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事務は雑務か?研究は高尚か?小さな美術館だからこそ痛感すること

学芸員が事務仕事をやったら負け、と思っていました。

でも、新しい環境に身を投じて、その思い込みが変わった話をしたいと思います(noteの企画「思い込みが変わったこと」に乗っかって)。

学芸員の仕事は何かと言えば、基本的には博物館法が定める以下の内容となります。

学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる。
(博物館法 第1章 第4条より)

あ、ちなみに美術館も動物園も水族館も、法律上は博物館に含まれます。

「資料の収集、保管、展示及び調査研究」を専門とするなら、たしかに専門職と言って差し支えないでしょう。

で、ここからが現実の話。

日本には「資料の収集、保管、展示及び調査研究」に学芸員が専念できる美術館と、専念できない美術館があります。

俗に言う「事務仕事」を学芸員が担う割合は、その館の体制に左右されます。

経理、広報、渉外、そういった業務を担当するスタッフが学芸員とは別に配属されているかどうかという話です。

当然ながら、大きな美術館と小さな美術館(ここでいう大小は組織とか予算規模とかそういう意味ね)では、同じ学芸員でもこのあたりに違いが出てきます。

私は、両方に勤務した経験があるので分かるのですが、小さな美術館ほど「資料の収集、保管、展示及び調査研究」以外の業務が多いです。これが現実です。

例えば小さな美術館では、どんな仕事があるかというと、

監視や受付スタッフのシフト管理。「来月は○○さんが休みをとるので、補充で入れる人を探さなくてはいけないな」とか。

作品輸送のための業者の手配。数社の営業さんに声をかけて見積もりを作ってもらい、金額や条件を比較し、予算面で妥当なところにお願いするまでの交渉全般とか。

展覧会の広報業務。プレスリリースっぽいものを作って、新聞社や美術雑誌、またローカルテレビ局などに連絡して、なるべく取り上げてもらうよう働きかける、とか。

気づけば、調査研究に専念できる時間が全然ない、みたいなことになります。

そうか、前の美術館はなんだかんだで学芸員の本業に専念させてもらえる環境だったんだな、としみじみ思います。

て、ここで終わると、現状にものすごく後悔している、みたいに思われるのでしょうが、ちょっと違います。

前の職場はたしかに学芸員本来の業務に専念できました。でも今思えば、予算とか経費とか事業をやっていく上で本来無視できないことに対して、本当に無知なまま年月を重ねていたんだなぁと恥ずかしくなります。

一般企業に入っていれば、または個人事業主として働いていれば、当然身につけていたであろう基本中の基本みたいなことをほとんど知らないまま、芸術とか文化とか研究とか高尚なことだけやって、一人前の顔をしていたのです。批判を恐れずに言えば、事務=雑務だと思っていた節さえあります。

新しい職場であれこれ面食らっていた時に読んだ一冊の本が深く刺さりました。

東浩紀の『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)です。首がもげるほどうなづいたところが随所にありました。

現代を代表する哲学者・思想家・批評家の東浩紀が、ゲンロンカフェを開業したり、思想誌『ゲンロン』を刊行したり、動画配信プラットフォームを開設したり、様々な事業に経営者として挑戦した記録です。

読んでもらうとわかるのですが、資金繰りに苦戦し、組織が崩壊し、次々と苦難に襲われ、その都度泥臭く解決しようとした、まさに戦記という言葉がふさわしい本です。

ぼくは当時、メディアでは、福島の観光地化計画だ、言論誌の新しいかたちだとかいって偉そうに話をしていました。けれども、会社に戻れば、契約書の処理や業者との連絡に追われていて、なにひとつクリエイティブだったり学問的だったりすることは考えられなかった。

本の中では、あの知の巨人とも言える東浩紀が、必死に領収書をエクセルに打ち込み、契約書や請求書のフォルダを作り、カフェの配線を把握し、空調整備やセキュリティ会社、観葉植物レンタルなどさまざまな業者と交渉して、地道な地道な仕事をこなす姿が著者自身の言葉で語られています。

そして著者は、身をもって事務の重要さをかみしめていきます。

会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
仕事をひとに任せるためには、現場でいちどそれを経験しておかないといけない。そうでないと、なにを任せているのかもよくわからないまま、ただ任せるだけになってしまうからです。それはほんとうは任せているんじゃない。単純に見たくないものを見ないようにしているだけであり、面倒なことから目を逸らしているだけなんです。「任せる」ことと「目を逸らす」ことは根本的にちがう。こんな話は実務経験があるひとにとってはあたりまえだと思いますが、それまで大学や出版という特殊な空間にいたぼくには大きな発見だったわけです。

比べるのもおこがましいですが、私も我が身を振り返って響くところがありました。

大学から大学院に進み、アカデミックな世界で研究、発表をして、トントン拍子に大きな美術館に入り、そこでも研究の続きのような仕事を中心にしていた私は、思うところあって自ら小さな美術館に飛び込んで、ようやく自分がいかに限られた範囲のことしか知らずに、いっぱしの顔をしていたのか痛感したのです。

今まで面倒な仕事を誰かが代わりにやってくれていることから、目を背けていたことに気がつきました。

遅きに失したかもしれません。それでもやはり今その痛みを感じる環境、かつての自分が雑務だと考えていたことをやらざるを得ない環境に来たことを、自分としては良かったと思っています。

井の中の蛙的な学芸員ではなく、より広い視野で世界を見渡すことができる学芸員になることができるかもしれません。もしかしたら。