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トレパク騒動から考える─「模倣」と「創作」のあいだ

イラストレーター江口寿史氏のトレースパクリ(通称トレパク)問題が、Xをにぎやかにしています。ご存じでしょうか。

江口氏が描いたポスターが無断トレパクを指摘され、蟻の一穴とでもいうのでしょうか、そこから過去の仕事が掘り起こされて次々とトレパクが発見されている、簡単にいうとそんな騒動です。
私なんかは「よくトレース元を発見できたなぁ」と特定班の方に感心してしまいます。ネットの集合知ってやつですね。
ここではトレパクの是非について語るつもりはありませんが、今回の件を「模倣とオリジナリティ」という観点でみると、いろいろと考えさせられました。

江口寿史氏が手がけた柏市市政70周年イラストも、トレパクが判明しているうちの一つですが、そのイラストには7人の人物(メインの女の子、3人の若者、小さく3人の親子)が描かれていて、それぞれ別の写真からトレースしたものを組み合わせていることも明らかにされています。パッチワークのように切り貼りしていて、ゼロからオリジナルで描いた人物はひとりもいません。

さて、私の専門の日本美術では、実はこうした作画方法は珍しくありません。

たとえば俵屋宗達。宗達の代表作のひとつである国宝《源氏物語絵巻関屋・澪標図屏風》(静嘉堂文庫美術館)は、その名の通り『源氏物語』に取材した六曲一双屏風です。
これは昔から指摘されていることですが、宗達はこの屏風を描くにあたって数々の古典絵巻から人物を抜き出して、それらを一つの画面に組み合わせています。これを見つけた、過去の研究者もXの特定班に負けず劣らずすごい(比べるな?)。

ほんの一例。元ネタは《北野天神縁起》。めちゃ複雑な再利用

宗達の作品で最も有名な《風神雷神図屏風》(建仁寺)だって、やはり古典絵巻から風神と雷神の姿は持ってきてますからね。ごく当たり前にこういうことはやるのです。

でも《源氏物語絵巻関屋・澪標図屏風》も《風神雷神図屏風》も、完全に宗達の絵になっていますよね。他の誰にもあんな絵は描けません。

つまり、たとえモチーフをゼロから考案しなくても、たとえよその作品から持ってきたとしても、描く際の線の質、カラーリング、構図、そして異なる文脈の図様に全く違う意味づけをして生き返らせる遊び心、そういったものがあれば、それは創作として価値があるとみなされたのです。

ただし、美大の学生たちにこういった事例を説明しても、どうしても今の価値観で考えてしまい、モヤモヤする学生もいるようです。
それも無理ない話かなと私は思います。彼ら彼女らは、そのあたりの権利意識は非常に高く、自分で制作をする時に参考にする資料は必ずフリー素材集から持ってくるという話も聞きました。予期せぬ所で著作権や肖像権を侵害して炎上するリスクというものを、学生のうちから十分認識しているのです。
聞いてみると、授業で教わったわけではなく、SNSに慣れ親しんで育つ中で自然と身につけてきた危機意識のようです。

そのリスク管理は素晴らしいと思いますが、危機意識に縛られて発想が縮こまってしまうのももったいないですよね。私ができることとして、近代的な個性第一主義が根付く前の、今とは異なる理(ことわり)の中で生み出された作品を紹介しながら、彼ら彼女らの常識の殻にコンコンと少しずつひびを入れてやろう、と画策しています。
そんな簡単にはいきませんけどね。

日本絵画や中国絵画の模倣と創作については、語り始めると切りが無いのでこのあたりで。

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\重版決定!/