長くなったが、今回取り上げたいのは、「頑張った」ことから、モヤモヤや不満を得てしまった人について。「頑張ったのに・・・」「私は悪くない!」そう感じてしまった経験はないだろうか?
 結論から言うと、このように感じてしまった人には「頑張った」経験が不足していると、僕は考える。なぜなら、「頑張った」経験が豊富な人は、「頑張っても、そう簡単には上手くいかない」ということを知っているから。つまり、これこそが「『頑張った』人にしか分からないこと」の正体なのだ。
 自分の掲げた目標を達成したり、望んだ結果を手にしたりするためには、ある一定の基準をクリアするしかない。その基準から今の自分を引いて生み出された「差」を埋めようと、人は「頑張る」。しかし、たとえあなたが「頑張った」としても、たった一度の頑張りでその「差」が埋まるなんていうことは無いに等しいと、僕は考えている。
 だから、納得がいかなくても、自分は「頑張った」と思っていても、そこに「差」が存在するのだとしたら、また「頑張る」しかない。
 いつも頑張っている人は、このことをよく知っている。なぜなら、頑張ったら頑張った分だけ多くの結果を突き付けられ、その中には望まないものもあって当たり前なのだと気付けるから。つまり、「頑張る」ことのハードルが低い分、自分の「頑張った」に過度に期待してしまうこともないし、もう一度「頑張る」ことも容易いのだ。
 頑張ったら報われたい人。まずは、「頑張り」を当たり前にしよう。日常に溶け込ませよう。すると、段々と自分なりの頑張り方が分かるようになる。さらに、頑張りと向き合うことが増え、あなたの頑張りがあなたの次の頑張りを助けてくれるようにもなる。でも、報われるかどうかは分からない。それは、あなたの「頑張り」次第。これはあくまで、報われる可能性を少しでも高めるための方法。
 何から頑張れば良いのか分からない人。嫌なこと、辛いこと、苦しいことから始めよう。それらに取り組んだだけで、「頑張った」と言えるのではないだろうか。また、他人が嫌がることや面倒臭がることを率先してやってみよう。そうすればあなたはその分野におけるパイオニアとなり、まさに独壇場の上で頑張ることができる。
 最後に、頑張らない人生は楽ですが、頑張る人生は楽しい。こんなにも恵まれた時代に生を受け、今日という日を迎えられているからには、四の五の言わずに頑張るしかない。

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