芸術至上主義じゃ人はついてこないよ
今回は、美術館の学芸員が陥りがちな落とし穴の話です。
それも、どちらかというと、現代アートよりの学芸員に多いような。
さらに言えば、文系出身の学芸員よりも美大出身の学芸員に多いような。
いや、全部私の主観でしかないんですけどね。
「作品を愛し、作家を深く尊重し、芸術・アートが何よりも大事」だと考える学芸員は少なくありません。
これだけ聞くと学芸員としての理想像のように思われるかもしれませんが、私の考えはタイトルの通りで、このような「芸術至上主義」とも言えるスタンスで突き進もうとすると、案外うまく仕事って回らないもんだよなぁ、と思っています。
これは、私が美大ではなく文学部の日本美術史を専攻し、現代アートではなく日本絵画を専門とする、美術館というよりは博物館タイプの学芸員だからかもしれません(なんてことを言っても、だいたいの人からしたら「そんな違い知らんがな」の世界ですが)。
美術が好きで美大に進み、同級生も教師もみんな創作者という環境で学び、そこから学芸員になったような人は、ある意味「アートがすべて」というフィルターバブルの中で育成されたようなものですから、「芸術至上主義者」になるのも無理からぬところではあります。
ただ、美術館なんて色んな人で成り立っている仕事ですから、そのままでいくと思わぬところで軋轢をうむことになります。
例えば、学芸員が深く入れ込んでいる作家の展覧会をやろうとします。ただ、その作家の知名度は高くなく、作風も万人受けするものではないとします。
学芸員は鼻息荒く、いつにも増して広報を大々的に打ちたい、展示もこだわりたい、図録も立派なものを作りたい、と強気な予算請求をします。でも事務方の人間からすると、そこまでする理由が理解できません。
見ている景色が違うので、それは当然と言えば当然です。だから本来なら事務方の人の視点で納得できる理由を提示してあげるべきなのです。でも残念ながら学芸員はそこに思いが至らないのです。
展覧会を一本やるには、人員もお金もかかります。フリーのキュレーターになって、自分で展覧会を一から起ち上げるような経験をすれば、それがいかに大変なことか実感するのでしょうし、色んな立場の人の理解を得る努力をしなくてはいけないことも理解できるでしょう。
しかし美術館という組織の中で働いていると、予算はだまっていてもつけてもらえるので(これじゃ足りない、ということはあっても、ゼロということはありませんよね)、下手すると「展覧会は重要な文化貢献だから、予算がついて当たり前」という思想に陥ってしまいます。
また、美術館の受付や監視に入るスタッフ。最前線で一番お客さんの生の反応を知る人たちですが、そのスタッフから「お客さんから展示がわかりにくいという言葉をよくもらいます」という指摘が学芸員にされたとします。
芸術至上主義タイプの学芸員は、そこで「この作家の良さが分からないなんて」とお客さんの方を切り捨ててしまいます。
アーティストその人が「分かる人にだけ分かればいい」と言うのは自由です。でも学芸員が、アーティストと同じ目線になって同じことを言ってはだめでしょう。
こういうことが続くと、「あの人(学芸員)は自分のやりたいようにしかやらないから」と言われるようになっていき、展覧会をやるにも周りの協力が得られなくなっていきます。
学芸員の熱意は本物だし、作家の実力を信じて純粋に応援する気持ちは誰よりも強いはずなのに、なぜこうなってしまうのでしょう。
美術館に勤めていると言っても、全員が全員、芸術を最上位のものとして動いているわけではありません(もちろん美術に少なからず興味を持っている人は多いですが)。
そんなこと当たり前と言えば当たり前なのですが、案外そのことに気がつかず、「何故かうまくいかない」「うちの職場は理解してくれない」とモヤモヤを抱えている学芸員は結構いて、実力も熱意もあるのにもったいないなぁと思うことがあります。
すごくざっくりまとめると、必要なのは「他者目線」です。
アーティストに他者目線は不要です。人の目など気にせず、自分の表現を追求していくべきでしょう。
でもアーティストの通訳になるべき学芸員は、他者目線を忘れちゃだめだよって結論にしておきましょうか。
別に学芸員に限らず、社会人として経験を積むって、ようするにこの多様な他者目線を獲得していくことなのかもしれませんね。
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