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全部に意味がなきゃダメなの?

とうとう、この漫画を紹介する時が来たか……。
みなさんは『ひらやすみ』知ってますか?

真造圭吾が『週刊ビッグコミックスピリッツ』に連載中の作品なのですが、2022年と2024年の「マンガ大賞 」にランクインするなど、わりと評価されている漫画なので読んでいる人もいるのではないでしょうか。

30手前のフリーター(元俳優)の生田ヒロトと、東京の美大(名前は出ないが校舎から明らかに武蔵野美術大学)に入学した従妹のなっちゃんが、中央線沿線の一戸建ての平屋で生活する日々を中心に話は進みます。

***

私が一番心に残っているシーンだけお話します。

将来の不安を感じていないかのようにのほほんと生きるヒロトとは対照的に、美大在学中に漫画家デビューを目指すなっちゃんは常に焦燥感に追われて余裕がありません。
そんな中で、ヒロトは親友(ブラックな会社で心を病み退職したばかりでこちらも無職)と2人で、一銭にもならない自主映画の撮影を始めます。なっちゃんもなっちゃんの美大友達も巻き込まれる形でその撮影を手伝うのですが、漫画でなかなか結果が出せないなっちゃんは、ついにヒロトに苛立ちをぶつけます。

「また俳優に戻りたいの?だったら、こんなしょうもないことやってないで、オーディションとか、受けるべきなんじゃないの?」

まぁ、正論ですよね。
現になっちゃんは、漫画雑誌の新人賞にせっせと応募し、プロの編集者から何度もダメ出しをされ、心が折れそうになりながらもデビューを夢見て漫画を描いています。なっちゃんからすれば、ヒロトたちがやっているのはどこにもつながらない意味のない行為です。

そんななっちゃんの言葉に対して、ヒロトはこう答えます。

「たしかにそうかもね。でもね、オレは俳優に戻りたいわけじゃないんだ」
「自分の中にしこりがあるからやってるんだ…」
「自分に、悔いを残したくないから」

「何ソレ! そんなの…意味ないじゃん‼」

と食ってかかるなっちゃんを真っ直ぐ見つめて、ヒロトは逆に問いかけます。

「全部に意味がなきゃダメなの?」と。

その場では「……そうだよ。だって私は、本気でマンガ家目指してんだから!」と言い捨てたなっちゃんでしたが、ヒロトの言葉がずっと胸に残ります。
そしてその後なんだかんだ撮影を継続する中で、なっちゃんはある種の啓示のような体験をします(それは是非漫画で確かめてください)。それからヒロトにぽつりと言うのです。

「ねぇ、ヒロ兄。私、ちょっとマンガから離れて、ムダなことしてもいいかなって思った。せっかく大学生だしさ」

いやぁ、いいなぁ……。何度読んでもこのくだりはグッときます。

これらのシーンは『ひらやすみ』第6巻(小学館、2023年9月)に掲載。

現実的な成果を求めて心を休ませることができないなっちゃんの切迫感は、見事に今の時代の空気を反映しているなと思います。
フリーターのヒロトというキャラクターは、そんな時代の空気に対するアンチテーゼとして作者は描いているようですが、もちろんあまり深く考えず、ふわふわ生きていれば人は満足できるのか、と言えばそうでもないようです。

ヒロトもまた必死に奮闘するなっちゃんを見て少しずつ変わっていきます。このあたりのどちらが正しいわけでもなく、みんながみんな自分なりの葛藤を抱えていて、そして人と人が交差する中でほんの少しずつ互いに影響を与え合っていく様子が丁寧に描かれているのが、とても好感が持てます。あと嫌なやつが1人もいない(笑)。

もう1つのポイントは、なっちゃんが美大生という点です。

なっちゃんが美大で取り組む絵画制作も、プライベートで取り組む漫画も、それらをひっくるめて美術と言うならば、美術は意味があることだけを追い求めていても人の心を動かすものは決して生まれません。美術とは理外のものだからです。

意味が無いように思えること、一見ムダなこと、ガラクタのようなもの、それでも自分にとっては何か引っかかる、そんなものをかき集めている中で自分だけの作品が生まれるはずです。
「ちょっとマンガから離れて、ムダなことしてもいいかな」というなっちゃんのセリフは、彼女がその事に気がつき始めたことを示唆しています。

ここから無理やり私自身の問題意識につなげます。美術の意味、美術鑑賞の意味についてです。

美術館に並ぶ作品1点1点には、作者が創作に費やした膨大な時間が詰まっています。前述の通り、その時間とは効率的にゴールを目指して最短ルートを走った時間ではなく、創作に関係あることも無いように見えることもあれこれ体験しながら試行錯誤した時間です。
意味が無いことの必要性を内包するのが美術作品であるならば、その作品から人は「意味が無くたっていいじゃん。ほら、こんなに感動するんだから」というメッセージを受け取ることもあるのではないでしょうか。

美術鑑賞とは、そんな意味が無いことを肯定する行為だという見方もできます。無駄の結晶から生まれた美術作品を、タイパを無視して何時間でも眺める。それは間違いなく、現代の中で見失いがちなものを取り戻す癒やしの時間になり得るのです。

美術館に行くと、なぜかほっとする。それにはこのような理由があるのかもしれません。

まだ言葉足らずな気もしますが、ひとまずこれでアップしてみましょう(笑)。
あなたはどう思いますか?