萬福寺、そこは日本の中の異国【勝手に国宝指定記念note】
京都・宇治の萬福寺(まんぷくじ)。
その主要建築である法堂、大雄宝殿、天王殿の3棟が、この度晴れて国宝に指定されましたね。
「国宝ってそもそも何?」という人はこちらをどぞ(↓)。
たまたまですが、私も今年萬福寺に足を運んでいたので、せっかくだからこの面白いお寺を紹介しようと思います。

さて、18世紀末の俳人・田上菊舎が萬福寺を訪れた時に詠んだ句があります。
山門を出(いず)れば日本ぞ茶つみ歌
萬福寺の境内に入ると、この句の意味が分かります(最後にちゃんと説明しますね)。
日本には「三大禅宗」と言われる禅の宗派があるのをご存じでしょうか。
臨済宗、曹洞宗、そして黄檗宗です。
で、萬福寺はこの黄檗宗の総本山にあたります。
黄檗宗は三大禅宗の中でもちょと変わり種です。
なぜかというと、臨済宗、曹洞宗が鎌倉時代初期に日本に伝わったのに対し、黄檗宗だけはずっとずっと後の江戸時代にやってきたものだからです。
基本的に禅宗の伝来と言えば、鎌倉時代。
鎌倉五山、京都五山と言われる禅宗寺院が次々と建立されていきました。そして禅宗は、室町、桃山、江戸と時代を経る中で、日本の中にしっかり根付いていくとともに、徐々に日本風にアレンジされていきました。
例えば、禅宗寺院でおなじみの枯山水の庭園。すっかり日本の伝統みたいなイメージになっていますよね。私たちも「わびさびだわー」としみじみ感じて、心が落ち着きます。禅宗文化が、完全に日本の文化に溶け込んでいるわけです。
そんな風に禅宗がすっかり日本化されたところに、ババーンとあらためて中国からやってきたのが黄檗宗でした。
伝えたのは、中国・福建省にある黄檗山萬福寺の住職、隠元和尚。インゲン豆を日本に持ってきた隠元さんですね。
ちなみにインゲン豆の他にも、西瓜、蓮根、タケノコ、煎茶、普茶料理(ふちゃりょうり、中国の精進料理)なんかももたらしたと言われています。普茶料理は、私も一度食べてみたいんですよね。まだその機会がなくて(どうでもいい)。
別段、隠元は食材輸入の人じゃありません。当たり前か。
隠元が真に日本にもたらしたもの。それは最新の中国文化そのものでした。
当時の中国は明王朝が滅びて、清王朝に移った時代です。その動乱を避けるという意味もあったのでしょうが、日本から請われる形で隠元は来日しました。
隠元の知識と人徳に天皇や将軍もすっかり心酔して、将軍は隠元に京都・宇治の土地を与えました。すると隠元は、中国から僧侶、建築家、画家、仏師などをゴッソリ呼び寄せました。
そして日本の中の中国とも呼べる寺院を作ったのです。それが萬福寺です。
萬福寺は、すっかり日本になじんだ禅宗寺院とはすべてが違いました。それは実際にこのお寺に行ってみると、誰もが実感できます。
まず出迎えてくれるのが、黄金の布袋様(弥勒菩薩)。これを作ったのは、中国からやってきた仏師・范道生(はんどうせい)。

この布袋像のある「天王殿」も、本堂にあたる「大雄宝殿(だいおうほうでん)」も、他のお寺では聞かない名称ですよね。



あと、萬福寺で有名なのは木魚の原型になったと言われるこの「開梛(かいぱん)」ですよね。

時を知らせるために鳴らすものなのですが、その時になると若いお坊さんが棍棒を持って現れ、固い床をカーンと突いた後、このお魚を思いっきり打ち鳴らします。一連の所作がとても様になっていてカッコいいのです。
萬福寺は、隠元の後も歴代の住職は中国から高僧がやってきてその職に就きました。境内の中ではお坊さんたちは日本語ではなく中国語で会話を交わしていたそうです。徹底してますよね。江戸時代の日本でも、萬福寺に行けば最新の中国文化を体験することができたのです。
現在も萬福寺の中でお坊さんたちが唱えるお経(梵唄・ぼんばい)は、中国・明代の南京の発音なのだとか。と言っても私は中国語は全く分かりませんが、それでも太鼓や銅鑼をリズミカルに打ち鳴らしながら歌うように唱えるお経の独特さは感じ取れました(よかったらYouTubeなどで探して聴いてみてください)。
梵唄に聞き惚れて、すっかり異国情緒にひたったまま山門を出ると、宇治の茶葉を摘む人たちが口ずさむ茶摘み歌が聞こえてきて、「あ、そうだ、ここは日本だった」と我に返る。これが
山門を出(いず)れば日本ぞ茶つみ歌
というわけです。萬福寺の中が別世界だったことを見事に表現した一句ですよね。
宇治と言えば、観光名所は平等院鳳凰堂でしょうが、少し趣向を変えて萬福寺で異世界にトリップするのもなかなか良いものですよ(空いてますし)。
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