「こういうのでいいんだよ」は知ってるけど、それではだめだと思っているから(以下略)
美術館の展覧会を企画する立場で思うことがあります。
最初に現実的な話をしましょう。
各学芸員に展覧会を企画する役目が回ってくるペースが2年に1回くらいの美術館なら、その展覧会に一球入魂できますが、学芸員の人数が少なく1年の間に複数回展覧会を担当しなければならない場合だと、どうしてもそのうちの幾つかは流しの展覧会になってしまいます。
流しの展覧会という言葉はいま作りましたが、要するに挑戦的なテーマでもなく、新発見や新機軸があるわけでもなく、すでに自明になっていることをそのまま再利用するという、脳みそのカロリーをあまり使わずに企画する展覧会のことです。
ただし、学芸員として力を込めた展覧会の方が必ずヒットするかと言えば決してそうではなく、流しの展覧会に案外お客さんが入るなんてことは珍しくありません。
「え、これでいいの?」と最初の頃は拍子抜けしました。
おそらく今このnoteを読んでいるような人は、学芸員が挑戦した展覧会の方を評価してくれるでしょう。「こんな視点で作品を集めるなんて面白い!」「こんなマイナーな作家にスポットを当てるなんて良い仕事をしてるなぁ!」と喜んでくれるのは分かっています。noteの民のリテラシーは高いですからね(あれ?なんかえらそうな言い方になってる…)。
ただ、そうした展覧会上級者は数で言えば少数派です。
大多数の人は、王道の名画、名品が並んでいたり、名前を知っている作家が特集されていたり、一見して美しいとわかる工芸品や見るからに精巧な技術で生み出されたことが分かる美術品を見ることができれば、それで十分満足してくれるのです。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」という言葉が聞こえてきます。
お客さんも満足して、学芸員も労力をそこまで使わずにできる展覧会。WIN WINだから、もうそういう展覧会ばっかりでいいじゃないか、と言われたら、断固としてそれは違うと答えます(もちろんそんなこと言われないですけどね)。
その理由は、学芸員のエゴとかやりがいが感じられないから、とかそんなことではなく、それでは美術館がじり貧になっていくからです。
一般の方が安心して楽しめる内容の展覧会、それは一般の方が今持っている知識・常識の範囲内にきれいにおさまった展覧会ですよね。
人にはコンフォートゾーンがあり、その中にとどまっていたいというのが生物学的な本能だと言います。木の実がたくさんなっているエリアを見つけたら、そこからあえてどんな危険生物がいるか分からない他の森に行く気にはなりませんよね。それが事実だとすると、今持っている知識・常識の範囲はなかなか広がっていきませんよね。
「こういうのでいいんだよ」は、言い換えればコンフォートゾーンの中で安心して楽しめるコンテンツでいいんだよ、という意味です。
しかしそのコンフォートゾーンの範囲は広がっていかないので、発展性がありません。一度や二度の展覧会ならいいでしょう。でも必ず最後は飽きられます。
だから学芸員は「こういうのでいいんだよ」と言われても、もっと未知のものを提示しようとする努力を続けなくてはいけないのです。
当然、苦労した割にすべってしまう企画もあります。「知っている作品が全然なくて不満だった」というコメントをアンケートに書かれることもあります。
でもそれも含めての挑戦です。
もちろん毎回そんなことをやっていたら、学芸員の身が持たないし、お客さんにもそっぽを向かれかねないので、すべてはバランスですけどね。
美術館の年間スケジュールを見てみると、なんとなくそのバランス調整の意図が見えてきて面白いですよ。
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