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知識・教養がなくたって楽しめる展覧会、それはもちろん理想だけど

どうも。小さな美術館の学芸員です(バックナンバーを見ていただければ、だいたいどんな人間かわかるかと)。

美術史は比較の学問だよ、と学生時代に指導教官から言われました。

例えば、ある1枚の絵を研究対象とした時、作品単体を見ていても、その絵がどんな特徴があるのか、何が優れているのか、何が新しいのか、などわかりませんよね。

もちろん、作品そのものを深く観察することは基本中の基本です。絵でも立体でも、文学でも、映像でも、「精読」「作品分析」と呼ばれる作業は不可欠です。

その上で、

・その作者が描いた他の絵と比較する。
・同時代の他の作者の絵と比較する。
・影響関係がうかがえる別の時代の絵と比較する。

こうした比較による考察をしないと、美術史の流れの中で作品がどういった位置にあるのかが見えてきません。たとえば

・レンブラントとフェルメールを比較して、光の表現の違いを考える。
・クリムトとシーレを比較して、官能表現に対する意識の違いを考える。
・マグリットの各時代の作品を比較して、その中に通底するイメージの源泉を考える。
・別々の古墳から出土した埴輪を比較して、造形的な特徴の違いとその意味を考える。
・小林清親と川瀬巴水を比較して、彼らが浮世絵から受け継いだ表現の違いを考える。

まぁ、何でもいいんですけど、このように比較することによって作者の意図や作品の意味が見いだせるわけです。

美術史研究における比較の重要性がわかったところで、ここからが本題。

絵の見方、美術鑑賞でも、これは同じことです。

えーと、美術館に1枚の絵がポンと飾ってあったとします。

その作者が他にどういった絵を描いているか、その予備知識がある人は脳内で無意識に他の絵との比較作業を行うはずです。「あの絵と違って、ずいぶん冒険したな」とか「このモチーフは他の絵とも共通するから、作者にとって大事な意味があるんだな」とか。

さらに、その作者だけでなく周辺作家(おなじグループ、おなじ流派、同時代など)についての知識があれば、様々な比較が可能になり、見えてくる景色が変わります。

さらにさらに、その絵が描かれた頃の国の歴史、風俗、習慣など、知識があればあるほど、多角的にその絵を見ることができ、色々な発見をするでしょう。

逆に、予備知識がゼロだった場合、1枚の絵と向き合っても「あぁ、人が描いてある」とか見たままの感想しか出てこなくて、「やっぱり感性がないと、芸術を楽しむのは無理なんだな」と肩を落とすかもしれません。

つまり知識のあるなしは、鑑賞が楽しめるかどうかに直結するといっても過言ではありません。

で、学芸員としては、展示を誰の目線に合わせて作るかに頭を悩ませるわけです。

当たり前ですが、美術館は誰が来てもいい場所です。
老若男女いろんな人に来てもらいたい!
美術に素養のある人じゃないとだめ、なんてことはありません。

それでね、せっかく来てもらったからには、どんな人にも何かを得て帰ってもらいたいな、と願うわけです、学芸員としては。

作品と向き合った時に何かしら、その人なりの「発見」をしてほしい。「よく分からなかった」で終わったらもったいない。それが私の本音です。

そこで、全く知識がない人向けに解説をつけると、見る人によっては「解説文が多すぎる」とか「解説が幼稚すぎる」とフラストレーションがたまることもあります。

絵の配置、展示構成だけで作者の意図を伝える、これも学芸員の腕の見せ所ですが、それを全員に読み取ってくれというのは、やはり無茶ですよね。

というわけで、客層を読み、そこから当たりをつけて、展示構成を練るという芸当が必要になるのです。すごいぞ学芸員!

て、かっこいいことを言ってみましたが、私はまだ全然できてないんですけどね。

最近の傾向としては、かなり噛み砕いた解説があった方が、来館者の満足度は高いようです。それはそれでいいんですけど、時には反動として「分かる人に分かればいい!」という高飛車な展示をしたい気持ちがわいてきます(「せっかく来てもらったからには、どんな人にも何かを得て帰ってもらいたいな」と言っておきながらなんですが…)。


バックナンバーはここで一覧できます(我ながら結構たくさん書いてるなぁ)。


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