アーティストは顔出しすべきか?[ルッキズムだけの話ではなく]
うちの美術館で、前に若手アーティスト(男性)の絵画作品を展示したことがありました。その時、少しでも多くの人に知ってもらおうと、ホームページにも作品画像や作者の言葉などをまとめた紹介記事を掲載することにしたんです。
せっかくだから作者の姿も載せようと思い、ご自身の作品の前でポートレートを1枚撮らせてもらいました。でも、その時に微かな違和感がありました。自分で提案しておきながら、心の中のポリコレセンサーがピクッと反応したのです。
ポリコレとは・・・
ポリティカル・コレクトネスの略。社会的・政治的に正しいこと。性別、人種、宗教などの特定の集団に不快な思いをさせないよう言動に注意すること。
その時は作者も喜んでいたので(それが本心だったか?と言われたら、もちろんご本人しか分からないのですが)、「ま、いいか」と自分の中の違和感などすぐに忘れてしまったのですが、本当にそれでよかったのでしょうか。
今回は「作品の鑑賞に本来関係のない作者の写真を公開する必要は果たしてあるのか」という点について掘り下げて考えてみたいと思います。
作者の見た目は創作物の評価には関係ないはず?
見目麗しい女性、端正な顔立ちの男性、そんな人がこの作品を作ったのか、そういったギャップが話題のきっかけになることは少なからずあります。
特定の人物を挙げるのも差し障りがあるので、漫画の話をしましょう。
漫画『左利きのエレン』に登場する中国人アーティストエンレイ(序盤に出てくるかなり脇役。脇役だけどこの漫画のキャッチコピー「天才になれなかったすべての人へ」を表す1人)。彼女は意図的に自らの容姿を武器として活動していました(主人公のエレンと出会って変わる)。

ここに出てくるレイは、容姿やパフォーマンスが先行して、作品自体は三流という設定で描かれています。作品のクオリティを補う手段として、見た目の良さが使われているわけです。
ちなみにこの『左利きのエレン』という漫画、作画はど下手なのに、ものすごく面白いから不思議(絵もどんどん上手くなっていく)。最初の「なに、この落書き?」というショックを乗り越えたら、たぶんハマります。Kindleで読めます。
さて、作品だけでなく作者の写真をホームページに載せるというのは、作品の正当な評価をゆがめる、不必要な介入になり得るのでしょうか。言い換えれば、ルッキズムに加担する行為となるのでしょうか。
ルッキズムとは・・・
外見至上主義とも言われる。外見によって人の優劣を判断すること。外見的に優れている人間は能力が高く、劣っている人間は能力も低いはず、と考えること。
でも、そもそも私はその若手アーティストが「イケメン」だから写真を載せようとしたわけではなく(これはこれで失礼な言い方になるな…)、その人となりが分かった方が、より一層作品に興味を持ってもらえるのでは、と考えたからなんですよね。
制作者の姿を見せるのは美術に限定した話ではない
これ、アート作品に限定して考えると、ややこしくなりそうな気がします。
例えば、スーパーで産直野菜のところに「千葉県の○○さんが育てました」とか言って、その○○さんの写真がポップになってるの、よく見ますよね。それを見ると、ただのトマトがちょっと特別なトマトに思えてくる、みたいな。
そうか、あれと同じことをしたかったんだな、私は(と今書いていて気がつきました)。
どこの誰だかわからない人が作ったものより、顔の見える相手の作ったものの方が親近感を覚えるのは人間の本能でしょう。そのことはルッキズムとは関係がないはずです。トマトを選ぶ時に、なるべく容姿の整った農家さんのトマトにしよう、とはなりませんからね。
書店にならぶ本だって、帯や表紙に著者の写真が載っているのは、この親近感を狙ったもののはずです。
もう一つ、心理学的な話になりますが(さっき図書館行って調べてきた)、人間は人の顔に目がいく本能があり、その顔から様々な情報を読み取っているそうです。人相学、観相学という、人の顔の造りからその人の性格や運命を読み取ろうとする学問があるほどです(これは占いに近く、科学的には眉唾ものですが)。
アメリカでは履歴書に写真はおろか、国籍も性別も年齢も配偶者の有無も記載しないそうですが、日本ではまだまだ履歴書に写真必須が当たり前です。これも顔写真から応募者の人格の一端は読み取れると採用側が考えているからでしょう。
こうした考え方を作品鑑賞にも当てはめるとしたら、作者の顔を知ることで作品の本質に少しでも迫ることが出来ると考える人もいるかも?
無理矢理まとめ
たしかに作品の良し悪しを判断するのに、作者の写真はなくても構わないでしょう。それよりアトリエの写真や制作風景を見せた方が、よほど作品の理解にはつながると思います。
でもその一方で、せっかく同時代に生きているのだから、どんな人か知りたいと思うのはごく自然なことではないでしょうか。
そして、創作物がすべてのコンテクストから独立して、純粋にそれ自体がもつ力で評価されるというのははっきり言って幻想です。その作品を生み出した作者、その作者が生きる地域、属するコミュニティ、文化、いろいろなものがからみあった結果として産み落とされたのが、美術作品だからです。
だとしたら、作者の情報だけを隠す必要はないのでは、とは思います。積極的に顔出しをしないとだめだよ、とも思いませんが。
ま、美術館としては、下品なプロモーションをしなければいいだけの話かなと思います。当たり前すぎる話に落ち着いちゃったな。
追記(とは言え)
とは言え、特に若い女性アーティストに対して、「顔がかわいいから応援する」とのたまうオヤジがいるのも、また現実。ギャラリーで個展を開いている女性アーティストに対するセクハラ問題も近年明るみに出ているし、そういうことを考えると、積極的に顔写真を出したくない、という気持ちは当然ですね。私も慎重にやっていこう。
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