展覧会図録テキストの書き方

学芸員が文章を書くのはどんな場合でしょう。
大きく分けると3つあります。

①展覧会関連
②紀要論文
③その他

①の展覧会関連をさらに細かく挙げると、

  • あいさつ文(展覧会概要)

  • 展示室のパネル、キャプション

  • 展覧会図録のテキスト、作品解説、コラム

といったところでしょうか。

②の紀要論文は、まとまった分量の研究論文を書く他にも、作品研究(収蔵品1点についての詳細な解説)のような比較的短い文章の場合もあります。

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③その他は、とても雑多です。公式ブログ、パンフレット、報告書の類いなど。新聞、雑誌、Webメディアなどから展覧会を紹介するにあたって、寄稿を求められることもあります(たいていは宣伝するということで無償です)。

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さて、ここでは知っているようで知らない、展覧会図録のテキストに焦点を当てたいと思います。
展覧会図録はもともと「観覧者のために展示作品の解説若しくは紹介をすることを目的とする小冊子」という位置づけでした。だからこそ、例外的に著作権者の許諾がなくても著作物の複製(つまり作品の画像を図録に掲載すること)ができたわけですし、その一方でISBN(国際標準図書番号)が付かず書店には並ぶことがなかったのです。

【図録の著作権について詳しくはこちらを】

近年は、小冊子と呼ぶのは無理がある立派な体裁の図録ばかりになったので、著作権者の許諾を取るのが常識になりましたし、書籍として書店に並ぶ図録も増えてきました。

小冊子時代は、モノクロ図版と出品リストぐらいしか掲載していない薄っぺらい図録がたくさんありましたが、それがいつしか作品1点1点に関する解説文が付くようになり、さらに展覧会のテーマに沿った小論を担当学芸員が執筆するのが一般的になっていきました。

【図録の変遷について詳しくはこちらを】

というわけで、展覧会を担当した学芸員は、図録の巻頭に掲載するためにまとまった分量のテキストを執筆しなくてはいけません。さて、どうしたものか。

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展示作品については、作品の各個解説があるので重ねて書くわけにはいきません。
作品解説が各論なら、巻頭テキストは概論のイメージです。

また、個人的な感想文やエッセイを書くのも違いますね。それが許されるのは、大御所の名物館長や作家本人、または作家の遺族だけです。

巻頭テキストを書く時には、目線をどこに置くかが重要です。

まず、図録を購入してくれる来館者に向けた目線が必要です。
ただ、ここが難しいところなのですが、完全に予備知識ゼロの人に向けて思いっきり目線を下げて(というか言い方は好きじゃないのですが)噛み砕いて、分かりやすく、入門書のような内容を書けばいいというわけではありません。

一方で、専門家(他館学芸員や美術史研究者、アーティスト、批評家など)にも目線を向ける必要があるのです。

そもそも展覧会は、過去の展覧会と全く同じ内容で開催されるということがありません。
ポピュラーな作家や作品を扱う場合でも、逆にマイナーな作家や作品を扱う場合でも、準備段階では学芸員は入念な調査を行い、どんなに小さくてもどこかで美術史を一歩進めることに挑むのです。
全く何の新しい成果もない展覧会なんて、ひとつも無いのではないでしょうか。

そこで巻頭テキストでは、その新たな一歩がどこにあるのかを専門家に説明するのです。具体的には、先行研究で明らかにされてきたのはどこまでか、そして今回はどの部分に踏み込んだのかを、美術史の文脈に沿って論述するのです。

ただし(逆接が多いな……)繰り返しますが、これはショップで誰でも手に取れる図録に載せる文章ということを忘れてはいけません。一般の人が読んでも「へー、そうなんだ」と納得してくれるように、文章の専門性を調整します。

どれぐらいの塩梅にするかは、学芸員によってまちまちで、「それバリバリの研究論文じゃないですか」みたいなテキストもありますし、「それはちょっと肩の力抜きすぎじゃ無いですか」みたいなテキストもあります。
その展覧会の客層や、その美術館のイメージ(硬派な美術館だと難解な図録の方が好まれることもある)が関係してくるので、唯一の正解なんてないんですけどね。

「展覧会図録を買うのは10人に1人」という話を前にしたことがあります。

図録を買った人でも巻頭テキストをしっかり読み込む人となると、さらに数は絞られるでしょう。
だからといって、図録からテキストを無くしてもいいとは思いません。先ほど述べた通り、テキストにはその展覧会にどんな意義があったのかを主張する意味があり、将来的にその展覧会の価値を担保するものだからです。

なんてかっこいいことを無理やり言ってみましたが、正直なところ、学芸員がただ作品を陳列するだけの仕事だったらやりがいがなくて、魅力を感じないでしょう。少なくとも私は。