一般書は研究業績になる?ならない?
前回、前々回と論文にまつわる話を書きましたが、その中で「研究業績」という言葉を使いました。
「(研究)業績を積み上げる」とかよく言います。論文を1本書けば、業績の欄にプラスイチされるわけで、これはRPGでレベルを上げていく感覚に似ています。目に見える数字として積み上がっていくので、単純に少年心がくすぐられるというか。
さて、研究論文やその論文をまとめた専門書などを出せば当然業績になるわけですが、それでは一般書はどうなるでしょう。一般書とは、狭い業界の中で同じ専門の人たちに向けて書いたものではなく、広く誰にでも分かるように書いた商業出版の本のことです。
私が「ちいさな美術館の学芸員」名義で書いた『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』『学芸員が教える 日本美術が楽しくなる話』『忙しい人のための美術館の歩き方』がまさにそれですね。
「アカデミア(学術界)では、一般書をいくら書いても評価されない。評価されるのは専門的な研究論文だけである」みたいな話を、みなさんはどこかで聞いたことがあるかもしれません。
それと似た話で「テレビにばかり出ていて肝心の研究業績がない学者は、業界内ではなめられる」てなことをまことしやかに語る本もありますね。
よその分野のことは知りませんが、こと美術関係で言えばこれは半分本当で半分ウソかな、と私は思います。
というのも、一般書ばかり書いていて論文は全然書いていない、とかテレビにはよく出ているけど同じく論文は全然書いていない、そんな人がそもそも存在しないからです。
商業出版の声がかかるのも、解説役としてテレビに呼ばれるのも、もともと研究業績を上げていてその界隈である程度名が知られた人だからこそです。ほとんど業績のない人が魔法の力を使って、本を書いたりテレビに出たりするというのは現実的ではありません。
つまり、書店の棚でみなさんが名前を目にするような人や、テレビの解説役で顔を見かけるような人は、その時点でかなりの研究業績のある人だと言えるのです。
とりわけ学芸員という立場で、所属の美術館で展覧会図録を作るのではなく、個人名義で書店に並ぶ本を出している人は、みなさん軒並み一流の研究者でもあります(ただ最近は図録を図書として出版して、それが書店に並んでいることもあるので若干ややこしいですが)。
そう考えると、私のようにnote経由で、こうして本を3冊も書かせてもらえた人間はかなりイレギュラーなタイプてことですね。ラッキー。いやいや、ちゃんとこれからも論文だって書きますです、はい(苦笑)。
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